⑬
夢と記憶が交錯する。
その記憶を追いかけようとすると、頭痛が酷くなった。
何か大事なことを忘れているような気がしたけれど、それよりももっと気になることを思い出した。
「花巻 燿子は……」
こんなことを言ったらわたしがサトシさんでないと佳織さんに知られてしまう。そう思いながらも、焼け付くような喉から自然と言葉が出てきた。
「507号室の患者はどうなりましたか」
「急に何……?」
「教えてください。花巻 燿子は、……死んだんですか」
「今朝のハサミ男が襲った子ね?」
やっぱりそうだったんだ。あの人はわたしを殺しに来たんだ。
でも何故?
「燿子ちゃんは生きてるよ」
星さんが慌てたようにそう言ってわたしの、サトシさんの腕を掴んだ。
「ちゃんと生きてるから」
アルコールのせいなのか、不安のせいなのか、心臓が痛い程脈打っている。
わたしを落ち着かせるように、星さんはそう繰り返した。
「理由は、……理由は分かったんですか?」
「今警察が調べてる。少し聞いた話だと、「あいつが荷物を持って行った」 そう言ってるらしい」
「荷物?」
「それが何かは言わないらしいんだけど」
佳織さんが眉根を寄せて、
「病室もすごく荒らされてて、何か探してるみたいだったのよね」
そう続けると、わたしと星さんは首を傾げて顔を見合わせた。わたしはふと思い出した。
「そういえばエレベーターで……」
「エレベーター?」
あの時、エレベーターで一度荷物を下ろした。もしかしたらその時間違えてあの人の物をわたしが持って行ってしまったのかもしれない。それに気づいて追いかけてきたんだ。
「やっぱり、口封じ……かも」
わたしが招いたことだったんだ。それにしてもあんな風に脅してまで取り戻そうとする物って、もしかして……。
「昨日マンモスシティで麻薬売買が行われていたって今朝の新聞に載ってましたよね。犯人て全員捕まったんでしょうか」
星さんがわたしを見て飲みかけていたビールを吹き出しそうになった。
「麻薬売買?」
「もしかしたらうちの車に」
「燿子ちゃん何か見たの? あ、いや何か見たのかな」
「わたしが買った物を車に置きに行ったときに、エレベーターの中で一度荷物を床に置いたんです。そのあと慌てていてもしかしたら」
「間違えて麻薬の入った袋を持って行ってしまったかもしれないってことね。はい、お水」
頭を抱えるわたしに、冷えたグラスが差し出された。
「あ、ありがとうございます」
すごく喉が乾いていたので有難く受け取ると、一気に飲み干した。
「……で、あなたが花巻 燿子さん、なの?」
佳織さんの真っ直ぐな目に見つめられてむせそうになった。
「わたしに隠し事なんて百年早いのよ」
佳織さんに横目で睨まれた星さんも、頭をかいて仔犬のように項垂れている。
「わたしだって尚也の時のこと分かってるんだから、隠す必要ないじゃない」
そう言ってグラスに口を付ける。液体が揺れて照明を跳ね返す。強気な言葉とは裏腹に、その瞳は寂しそうにも不安そうにも見えた。
「……すみません。わたしのせいで……」
佳織さんに怖い思いをさせたのも、もともとはわたしのせいだ。大事な人の体を奪っておきながら、そのことをちゃんと話さなかったことにも、今更ながら気付いて申し訳なくなる。
「あなたのせいじゃないわ。サトシはそう言う奴なの」
佳織さんはさらっとそう言ったけれど、わたしは胸がズキンと痛んだ。
サトシさんと佳織さんの間にどんな事情があるのかは分からない。
でもサトシさんのことで、佳織さんはいろんなことを諦めたり我慢したりしているんじゃないだろうか。
お互いに思い合ってるのに付き合わないってそういうことに思えた。
「ちょっ、その顔で泣かないでよ!」
佳織さんがギョッとしたようにおしぼりを差し出す。
この胸の切なさはきっとサトシさんのものだ。勝手に流れる涙にどうしようもなくて、わたしは堪えきれずに佳織さんを抱きしめた。
「や、やめてよ。いきなり何するのっ」
身を捩る佳織さんから腕を解くと、佳織さんは顔を背けて立ち上がった。
そのまま、化粧室、と言って席を離れていく。その背中をぼんやり見送っていると、
「もう、戻ってこないのかと思ったよ」
星さんがそう言って溜息を吐きながら、わたしの横の席に移動してきた。
「……わたしも、今までどこにいたのか分からないんです。あの時病院で、こっちの世界の燿子が、その、……死んでると思って。燿子の魂に触れようとした瞬間静電気みたいなのに弾かれて、気がついたら道の真ん中に立ってました」
周囲は賑やかな話し声が溢れ、小声でなくても隣の席には聞こえなさそうだった。
でも、話している内容はあまり他の人に聞かれたくない。自然と声のトーンが落ちる。
それにつられて星さんの顔が近くなる。
「それで、どうやってここに?」
「分かりません。夢を見ているみたいでした。誰かのお葬式に母と参列していて、そこに星さんもいました。その後、気付いたらここにいて……」
「じゃあ、表に出てないだけで、ずっとサトシの中にいたのかもしれないね。かなり怖い思いしただろうし」
グラスを見つめる星さんの横顔から目が離せなかった。
がっかりしただろうか。
やっと出ていったと思ったわたしが、また現れて。
わたしの視線に気付いた星さんと目が合う。
再び胸が軋むような痛みを覚える。
「すみません……」
「謝んなくていいって。乗りかかった船じゃん? 最後まで付き合うよ。だから、……諦めるなよ」
「……はい」
今度は胸が熱くて、また泣いてしまいそうだった。
目を赤くした佳織さんが戻ってきた。泣かせてしまったことを謝ろうとするわたしに、佳織さんは先回りして「コンタクトがズレただけ」と言う。
「何か頼む?」
星さんがメニューを開いて、これが美味しいとかお勧めを教えてくれるので、それ以上その話はできず終いだった。
夢と記憶が交錯する。
その記憶を追いかけようとすると、頭痛が酷くなった。
何か大事なことを忘れているような気がしたけれど、それよりももっと気になることを思い出した。
「花巻 燿子は……」
こんなことを言ったらわたしがサトシさんでないと佳織さんに知られてしまう。そう思いながらも、焼け付くような喉から自然と言葉が出てきた。
「507号室の患者はどうなりましたか」
「急に何……?」
「教えてください。花巻 燿子は、……死んだんですか」
「今朝のハサミ男が襲った子ね?」
やっぱりそうだったんだ。あの人はわたしを殺しに来たんだ。
でも何故?
「燿子ちゃんは生きてるよ」
星さんが慌てたようにそう言ってわたしの、サトシさんの腕を掴んだ。
「ちゃんと生きてるから」
アルコールのせいなのか、不安のせいなのか、心臓が痛い程脈打っている。
わたしを落ち着かせるように、星さんはそう繰り返した。
「理由は、……理由は分かったんですか?」
「今警察が調べてる。少し聞いた話だと、「あいつが荷物を持って行った」 そう言ってるらしい」
「荷物?」
「それが何かは言わないらしいんだけど」
佳織さんが眉根を寄せて、
「病室もすごく荒らされてて、何か探してるみたいだったのよね」
そう続けると、わたしと星さんは首を傾げて顔を見合わせた。わたしはふと思い出した。
「そういえばエレベーターで……」
「エレベーター?」
あの時、エレベーターで一度荷物を下ろした。もしかしたらその時間違えてあの人の物をわたしが持って行ってしまったのかもしれない。それに気づいて追いかけてきたんだ。
「やっぱり、口封じ……かも」
わたしが招いたことだったんだ。それにしてもあんな風に脅してまで取り戻そうとする物って、もしかして……。
「昨日マンモスシティで麻薬売買が行われていたって今朝の新聞に載ってましたよね。犯人て全員捕まったんでしょうか」
星さんがわたしを見て飲みかけていたビールを吹き出しそうになった。
「麻薬売買?」
「もしかしたらうちの車に」
「燿子ちゃん何か見たの? あ、いや何か見たのかな」
「わたしが買った物を車に置きに行ったときに、エレベーターの中で一度荷物を床に置いたんです。そのあと慌てていてもしかしたら」
「間違えて麻薬の入った袋を持って行ってしまったかもしれないってことね。はい、お水」
頭を抱えるわたしに、冷えたグラスが差し出された。
「あ、ありがとうございます」
すごく喉が乾いていたので有難く受け取ると、一気に飲み干した。
「……で、あなたが花巻 燿子さん、なの?」
佳織さんの真っ直ぐな目に見つめられてむせそうになった。
「わたしに隠し事なんて百年早いのよ」
佳織さんに横目で睨まれた星さんも、頭をかいて仔犬のように項垂れている。
「わたしだって尚也の時のこと分かってるんだから、隠す必要ないじゃない」
そう言ってグラスに口を付ける。液体が揺れて照明を跳ね返す。強気な言葉とは裏腹に、その瞳は寂しそうにも不安そうにも見えた。
「……すみません。わたしのせいで……」
佳織さんに怖い思いをさせたのも、もともとはわたしのせいだ。大事な人の体を奪っておきながら、そのことをちゃんと話さなかったことにも、今更ながら気付いて申し訳なくなる。
「あなたのせいじゃないわ。サトシはそう言う奴なの」
佳織さんはさらっとそう言ったけれど、わたしは胸がズキンと痛んだ。
サトシさんと佳織さんの間にどんな事情があるのかは分からない。
でもサトシさんのことで、佳織さんはいろんなことを諦めたり我慢したりしているんじゃないだろうか。
お互いに思い合ってるのに付き合わないってそういうことに思えた。
「ちょっ、その顔で泣かないでよ!」
佳織さんがギョッとしたようにおしぼりを差し出す。
この胸の切なさはきっとサトシさんのものだ。勝手に流れる涙にどうしようもなくて、わたしは堪えきれずに佳織さんを抱きしめた。
「や、やめてよ。いきなり何するのっ」
身を捩る佳織さんから腕を解くと、佳織さんは顔を背けて立ち上がった。
そのまま、化粧室、と言って席を離れていく。その背中をぼんやり見送っていると、
「もう、戻ってこないのかと思ったよ」
星さんがそう言って溜息を吐きながら、わたしの横の席に移動してきた。
「……わたしも、今までどこにいたのか分からないんです。あの時病院で、こっちの世界の燿子が、その、……死んでると思って。燿子の魂に触れようとした瞬間静電気みたいなのに弾かれて、気がついたら道の真ん中に立ってました」
周囲は賑やかな話し声が溢れ、小声でなくても隣の席には聞こえなさそうだった。
でも、話している内容はあまり他の人に聞かれたくない。自然と声のトーンが落ちる。
それにつられて星さんの顔が近くなる。
「それで、どうやってここに?」
「分かりません。夢を見ているみたいでした。誰かのお葬式に母と参列していて、そこに星さんもいました。その後、気付いたらここにいて……」
「じゃあ、表に出てないだけで、ずっとサトシの中にいたのかもしれないね。かなり怖い思いしただろうし」
グラスを見つめる星さんの横顔から目が離せなかった。
がっかりしただろうか。
やっと出ていったと思ったわたしが、また現れて。
わたしの視線に気付いた星さんと目が合う。
再び胸が軋むような痛みを覚える。
「すみません……」
「謝んなくていいって。乗りかかった船じゃん? 最後まで付き合うよ。だから、……諦めるなよ」
「……はい」
今度は胸が熱くて、また泣いてしまいそうだった。
目を赤くした佳織さんが戻ってきた。泣かせてしまったことを謝ろうとするわたしに、佳織さんは先回りして「コンタクトがズレただけ」と言う。
「何か頼む?」
星さんがメニューを開いて、これが美味しいとかお勧めを教えてくれるので、それ以上その話はできず終いだった。