⑪
わたしはブンブンと頭を振って考えを振り払った。あれもこれもと考え過ぎて、自分を見失ったらダメだ。
先ずは星さんから刑事さんの話を聞いて、叶夢君をお母さんの所へ連れて行く。それから燿子の身体に戻れるか試してみる。
身体に戻れなかった時は、ショッピングモールに行って何か手がかりがないかを探す。
もし、今日中に元に戻れなければ、明日もわたしはサトシさんの身体を乗っ取ったままになる。
サトシさんの仕事がわたしにできるはずがない。
「そう言えば星さん、叶夢君のこと以前から知ってたんですか? 昨日、そんな風に話しかけてましたよね?」
星さんから携帯電話を受け取りながら、小声で聞いてみる。
「ああ、あれね。学校の課外授業で農業体験とかするでしょ。うちの畑貸し出してるんだ。芋掘りとかにね。その手伝いで俺も畑に出てて、子どもたちと仲良くなったりするのよ」
星さんの目線の先に叶夢君の姿を見つけて、サトシさんや星さんの子どもの頃を少し想像してみた。
幼なじみで、大人になった今も仲の良い二人が羨ましい。
「芋掘りかぁ。わたしも子どもの時やりましたよ。その後濡らした新聞紙とアルミホイルに包んで焼き芋にするんですよね!」
「いや、じゃがいもの方」
「え?」
「サツマイモじゃなくて、じゃがいも」
「せっかく話を盛り上げようとしたのに、腰折らないでくださいよ」
ぷんとむくれるわたしに、ククッと笑う星さん。
その声に気付いた叶夢君が不思議そうに振り返る。
柔らかな朝の日差しに、ほんの一時、張りつめていた空気が緩むのを感じた。
それだけで希望が持てる。
「元に戻ったら星さんちのお野菜買いに行きます」
「いや、ネット販売だから」
「またー」
「嘘嘘。いつでも遊びに来てよ。めちゃくちゃ美味しい野菜ご馳走するから」
「じゃあ、わたしの顔覚えてもらえるように、今から病院行ってもいいですか? 叶夢君もお母さんの所に連れて行ってあげたいし」
少し明るくなった気持ちで持ち上げた視線の先に、じっとわたしを見つめる星さんの瞳があった。
優しげで、ほんのちょっとやるせないような苦味が残る眼差し。
その両目に見つめられて勝手に鼓動が早くなった。
それに、何だかその目に見覚えがあるような気がして、余計に胸が騒ぐ。
「前に、会ったことありましたっけ」
「俺と燿子ちゃん?」
ドキドキしてることを悟られないように視線を外しながら、こくこくと頷く。
「あるよ……、多分ね」
「いつ?」
「袖触れ合うもって言うじゃん?」
「前世とか、並行世界のどこかで、ってことですか?」
「ね? 何か意味があって繋がってる。そう考えると紫雲みたいに旅が楽しくなるかも」
何を考えているのかいまいち掴めない軽い口調で、星さんはわたしにリピートの世界を垣間見せた。
――意味があって繋がってる
わたしと、サトシさん、星さん。偶然あの場所に居合わせただけとかじゃなくて、わたし達の出会いに意味はあるのだろうか。
それに、この不可解な現象からただ元に戻ることだけを考えていたわたしに、「旅を楽しむ」という発想を与えてくれた。
もし、元に戻れずにこの状態が長く続いてしまえば、根性無しのわたしなんかきっと良からぬ考えに取り憑かれてしまうだろう。
わたしとわたしがいた世界を繋ぐ何か。
わたしと今いるこの世界を繋ぐ何か。
決して交わることの無いように見える並行世界を跨いで、わたしは一つの時間を生きている。
本当は誰も知らないだけで、みんなそうやっていくつもの世界を行き来しながら生きているのかもしれない。
その中で、今わたしの魂は迷子になっている。
仕事から、嫌な人間関係から逃げ出して、毎日を無為に過ごしていた。
ストレスから解放されたのに、何もやる気が起きなくて、毎日ただ息をしてるだけだった。だから、神様がわたしにチャンスをくれたのだろうか。
紫雲のように、暖かく誰かと触れ合って生きていけるように。
サトシさんの体に入って、自分との違いに驚くことがいくつもあった。
早く長く走れたり、ビールが美味しかったり、子どもを背負って歩く逞しさだったり。
わたしが持っていないものをサトシさんはたくさん持っている。
それはわたしがダラダラと過ごしていた時間、サトシさんが体を鍛え、仕事に励んでいたから持ちえたものだ。
元に戻れたら、わたしは何がしたいだろう。
それを見つけることが、元の世界を引き寄せることに繋がるのかもしれない。
星さんの運転する車で病院へ向かった。この辺りで一番大きな救急病院が、昨日わたしが運び込まれた病院だった。
叶夢君のお母さんもその病院に運ばれたとのことだった。
叶夢君のお母さんの意識が戻っていたら、叶夢君を預かってくれる人がいないか聞けるだろう。
おそらく叶夢君にはお父さんがいないのではないだろうか。
昨日から一度もお父さんと呼んでいないし、今も病院にそれらしき姿は見当たらない。
部屋番号を確認して中に入ると、見覚えのある看護師さんの姿があった。
「またあんたたちなの?」
小声ながら呆れたような声の佳織さんに、星さんは片手を挙げて答えながら、容態について尋ねる。
「まだ抜け切ってはいないけど、意識ははっきりしてるわ」
その答えにほっと胸をなで下ろす。
「叶夢君ね? お母さんが心配してたわ」
佳織さんはしゃがんで叶夢君に目線を合わせると、そう言って叶夢君の頭を撫でた。
その自然な身のこなしにどきりとする。
立ち上がった佳織さんが、わたしを見上げて首を傾げた。
「どうしたの? 変な顔して」
そう言えば、佳織さんとサトシさんは付き合ってたんだ。あれ、もしかして今も付き合ってるんだろうか。
「べ、別に」
何だか気まずくて、真っ直ぐ顔が見られない。
「今夜いつもの店に集合ね」
「あ、そうか。今日は尚也の……」
星さんが何かを思い出して髪をくしゃりとかきあげた。
病室を出ていく佳織さんを見送る。凛と伸びた背筋が素敵で思わず見惚れるわたしの横で、星さんもその背中を見つめていた。
「サトシさんと佳織さんて、今も付き合ってるんですか?」
「付き合ってはないけど、気持ちが無いわけじゃない。ってところかな」
今も両思いってこと? お互いに思いあっているのに、付き合えない理由があるのだろうか。気にはなったものの、わたしが首を突っ込んでいい話でもない。星さんもそれ以上二人のことについては話さなかった。
「今夜何があるんですか?」
「尚也の命日に、毎年集まることにしてるんだ。あ、燿子ちゃん代理参加よろしく」
おどけてそう言った星さんの目が、いつもより輝いていないような気がしたのは気のせいだろうか。
そうこうしている間に、叶夢君のおばあちゃんが迎えに来てくれたため、わたしたちはそこで叶夢君と別れた。
叶夢君のお母さんに、何か言うべきか迷ったけれど、何も知らないわたしにはどんな言葉をかけるべきか分からなかった。
サトシさんなら、どうしただろう。
叶夢君のことを考えてあげて欲しい、そう言ったかもしれないし、叶夢君の為にも早く元気になってというようなことを言っただろうか。
わたしはまだ結婚も子育てもしたことがないから、その大変さは分からない。
ましてシングルマザーだとしたら、その疲労やストレスはわたしには想像もつかない。
かといってそれが麻薬に手を出すことを正当化できるとも思えない。
もしわたしが叶夢君の立場なら、お母さんに元気でいて欲しい。笑っていて欲しい。ただそう思うだろう。
心の中にモヤモヤとしたものが残る。
お母さんの泣き声に叶夢君の泣き声が重なるのを聞きながら、そもそもそんな物をこの田舎町に持ち込んだ犯人に対して怒りが湧いた。
「叶夢、あとでおじさんちの畑の野菜持ってきてやるよ。それ食べたらあっという間に元気になるから心配すんな」
星さんは叶夢君にそう言って手を振る。
「昨日わたしにも野菜持ってきてくれるって言ってましたね」
「マジで超美味いから!」
廊下を歩きながら、力説のあまり前を見ていなかった星さんが、走ってきた男性にぶつかった。
「あ、すいません」
くるりと反転しながら相手を見た星さんも、それを見ていたわたしも一瞬固まった。
帽子を目深に被り直して立ち去ろうとするその男性。
わたしはポケットに入れていた似顔絵を服の上から確かめた。
「昨日の!」
思わず叫んだわたしの声に、その男は走り出した。
清掃係の人が押すカートを押し飛ばし、手摺に捕まりながら前を歩いていた患者さんも押しのけるようにしてエレベーターに向かう。
「待て!」
星さんがその後を追いかける。
あっという間に廊下の角を曲がって見えなくなった二人をわたしも急いで追いかけた。
わたしはブンブンと頭を振って考えを振り払った。あれもこれもと考え過ぎて、自分を見失ったらダメだ。
先ずは星さんから刑事さんの話を聞いて、叶夢君をお母さんの所へ連れて行く。それから燿子の身体に戻れるか試してみる。
身体に戻れなかった時は、ショッピングモールに行って何か手がかりがないかを探す。
もし、今日中に元に戻れなければ、明日もわたしはサトシさんの身体を乗っ取ったままになる。
サトシさんの仕事がわたしにできるはずがない。
「そう言えば星さん、叶夢君のこと以前から知ってたんですか? 昨日、そんな風に話しかけてましたよね?」
星さんから携帯電話を受け取りながら、小声で聞いてみる。
「ああ、あれね。学校の課外授業で農業体験とかするでしょ。うちの畑貸し出してるんだ。芋掘りとかにね。その手伝いで俺も畑に出てて、子どもたちと仲良くなったりするのよ」
星さんの目線の先に叶夢君の姿を見つけて、サトシさんや星さんの子どもの頃を少し想像してみた。
幼なじみで、大人になった今も仲の良い二人が羨ましい。
「芋掘りかぁ。わたしも子どもの時やりましたよ。その後濡らした新聞紙とアルミホイルに包んで焼き芋にするんですよね!」
「いや、じゃがいもの方」
「え?」
「サツマイモじゃなくて、じゃがいも」
「せっかく話を盛り上げようとしたのに、腰折らないでくださいよ」
ぷんとむくれるわたしに、ククッと笑う星さん。
その声に気付いた叶夢君が不思議そうに振り返る。
柔らかな朝の日差しに、ほんの一時、張りつめていた空気が緩むのを感じた。
それだけで希望が持てる。
「元に戻ったら星さんちのお野菜買いに行きます」
「いや、ネット販売だから」
「またー」
「嘘嘘。いつでも遊びに来てよ。めちゃくちゃ美味しい野菜ご馳走するから」
「じゃあ、わたしの顔覚えてもらえるように、今から病院行ってもいいですか? 叶夢君もお母さんの所に連れて行ってあげたいし」
少し明るくなった気持ちで持ち上げた視線の先に、じっとわたしを見つめる星さんの瞳があった。
優しげで、ほんのちょっとやるせないような苦味が残る眼差し。
その両目に見つめられて勝手に鼓動が早くなった。
それに、何だかその目に見覚えがあるような気がして、余計に胸が騒ぐ。
「前に、会ったことありましたっけ」
「俺と燿子ちゃん?」
ドキドキしてることを悟られないように視線を外しながら、こくこくと頷く。
「あるよ……、多分ね」
「いつ?」
「袖触れ合うもって言うじゃん?」
「前世とか、並行世界のどこかで、ってことですか?」
「ね? 何か意味があって繋がってる。そう考えると紫雲みたいに旅が楽しくなるかも」
何を考えているのかいまいち掴めない軽い口調で、星さんはわたしにリピートの世界を垣間見せた。
――意味があって繋がってる
わたしと、サトシさん、星さん。偶然あの場所に居合わせただけとかじゃなくて、わたし達の出会いに意味はあるのだろうか。
それに、この不可解な現象からただ元に戻ることだけを考えていたわたしに、「旅を楽しむ」という発想を与えてくれた。
もし、元に戻れずにこの状態が長く続いてしまえば、根性無しのわたしなんかきっと良からぬ考えに取り憑かれてしまうだろう。
わたしとわたしがいた世界を繋ぐ何か。
わたしと今いるこの世界を繋ぐ何か。
決して交わることの無いように見える並行世界を跨いで、わたしは一つの時間を生きている。
本当は誰も知らないだけで、みんなそうやっていくつもの世界を行き来しながら生きているのかもしれない。
その中で、今わたしの魂は迷子になっている。
仕事から、嫌な人間関係から逃げ出して、毎日を無為に過ごしていた。
ストレスから解放されたのに、何もやる気が起きなくて、毎日ただ息をしてるだけだった。だから、神様がわたしにチャンスをくれたのだろうか。
紫雲のように、暖かく誰かと触れ合って生きていけるように。
サトシさんの体に入って、自分との違いに驚くことがいくつもあった。
早く長く走れたり、ビールが美味しかったり、子どもを背負って歩く逞しさだったり。
わたしが持っていないものをサトシさんはたくさん持っている。
それはわたしがダラダラと過ごしていた時間、サトシさんが体を鍛え、仕事に励んでいたから持ちえたものだ。
元に戻れたら、わたしは何がしたいだろう。
それを見つけることが、元の世界を引き寄せることに繋がるのかもしれない。
星さんの運転する車で病院へ向かった。この辺りで一番大きな救急病院が、昨日わたしが運び込まれた病院だった。
叶夢君のお母さんもその病院に運ばれたとのことだった。
叶夢君のお母さんの意識が戻っていたら、叶夢君を預かってくれる人がいないか聞けるだろう。
おそらく叶夢君にはお父さんがいないのではないだろうか。
昨日から一度もお父さんと呼んでいないし、今も病院にそれらしき姿は見当たらない。
部屋番号を確認して中に入ると、見覚えのある看護師さんの姿があった。
「またあんたたちなの?」
小声ながら呆れたような声の佳織さんに、星さんは片手を挙げて答えながら、容態について尋ねる。
「まだ抜け切ってはいないけど、意識ははっきりしてるわ」
その答えにほっと胸をなで下ろす。
「叶夢君ね? お母さんが心配してたわ」
佳織さんはしゃがんで叶夢君に目線を合わせると、そう言って叶夢君の頭を撫でた。
その自然な身のこなしにどきりとする。
立ち上がった佳織さんが、わたしを見上げて首を傾げた。
「どうしたの? 変な顔して」
そう言えば、佳織さんとサトシさんは付き合ってたんだ。あれ、もしかして今も付き合ってるんだろうか。
「べ、別に」
何だか気まずくて、真っ直ぐ顔が見られない。
「今夜いつもの店に集合ね」
「あ、そうか。今日は尚也の……」
星さんが何かを思い出して髪をくしゃりとかきあげた。
病室を出ていく佳織さんを見送る。凛と伸びた背筋が素敵で思わず見惚れるわたしの横で、星さんもその背中を見つめていた。
「サトシさんと佳織さんて、今も付き合ってるんですか?」
「付き合ってはないけど、気持ちが無いわけじゃない。ってところかな」
今も両思いってこと? お互いに思いあっているのに、付き合えない理由があるのだろうか。気にはなったものの、わたしが首を突っ込んでいい話でもない。星さんもそれ以上二人のことについては話さなかった。
「今夜何があるんですか?」
「尚也の命日に、毎年集まることにしてるんだ。あ、燿子ちゃん代理参加よろしく」
おどけてそう言った星さんの目が、いつもより輝いていないような気がしたのは気のせいだろうか。
そうこうしている間に、叶夢君のおばあちゃんが迎えに来てくれたため、わたしたちはそこで叶夢君と別れた。
叶夢君のお母さんに、何か言うべきか迷ったけれど、何も知らないわたしにはどんな言葉をかけるべきか分からなかった。
サトシさんなら、どうしただろう。
叶夢君のことを考えてあげて欲しい、そう言ったかもしれないし、叶夢君の為にも早く元気になってというようなことを言っただろうか。
わたしはまだ結婚も子育てもしたことがないから、その大変さは分からない。
ましてシングルマザーだとしたら、その疲労やストレスはわたしには想像もつかない。
かといってそれが麻薬に手を出すことを正当化できるとも思えない。
もしわたしが叶夢君の立場なら、お母さんに元気でいて欲しい。笑っていて欲しい。ただそう思うだろう。
心の中にモヤモヤとしたものが残る。
お母さんの泣き声に叶夢君の泣き声が重なるのを聞きながら、そもそもそんな物をこの田舎町に持ち込んだ犯人に対して怒りが湧いた。
「叶夢、あとでおじさんちの畑の野菜持ってきてやるよ。それ食べたらあっという間に元気になるから心配すんな」
星さんは叶夢君にそう言って手を振る。
「昨日わたしにも野菜持ってきてくれるって言ってましたね」
「マジで超美味いから!」
廊下を歩きながら、力説のあまり前を見ていなかった星さんが、走ってきた男性にぶつかった。
「あ、すいません」
くるりと反転しながら相手を見た星さんも、それを見ていたわたしも一瞬固まった。
帽子を目深に被り直して立ち去ろうとするその男性。
わたしはポケットに入れていた似顔絵を服の上から確かめた。
「昨日の!」
思わず叫んだわたしの声に、その男は走り出した。
清掃係の人が押すカートを押し飛ばし、手摺に捕まりながら前を歩いていた患者さんも押しのけるようにしてエレベーターに向かう。
「待て!」
星さんがその後を追いかける。
あっという間に廊下の角を曲がって見えなくなった二人をわたしも急いで追いかけた。