萬物(よろずもの)病災(やまい)をも立所(たちどころ)(はら)(きよ)(たま)
 萬世界(よろずせかい)御祖(みおや)のもとに(おさ)めせしめ(たま)えと
 祈願奉(こいねがいたてまつ)ることの(よし)をきこしめして
 六根(むね)(うち)(ねん)(もう)
 大願(たいがん)成就(じょうじゅ)なさしめ(たま)えと
 (かしこ)(かしこ)(もう)

 棺の外に立つ鷹一郎と目が合う。
 いや、恐らく鷹一郎が見ているのは俺ではなくて麗卿なのだろう。

「麗卿。あなたはすでにご認識されているのでしょう? そのままではまた喬生がいなくなってしまうことを」
 ……旦那、さまは、こちらに……
「大事な人をもう失いたくはないでしょう?」

 俺に絡みつく麗卿がわずかに動揺する。
 麗卿は繰り返してきたのだ。喬生が随分前に死んでから喬生を探し続けて、麗卿に優しくした男を喬生と認識して忌避されるたびに取り殺してここにいる。鷹一郎がいなければ伊左衛門もそうなっていた。
 それまで何故か忘れていたその事実の恐ろしさにぶわりと鳥肌が立つ。

「本当の喬生は随分前にあなたを残して亡くなりました。あなたが抱きしめている人は喬生ではなく私の友人です。優しいでしょう?」
 ……わたくし、は……
「喬生というのはそれほどいい人でしたか? その人より?」

 俺にしがみつく力が強くなり、そして逡巡するように離れた。
 おそるおそると探るような空気が流れる。それとともに俺に重なった麗卿から薄っすらとした記憶がにじみ、涙のようにぽたぽたと俺に降り注ぐ。
 なんだ、これは。
 その記憶の中で喬生というのは確かに碌でもない男だった。
 少し休んで行けと世間を知らぬ麗卿に告げて家に連れ込み無理やり襲い、良家の子女だろう、バラすぞと脅して毎日来させて何くれと命じた。それで昼間に麗卿の眠る湖心寺に来て麗卿が金を持っているどころか打ち捨てられているのをみるとなんでぇ、と吐き捨て札を張って入れなくする始末。
 それから棺の中で泣き暮らす毎日。
 思わず抱きしめようとして踏みとどまる。心がキュウと痛む。

「その人と一緒にいたいでしょう?」

 わずかにうなずく気配。
 麗卿にすっかり同情しちまっていたのに途端に複雑な気分に陥る。哀れとは思うがさすがにずっと一緒にいるのまでは勘弁してもらいてぇ。

「あなたはただその人と一緒にいたいだけですよね。けれどもあなたはすでに人ではなく、そばにいるだけで生気を吸い取る人とは相容れぬ存在なのです」
 ……旦那、様……と……。
「お気づきでしょうがその人が死なないようにしているのは私です」
 ……。
「だから私と一緒に来ませんか? その人は見えなくても私は見えていたでしょう? 私はその人の友人です。あなたが私のものになって私を助けて頂けるのであれば、あなたの陰気を抑えられるようにします。そうすれば不自由はあるでしょうがこれからもずっとその人と会うことができますよ」
 ……ずっと?

 ちょっと待て。流石にそれは困る。勝手に俺を含めて話を進めるな。
 いや、そもそも俺の周りは妖ばかりだ。生気が吸い取られなければ、いいのか? いやでも少し待て。冷静に考えろ。
 そう思った瞬間、パサリと紙の剥がれ落ちる音がして突然激しい嘔吐感に見舞われる。頭の血流が逆流するような酷い酩酊感とともに口中に血の香りが充満し、なんとか棺に(すが)()い起きて棺の外に嘔吐する。だらだらと流れる鼻血で唇がぬるい。意識が遠のく。
 けれどもそれは一瞬で、ひらひらと鷹一郎の式神札が俺の頭の上に降ってくるのが視界の端に見えると途端に痛みはすぅと消え去った。
 糞野郎が。

「このように私がいなければその人はそもそも保ちません。一緒に来て頂けますね」
 ……旦那、様、が、ご無事、で……
「ありがとうございます。ではあなたをその棺から切り離してこの人形に移します。よろしいですね」

 朦朧としていると唇になにか柔らかいものが触れて抱きしめられた。
 ……お慕い、して、おり、ます、旦那様……
 わずかにまぶたを上げて棺の外を眺めると鷹一郎の手が複雑な形を描いていた。

 朱雀(すざく)玄武(げんぶ)白虎(びゃっこ)勾陣(こうちん)帝久(ていきゅう)文王(ぶんおう)三台(さんだい)玉女(ぎょくにょ)青龍(せいりゅう)

 そして、チリリという鈴の音とバリバリという何かが引き裂かれるような音と共に空気が竜巻のごとくバサリと攪拌(かくはん)される。
 そうしてふぅと棺から何かが飛び出し、鷹一郎の手に舞い込んだ。