その夜、ラルフの元にやって来たララ姫は右肩の包帯を見て同情した。
「可哀想に……ナイジェルにいじめられたのかえ?どれ、妾が慰めてやろう」
屋敷には連れてこられて3日が経つが、ララ姫は飽きもせずラルフの上に跨る。
「どうだ?そろそろ妾を抱く気になったか?」
ララ姫はスルスルと音を立てながら服を脱いでいった。
香炉から漂う匂いが次第にきつくなっていく。
ララ姫と共に入室し、香炉を持つ役目についているのはこめかみに3本の傷痕がある屈強な軍人である。
身のこなしといい佇まいといい、入口に張りつく見張りともナイジェルとも雰囲気が異なる。
戦場で出会ったら即座に死を覚悟しなければならない類の男だと、ラルフは直感した。
「ケイネス」
名前を呼ばれた男はララ姫にガウンを羽織らせると煙管を渡し、慣れた手つきで火をつけた。
ケイネスはなぜララ姫に従わないのかとラルフを蔑んだ目で見下ろした。
目線で殺されると思ったのは一度や二度のことではない。
(……ララ姫の情夫か)
他の男の元に通うのに自分の情夫を連れてくるとはどういうつもりなのか。
腰に下げた剣の出番がやってこないことを祈るばかりである。
「ほら、よそ見をするでない」
長く吐き出した煙を顔に吹きかけられ、ラルフは大いに咳き込んだ。
「本当に辛抱強い男だのう。さて、いつまで我慢できることやら……」
いつまでも首を縦に振ろうとしないラルフにララ姫は至極不満そうである。
(そろそろ潮時か……)
ララ姫の気が変わらないうちに、本格的に逃げる算段でも立てようか。
部屋の前に立っている見張りぐらいなら武器がなくとも、ラルフひとりで制圧できる。
問題なのは屋敷の外にいるクルス兵と砦まで帰るための足である。
守備よく武器と馬を調達し、キール達と合流せねば、元いたところに逆戻りどころか今度こそ殺されてもおかしくない。
とにもかくにも今は蜜色の薔薇をなんとかしなければならない。
蜜色の薔薇の効力そのものは数十分も経てば消えてしまうが、厄介なのはその後なのである。
ララ姫とケイネスが立ち去った後、ラルフは扉の向こうにいる見張りの者に頼んだ。
「すまない……。水をくれ」
蜜色の薔薇には得難い効力がある一方で、嗅いでから時間が経つと脱力感や眩暈に襲われるという負の一面がある。
何度も繰り返し蜜色の薔薇を嗅がされているラルフにはとりわけ副作用が強く出ていた。
頼まれた水を持ってきた下女が部屋の中に入り、枕元に水差しとグラスを置く。
ラルフはベッドからを身を起こし、ゆっくり水を口の中へ運び入れると……直ぐに異変に気がついた。
初めは蜜色の薔薇の嗅ぎすぎで舌がおかしくなったのかと思った。
強い苦味と酸味は数秒遅れでやってきた。
「うっ……!!ゲホッ……!!ガハッ!!」
普通の水だと思い油断していたせいで、ラルフは激しくむせた。
「どうぞ」
口元を押さえるラルフに下女がハンカチを差し出す。
「助かった。ありが……」
礼を言おうとして、はたと気が付く。
今まで下女と認識していた女の声に聞き覚えがあったからだ。
「もっと水が必要なら呼んでください」
下女はそう言うと一礼をして、そそくさと部屋から出ていった。長居をして怪しまれては、折角の苦労が水の泡だからだ。
ラルフはグラスに小指を浸し、改めて水を舐めてみた。
「……まずい」
見た目は透明な水だが、中身はこの世のものとは思えぬ奇妙な味だった。
しかし、ラルフは鼻を摘み嫌々ながらも得体の知れないその水を全て飲み干した。
すると、不思議なことにたちまち眩暈が消え、驚くほどに身体が楽になったのだった。