目覚ましは鳴っていない。

 代わりに朝からうるさいミンミンゼミの泣き声に無理矢理起こされた。時計を見る。まだ約束の十一時まで二時間あった。
 家に居ても暑くて死んでしまいそうだ。俺は少し海で時間を潰してから待ち合わせ場所の横山商店に行くことにした。
 自転車を止めて、防波堤に座り潮風に吹かれながら自販機で買ったラムネを飲む。
 夏の風物詩の合わせ技はなんとも言えず、俺は夏を感じていた。
「椎名!」
 突然、後ろからかけられた声にびっくりして振り向くと、山根も自転車にまたがってラムネを飲んでいた。
「お前も暑さに負けたか!」
「当たり」
 ぼーっとしすぎて全く気づかなかった。俺は防波堤から下りて自転車に跨がる。
「んじゃ予定より早いけど、行きますか!」
 山根は俺の答えなんか聞く前に自転車を走らせた。
「おう!」
 俺は飲み干したラムネをごみ箱に投げ入れて、思いっきりペダルを漕いだ。
 山の方は本当に何もなくて、めったに行くことはない。通り抜ける田園地帯は民家も多くなくて、より一層田舎感が増す。海では広がる空が近く感じるが、こっちで広がる空は逆に空の高さを感じさせた。それがすごく新鮮だった。こうやって当たり前の事を再確認出来る瞬間が俺は好きだった。
 人がいないのをいいことに、二人で田んぼ道を「ワーーッ!」と大声を出して走りながら眺める山の緑と空の青と雲の白の見事なコントラストは「夏」そのもの。当たり前だけど、ここにも夏はあるのだ。
 俺と山根はこれから起こりうる様々な期待に自然と笑みがこぼれてしまって、しまいには大声で笑ってしまった。
 端から見たらさぞかし奇妙な光景だっただろう。が、人もいないので良しとした。
 俺の記憶は曖昧ながらも大事な所はしっかり覚えていて、進めば進む程、記憶が甦り、秘密の場所には難なく辿り着けた。
「うおー! スゲーッ!」
 山根は想像以上に素晴らしいロケーションに感動したらしく、今までにないくらいはしゃいでいる。
 一度来た事がある俺も一緒になってはしゃいだ。まるで山のなかにポッカリと穴が開いたように空が見えて、太陽が顔を出している。幼い頃の思い出以上の景色だった。
 川へ近づいてみる。人が来ない場所のせいか、魚も沢山泳いでいて今にも釣れそうだ。
「椎名! 最高すぎでしょここ! あー早くみんなで来たいなぁ!」
 山根の言葉に相槌をうちながら、俺は石に座りズボンの裾を上げて、川に足を突っ込んだ。
 ヒンヤリと気持ちが良い。目を瞑って四人で来る日を想像してみる。
 心臓が脈打つ。ワクワクが止まらない。楽しいシーンしか浮かばない。
 間違いない。これは素晴らしい日になる。
「なーに浸ってんだよ!」
 確信したのも束の間、山根が途中で買った二つラムネを差し出してきた。せっかくだから川で冷やして飲む事にして、ラムネと足を川に浸けたまま下らない話を延々続けた。
 時間はあっという間に過ぎて、帰る頃に飲んだラムネはしっかりと冷えていた。

 微炭酸が乾いた喉を潤す。夏はまだまだ俺達を楽しませてくれそうだ。