「あのさ、えと、ちょっと急用を思い出して」

サトシさんの車と思われるワンボックスカーの所までたどり着いたところで、そう切り出す。この車の中で一晩過ごすしかないかなと考えている所で、不意に肩を掴まれた。

 強い力で車の方に押し付けられ、目の前にサトシさんの目線より少し低い位置から星さんが睨んでくる。

「俺に何か隠してるだろ? 正直に話さないと二度と元に戻れなくなるけど、どうする?」

それは紛れもなくわたしに向けられた言葉。しかも脅迫を孕んだそのセリフにわたしは凍りつく。

でも、考えようによってはこれは助けともとれないだろうか。星さんにとってサトシさんは友達で、その友達が今わたしという得体のしれない幽霊に体を乗っ取られているのだ。星さんが友達ならサトシさんを助けたいはず。そうすればわたしも助かるかもしれない。

正直に言う? それともシラを切り通す? 究極の二者択一に迫られたわたしは、

「正直に言う、けど、いきなり除霊したりしない?」

両手を挙げて降参のポーズ。星さんはしばらくわたしを睨んだあと、大きく息を吐き出した。

「またかよ」

吐き出すように言って、頭を抱えてしゃがみこむ。
ま、また?

またってことは、前にもこういうことがあったってことだよね?

「教えてください! 元に戻る方法!」

星さんの目線に合わせて、わたしもアスファルトに膝をつく。

「そんなの俺に分かるかよ!」

「さっき『また』って言ったじゃないですか? 前にもあったんでしょ、こういうこと。その時はどうなったの? 教えてください、星さん」

わたしの悲痛な訴えが通じたのかどうか、星さんは車の助手席を指さし、わたしに乗れと合図する。

わたしはおとなしく車に乗り込んだ。

「とりあえず、サトシん家に行くから」

星さんはハンドルを握ると、慣れた手つきでエンジンをかけ車を走らせた。

「あの時、あんたを助けて心臓マッサージしてたのはサトシだった。その前と後はあんただな?」

「はい」

「あの時何があった? まずは詳しく話して」

わたしはできるだけ詳細にあの時起こったことを星さんに説明した。

話し終えると、星さんはしばらく考えるように黙り込んでいた。

「多分だけど、あんたが帰る場所はさっきの病院で寝てるあんたの体じゃない」

信号待ちで停車した時、星さんはわたしの方を見てそう言った。

「それって、もう……」

わたし死んじゃうの?

「うまく説明できないけど、あんたは別の世界からこっちに飛ばされてきたんだと思う」

いきなりSFチックなことを言われて、わたしはなんと言っていいか分からなくなる。

「ど、どういうこと? 別の世界って、世界はひとつだよね?」

夢の国のお人形たちさえそう歌ってる。

「並行世界って聞いたことある?」

星さんはあくまで真剣に話している。わたしをからかおうとか、騙そうとか、そんな風には見えない。

「パラレルワールドってこと?」

「そう。多分ね。前がそうだったから」

正直、頭がついていかなかった。

わたしはこの世界の人間じゃないってこと?

何となく、自分の体に戻れば目が覚めて一件落着、そんな想像をしていたのに、帰り方が最早想像すらできない。

星さんの話では、前にもこんなことがあって、その時はいつの間にかサトシさんの中に入った別の魂はいなくなっていたらしい。

最初は多重人格を疑ったらしいけれど、その人の体は実在していて、記憶とか諸々のことが多重人格では説明できなかったのだそうだ。

「その前回の時は、どのくらい別の魂がサトシさんの中にいたの?」

サトシさんのアパートにたどり着いたわたし達は、車のキーと一緒に皮のキーケースに付いていた鍵で部屋に入った。

すごく、散らかっていた。

一人暮らしの男性の部屋に入ったのは初めてだけど、ゴミが落ちてるとか、洗濯物があちこちに散らばっているとかそういう散らかり方ではなく、棚に入りきらなかったと思われる本が無数に小さな山を築いている。

 その山が所々で雪崩を起こし、床の面積の三分の二くらいを埋めつくしていた。

「サトシさんて何のお仕事してる人?」

「小学校の先生だよ。今は三年生の担任だったかな」

星さんは慣れた様子でポットにお湯を沸かし始める。

どうりで教科書みたいなのもたくさんある。チラッと捲って見れば、赤ペンでたくさんの書き込みがしてあった。

小学校の先生らしくキレイな文字だった。

「星さんも先生なんですか?」

「いや、俺は家を手伝ってる。農家なんだ」

筋肉質なサトシさんに比べてどちらかと言うと色白で華奢な感じの星さんが農業?

「ネット販売担当」

わたしの考えを読んだように笑ってそう付け足す。

「二人は幼馴染み?」

「うん。幼稚園の頃からの腐れ縁てやつ。そういやあんたの名前聞いてなかった」

「花巻燿子。24歳。今はアルバイト」

「俺らの一個下か。ところでさっきの質問の答えだけど、一年だよ」

え、一瞬質問したことを忘れていたわたしは、質問を思い出すと同時に絶句した。

長い。

長すぎる。

一年も他人の体で過ごすなんて·····

「サトシは勝手に入ってきた奴のために、自分の一年を無駄にした。ちょうど大学受験の時でさ、そのせいで浪人することになって。馬鹿みたいにお人好しだから、つってもどうしようもないよな。自分の意思で体動かせないんだから」

星さんはカップラーメンの蓋を開けてお湯を注ぐ。
そうだ。辛いのはわたしだけじゃない。サトシさんにだってサトシさんの生活があるのに。

「燿子ちゃんだっけ、俺も協力するからさ、一つ約束してよ」

星さんは怖いくらい真剣な目でわたしを見ていた。

「サトシの生活、壊さないでやってよ。教師はサトシの天職なんだ。分かるだろ?」

それは、わたしにサトシさんとして働けってこと、でしょうか。

「ちょっとそこ片付けといて」

星さんが指さした先にある小さな机は、コピー用紙とペンやハサミなどが作業途中で置かれている。
それらを重ねて脇に置き、ついでにその周りの床の本も積み直す。

難しそうな本もあれば、小学生向けの課題図書みたいなのもある。

わたしの読みたかったミステリー小説もあった。
棚に並ぶ文庫本のいくつかはわたしの部屋にもある。好きな本が同じかもしれないという推測に少しだけ気持ちが上向いた。

 星さんがカップラーメンを二つ運んできた。ギガ盛り、なんていう見たこともないような特大サイズだ。しかも電子レンジがピーッと音をたてたかと思えば、ごはんがこれまた二つ。

最後は冷蔵庫から取り出してきたキムチ。

それらが並んだ机の向かいに星さんはどかっと胡座をかく。

「富澤のラーメン食いにいくつもりだったけど、店の中でこんな話できないからさ。今日はコレで勘弁な」

そう言って手を合わせると、ごはんにキムチを乗せ、勢い良く食べ始めた。

「ん!」

星さんが突然お箸をわたしの方に向け唸った。

口の中のごはんを飲み下し、ぽかんとするわたしにごはん粒を飛ばしそうな勢いで、

「中身は女でも、体はサトシだからな! 少食です、なんて言ってっとサトシが痩せちまうだろ? 食え!」

と容赦ないお言葉。

「は、はい! いや、でも炭水化物に炭水化物はどうなのかなぁと……」

「明日ウチの野菜持ってきてやるから、今日はコレで我慢しろよ。あ、それと」

星さんは箸を置くと、居住まいを正して真剣な表情を浮かべる。

「金のことだけど。必要最低限はオレが貸してやる。だからサトシの物を勝手に売ったりとかするなよな」

星さんの言葉にわたしは何だか胸がじーんとなった。

わたしにはここまで心配してくれる友達がいるだろうか。

変な女に取り憑かれた友人から逃げもせず、サトシさんの生活を守ろうとしている。

もし、自分の体が他の人に乗っ取られてしまったら、そう考えればその恐ろしさが良くわかる。

「星さん、サトシさん。お世話になります。なるべくお二人に迷惑がかからないように気をつけます。助けてくれてありがとう」

最後は涙声になりながら、わたしは勢い良くラーメンを食べ始めた。