㉚
「だから何回も言ってるように、間違えて荷物を持って行っちゃっただけなんです」
わたしははぁはぁと肩で息をつく。何度同じことを言っても最初の質問に戻る。
「で、いつから? 誰から買ったの?」
わたしを取り調べているのは松崎刑事でも浅香刑事でもない、もっと年上のやる気のなさそうなおじさんだった。
初めからわたしの話なんか聞くつもりないんじゃないかと思うほど、同じ質問を繰り返すだけだ。
途中から同じことを繰り返すのも疲れてきた。
窓も時計もない無機質な部屋でただ時間だけが過ぎていく。
「わたしいつまでここにいないといけないんですか?」
半分泣きそうになりながら尋ねると、刑事さんは急にバンと大きな音を立てて机を叩いた。そして何度も聞いたセリフを繰り返す。
「自分のやったことをきちんと話して……」
刑事さんの言葉を遮るように、携帯電話の着信音が鳴った。
何度もきちんと話してるのに、帰らせてくれないじゃないですか、と叫びたいのにその気力もない。大きな音に驚いた心臓はバクバクと脈打っていて、喉はカラカラで、唇も乾いて上下が張りつく。
そんなわたしにはお構い無しに、刑事さんは電話に出ると、それまでとは打って変わった畏まったような声で話しながら部屋を出て行く。
「松本先生、お世話になっております。ええ、例の件ですね……」
バタンとドアが閉まる。
もう一人いた刑事さんも溜息を吐いて出て行ってしまった。
一人取り残されたわたしはしばらくじっとしていたけれど、誰も戻ってこないことが不安になってそっと椅子を立った。
ドアの前まで歩いていってノブに手をかける。
鍵がかかっていなかったとして、勝手に出て行ったら怒られるだろうか。
そんなことを考えながらノブを回そうとしたその時、勢いよくドアが開いた。
急に引っ張られて体勢が崩れ、前につんのめる。転びそうになったわたしは誰かの胸に飛び込むような形になった。
慌てて体を起こそうとしたら、そのままぎゅっと抱きしめられて身動きできなくなった。
「耀子ちゃん……!」
その声で、わたしを抱きしめているのが星さんだと分かった。
「星さん、ど、どうしてここに?」
「耀子ちゃんのお母さんから連絡があったんだ。耀子ちゃんがいなくなったって。それであの時入れたアプリ確認してもらったら、ここにいるのが分かった」
星さんは腕を解いてわたしの顔をのぞき込む。
「大丈夫だった?」
わたしはふるふると首を横に振る。全然大丈夫じゃなかった。
急に手足が震え初めて、星さんにしがみつかずにはいられなかった。
――自分の言葉を聞いてもらえない
それは魂だけの存在になった時の不安に似ていた。必死に抗っていないと負けてしまいそうだった。
長時間、その緊張に晒された後で星さんの顔を見て、せき止めていた感情が溢れ出しそうになっていた。
「……怖かった……」
それ以外の言葉が出てこなかった。
星さんは再びわたしをふわりと抱きしめて、何度も髪や背中を撫でてくれた。
お腹がぐぅーと鳴いて、恥ずかしさに縮こまるわたしを星さんが警察署の外へと連れ出してくれた。
「もう帰ってもいいんでしょうか」
「当然だよ。耀子ちゃんがここにいる理由ないから」
「でも黙って帰るのは……」
「松崎先輩に話しといたから大丈夫」
星さんはそう言ったけれど、わたしの中にはモヤモヤとした物が燻っている。
「その松崎刑事さんて……」
信用できるんですか、という言葉は飲み込んだ。星さんの表情には松崎刑事を疑っているような様子がなかったから。
確かに状況だけ見れば疑われてもおかしくない。
そう思ってみても、納得できない気持ちは拭えない。でもこの時はとても疲れていてこのことについて考える力は残っていなかった。
外に出ると微かに夕焼けを残した空が藍色に染っていくところだった。
「お、ちょうどいいタイミングで来た」
星さんが片手を上げると、一台の車がわたしたちの前に止まった。
中から降りて来たのはサトシさんだった。
「耀子、大丈夫か?」
心配そうなサトシさんの声に今度は頷く。まだ名前を呼ばれると胸の中がふわふわするようなくすぐったさを覚える。
お兄ちゃんと呼ぶことはこの先もないだろうけれど、自分を心配してくれる兄がいることが、心強くて嬉しい反面、何故か泣きたい気持ちになった。
わたしはサトシさんが好きだ。もちろん恋愛感情というのではなくて、人間として。その優しさや強さに憧れるし、そんな人が肉親だと思うと誇らしい気持ちになる。
ただ、普通の兄妹のように過ごすことはこの先もないのかもしれないという、縮まらない距離のせいかもしれない。
わたしたちは星さんの誘いで、星さんの家で晩御飯をご馳走になることになった。
星さん家までの車内で、今回の事件について星さんが調べたことについてサトシさんと話している。
わたしは車の揺れにうつらうつらしながらそれを聞いていた。
星野農園には大分前から土地の買い上げの話があったらしい。
星さん家にはもちろん土地を手放すつもりなんてなく、その話は突っぱねていたものの、何度か嫌がらせを受けたこともあるらしい。
どこかに明野農園の土地を手に入れたがっている人がいるようだ。
今回の事件は悪評を流して農園の経営を行き詰まらせ、土地を手放さざるを得なくしようとしたのではないかということだった。
そこまでして他人の物を欲しがる心理が、わたしには理解できない。
「反撃する」
食卓にズラリと並んだ夕食を囲んで、星さんは力強くそう宣言した。
給食の事件以来、交替で見張りをしたり、防犯カメラを取り付けるなど、明野農園では対策を取り続けてきたらしい。
けれど、飛び地にある畑の全てを24時間監視し続けることは現実的に困難だ。
明野家の人達にも疲労の色が濃く浮かんでいる。
「攻撃は最大の防御ってことか……」
お父さんが腕組みをして唸る。
「具体的にはどうするつもりだ?」
サトシさんがそう聞くと、星さんは机の上に置いてあった一枚の紙を取り上げ、ピシッと指で弾いた。
「犯人をおびき寄せる」
星さんが持っている紙は何かのイベントのチラシのようだった。
「うちの農園の野菜をピーアールするイベントをやる。試食会に人が集まれば、犯人が何か仕掛けてくるはずだ。そこを押さえる!」
「そんなに上手くいくかしらねぇ」
お母さんが天ぷらが乗ったお皿を運んできて、食卓の真ん中に置きながら心配そうに言う。
揚げたての野菜の天ぷらはキラキラと輝いているようで、衣の下にうっすらとのぞく野菜の鮮やかな黄色や緑に食欲をそそられる。
「耀子ちゃんたくさん食べてね」
「揚げたてが美味いんだ。さぁ先に食べよう」
「お母さん塩がないよ」
「星、お塩取ってきて」
「サトシ君、泊まって行くならビール飲むだろ?」
星さんの話はそっちのけで、メインの天ぷらがきたことによって食卓が一気に活気付く。
星さんも諦めたのか椅子に腰を下ろすと、いただきますと言って箸をとる。
「わたしにも手伝わせてください」
玉ねぎの天ぷらに箸を伸ばした星さんにそう言うと、「助かる」と返事が返ってきた。そのことにホッとする。
必要ないって言われたらきっと凹んでただろう。
お母さんの揚げた山盛りの天ぷらがすっかりみんなのお腹に収まると、おばあちゃんが熱いお茶をいれてくれた。
「若い人はコーヒーの方が良かったかねぇ」
そう言いながら、うちの三倍は入りそうな大きな急須で注がれるお茶は、香ばしくて美味しかった。
後片付けを手伝おうと流しの方へ行くと、お母さんがわたしの肩を掴んで回れ右させる。
「次は手伝ってもらうわね。でも今日は大変だったでしょ。サトシ君と積もる話もあるんじゃない?」
驚くわたしにお母さんは「サトシ君の妹なんだってね」と続けた。
お母さんが知っているということは星さんも既に知っているのだろう。
前に星さんがサトシさんには身寄りがいないと言っていたのを思い出す。
サトシさんのお母さん……、つまりわたしの実の母親はもうこの世にいないということだ。その事もサトシさんに聞きたかったけれど、まだ聞けていない。
そして尚也さんのお母さんがどうしているのかも気になっていた。
「だから何回も言ってるように、間違えて荷物を持って行っちゃっただけなんです」
わたしははぁはぁと肩で息をつく。何度同じことを言っても最初の質問に戻る。
「で、いつから? 誰から買ったの?」
わたしを取り調べているのは松崎刑事でも浅香刑事でもない、もっと年上のやる気のなさそうなおじさんだった。
初めからわたしの話なんか聞くつもりないんじゃないかと思うほど、同じ質問を繰り返すだけだ。
途中から同じことを繰り返すのも疲れてきた。
窓も時計もない無機質な部屋でただ時間だけが過ぎていく。
「わたしいつまでここにいないといけないんですか?」
半分泣きそうになりながら尋ねると、刑事さんは急にバンと大きな音を立てて机を叩いた。そして何度も聞いたセリフを繰り返す。
「自分のやったことをきちんと話して……」
刑事さんの言葉を遮るように、携帯電話の着信音が鳴った。
何度もきちんと話してるのに、帰らせてくれないじゃないですか、と叫びたいのにその気力もない。大きな音に驚いた心臓はバクバクと脈打っていて、喉はカラカラで、唇も乾いて上下が張りつく。
そんなわたしにはお構い無しに、刑事さんは電話に出ると、それまでとは打って変わった畏まったような声で話しながら部屋を出て行く。
「松本先生、お世話になっております。ええ、例の件ですね……」
バタンとドアが閉まる。
もう一人いた刑事さんも溜息を吐いて出て行ってしまった。
一人取り残されたわたしはしばらくじっとしていたけれど、誰も戻ってこないことが不安になってそっと椅子を立った。
ドアの前まで歩いていってノブに手をかける。
鍵がかかっていなかったとして、勝手に出て行ったら怒られるだろうか。
そんなことを考えながらノブを回そうとしたその時、勢いよくドアが開いた。
急に引っ張られて体勢が崩れ、前につんのめる。転びそうになったわたしは誰かの胸に飛び込むような形になった。
慌てて体を起こそうとしたら、そのままぎゅっと抱きしめられて身動きできなくなった。
「耀子ちゃん……!」
その声で、わたしを抱きしめているのが星さんだと分かった。
「星さん、ど、どうしてここに?」
「耀子ちゃんのお母さんから連絡があったんだ。耀子ちゃんがいなくなったって。それであの時入れたアプリ確認してもらったら、ここにいるのが分かった」
星さんは腕を解いてわたしの顔をのぞき込む。
「大丈夫だった?」
わたしはふるふると首を横に振る。全然大丈夫じゃなかった。
急に手足が震え初めて、星さんにしがみつかずにはいられなかった。
――自分の言葉を聞いてもらえない
それは魂だけの存在になった時の不安に似ていた。必死に抗っていないと負けてしまいそうだった。
長時間、その緊張に晒された後で星さんの顔を見て、せき止めていた感情が溢れ出しそうになっていた。
「……怖かった……」
それ以外の言葉が出てこなかった。
星さんは再びわたしをふわりと抱きしめて、何度も髪や背中を撫でてくれた。
お腹がぐぅーと鳴いて、恥ずかしさに縮こまるわたしを星さんが警察署の外へと連れ出してくれた。
「もう帰ってもいいんでしょうか」
「当然だよ。耀子ちゃんがここにいる理由ないから」
「でも黙って帰るのは……」
「松崎先輩に話しといたから大丈夫」
星さんはそう言ったけれど、わたしの中にはモヤモヤとした物が燻っている。
「その松崎刑事さんて……」
信用できるんですか、という言葉は飲み込んだ。星さんの表情には松崎刑事を疑っているような様子がなかったから。
確かに状況だけ見れば疑われてもおかしくない。
そう思ってみても、納得できない気持ちは拭えない。でもこの時はとても疲れていてこのことについて考える力は残っていなかった。
外に出ると微かに夕焼けを残した空が藍色に染っていくところだった。
「お、ちょうどいいタイミングで来た」
星さんが片手を上げると、一台の車がわたしたちの前に止まった。
中から降りて来たのはサトシさんだった。
「耀子、大丈夫か?」
心配そうなサトシさんの声に今度は頷く。まだ名前を呼ばれると胸の中がふわふわするようなくすぐったさを覚える。
お兄ちゃんと呼ぶことはこの先もないだろうけれど、自分を心配してくれる兄がいることが、心強くて嬉しい反面、何故か泣きたい気持ちになった。
わたしはサトシさんが好きだ。もちろん恋愛感情というのではなくて、人間として。その優しさや強さに憧れるし、そんな人が肉親だと思うと誇らしい気持ちになる。
ただ、普通の兄妹のように過ごすことはこの先もないのかもしれないという、縮まらない距離のせいかもしれない。
わたしたちは星さんの誘いで、星さんの家で晩御飯をご馳走になることになった。
星さん家までの車内で、今回の事件について星さんが調べたことについてサトシさんと話している。
わたしは車の揺れにうつらうつらしながらそれを聞いていた。
星野農園には大分前から土地の買い上げの話があったらしい。
星さん家にはもちろん土地を手放すつもりなんてなく、その話は突っぱねていたものの、何度か嫌がらせを受けたこともあるらしい。
どこかに明野農園の土地を手に入れたがっている人がいるようだ。
今回の事件は悪評を流して農園の経営を行き詰まらせ、土地を手放さざるを得なくしようとしたのではないかということだった。
そこまでして他人の物を欲しがる心理が、わたしには理解できない。
「反撃する」
食卓にズラリと並んだ夕食を囲んで、星さんは力強くそう宣言した。
給食の事件以来、交替で見張りをしたり、防犯カメラを取り付けるなど、明野農園では対策を取り続けてきたらしい。
けれど、飛び地にある畑の全てを24時間監視し続けることは現実的に困難だ。
明野家の人達にも疲労の色が濃く浮かんでいる。
「攻撃は最大の防御ってことか……」
お父さんが腕組みをして唸る。
「具体的にはどうするつもりだ?」
サトシさんがそう聞くと、星さんは机の上に置いてあった一枚の紙を取り上げ、ピシッと指で弾いた。
「犯人をおびき寄せる」
星さんが持っている紙は何かのイベントのチラシのようだった。
「うちの農園の野菜をピーアールするイベントをやる。試食会に人が集まれば、犯人が何か仕掛けてくるはずだ。そこを押さえる!」
「そんなに上手くいくかしらねぇ」
お母さんが天ぷらが乗ったお皿を運んできて、食卓の真ん中に置きながら心配そうに言う。
揚げたての野菜の天ぷらはキラキラと輝いているようで、衣の下にうっすらとのぞく野菜の鮮やかな黄色や緑に食欲をそそられる。
「耀子ちゃんたくさん食べてね」
「揚げたてが美味いんだ。さぁ先に食べよう」
「お母さん塩がないよ」
「星、お塩取ってきて」
「サトシ君、泊まって行くならビール飲むだろ?」
星さんの話はそっちのけで、メインの天ぷらがきたことによって食卓が一気に活気付く。
星さんも諦めたのか椅子に腰を下ろすと、いただきますと言って箸をとる。
「わたしにも手伝わせてください」
玉ねぎの天ぷらに箸を伸ばした星さんにそう言うと、「助かる」と返事が返ってきた。そのことにホッとする。
必要ないって言われたらきっと凹んでただろう。
お母さんの揚げた山盛りの天ぷらがすっかりみんなのお腹に収まると、おばあちゃんが熱いお茶をいれてくれた。
「若い人はコーヒーの方が良かったかねぇ」
そう言いながら、うちの三倍は入りそうな大きな急須で注がれるお茶は、香ばしくて美味しかった。
後片付けを手伝おうと流しの方へ行くと、お母さんがわたしの肩を掴んで回れ右させる。
「次は手伝ってもらうわね。でも今日は大変だったでしょ。サトシ君と積もる話もあるんじゃない?」
驚くわたしにお母さんは「サトシ君の妹なんだってね」と続けた。
お母さんが知っているということは星さんも既に知っているのだろう。
前に星さんがサトシさんには身寄りがいないと言っていたのを思い出す。
サトシさんのお母さん……、つまりわたしの実の母親はもうこの世にいないということだ。その事もサトシさんに聞きたかったけれど、まだ聞けていない。
そして尚也さんのお母さんがどうしているのかも気になっていた。