①
「車の中に荷物置いてくるから先に行ってて」
歩き疲れてお茶にしようという母にそう声をかけて地下駐車場に向かう。母娘そろって体力には自信がない。まだまだ見て回りたいから先に買った物を一旦車に運んでおこうと母と別れた。
新しくできたショッピングモールは本屋面積が広いのと、併設されたカフェの居心地が良くて最近よく来るようになった。
三階にいたわたしのところまで一階のフロアから大きな歓声と音楽が響いてきた。
休日のショッピングモールでは特設ステージで多彩なイベントが行われている。
子ども向けのキャラクターショーやお笑い芸人さんの巡業といったイベントが多いから、ステージを囲むお客さんもいつもは親子連れが多い。
でも今日のは少し違うようで、若い男の子たちが野太い声で声援を送っている。
エスカレーター近くの手すりにもたれて下を見ると、ステージに『ご当地アイドル ハニーレモンズ』の横断幕、そしてアニメから飛び出してきたようなきらびやかな衣装の女の子たちが両手を振って挨拶をしているところだった。
すぐに手すりのそばには同じように下を見ようとする人たちが集まってきた。大音量で流れる音楽は最近至るところで流れている曲だった。わたしはその場を離れ地下駐車場へと急いだ。
エレベーターに乗りこむと、バッグの中でスマートフォンがピコンと音をたてた。両手に持っていた荷物を足元に下ろし通知を確認すると、二年ほど前からはまっているWeb漫画の更新通知だった。思わず顔がゆるんだ。前回の更新から二カ月は経っている。何度も読み返しているからすぐに頭の中に前回のラストシーンが浮かんだ。
Web漫画『リピート』は、一人の青年が自分の居場所を見つけるために旅をする物語だ。
主人公の名前は紫雲。彼には並行世界を行き来する不思議な力がある。
子どもの頃、その力を使って遊んでいた紫雲はもともと自分のいた世界がどこか分からなくなる。似ているようで違う並行世界。いわゆるパラレルワールドを題材にしたお話だ。
本当の自分の家族を探し求めて旅をする紫雲だけれど、その世界にいる別の自分に会った途端、また別の世界へ飛ばされてしまう。
前回は紫雲が新たな並行世界に飛ばされるものの、そこでは自分が自分じゃなく他の誰かの体に入って目覚める、といういつもとは違う展開で終わっていたため続きが気になってしかたなかったのだ。
今すぐ読みたい気持ちを抑えて再びスマートフォンをバッグに戻す。ちょうどエレベーターの扉が開いた。慌てて荷物を持って母の車のところへ向かった。
「さっきの袋、どこへやった?」
いかにもガラの悪そうな男に腕を掴まれた。もう少しで大声で叫ぶところだったが、大勢の人が行きかうショッピングモールの中だ。寸でのところでこらえた。
「何のことですか」
「さっきエレベーターでお前が持って行ったやつだよ」
男はかぶせ気味に詰め寄ってくる。人目を気にしてか声の大きさこそ抑えてはいるけれど、その目の迫力たるや、いまだかつてテレビでしか見たことのないような代物だった。わたしは足が震えだすのを必死にこらえる。
「車に置いてきましたけど」
おびえながら答えるわたしを男はひっぱって歩き出す。逃げなくちゃ殺される。そのくらいの勢いだった。
「は、放してください」
腕を振り払いたいのに、握りつぶすつもりかと疑いたくなるような強さで掴まれていてどうにもならない。
「ちゃんとお金払ってます!」
そういうのがやっとだった。男は怪訝そうな顔でわたしを見てぱっと手を離した。
「いつ、誰に払った? こっちは現金商売なんだよ」
「買ったときに払いましたよ。お店は一回の星印良品と……」
バッグの中にレシートがあるはずだと思い、買った物だと証明しようとしたけれど、半分以上は母が支払ったものだ。
「なめてんじゃねーぞ、こら」
男の腕が振り上げられる。逃げ出したくてたまらないのにわたしの足は全然言うことをきかなくて、ぎゅっと目を瞑って身を縮こませることしかできなかった。
気が付いた時にはもう三階のフロアの手すりを見上げながら落ちていくところだった。
何が起きたのか分からない。
わたしの体は転落防止のための柵を飛び越えて、イベントに熱中する大勢の客の中へ真っ逆さまに落ちていく。
空中にぶら下がるマンモスの形をした巨大な風船をかすめて、わたしの身体は落ちていく。人は死ぬ前に走馬灯を見るっているけれど、わたしはリピートの場面を思い浮かべていた。あの続きを読まずに死ぬのは悔しすぎる。さっき読んでおけばよかった。そんな後悔とともに。
不思議と痛みは感じなかった。
ただずっしりと重い。何か巨大な物が体の上に乗っているかのようだ。身動きできず、周りの様子を見ることもできなかった。
大勢人がいる。きっとものすごい騒ぎになるだろう。
それから母のことを考えた。まさか娘が大けがしてるなんて思っていないだろう。でも三階から落ちたって聞いたら驚くに違いない。
見上げる天井ではマンモスのお腹がゆらゆらと揺れている。動けないあたりでたぶんかなり重症なのかもしれない。痛みを感じないのはもう死んじゃってるからだろうか。
わたしの下敷きになった人がいたら、その人たちも大けがをしたに違いない。なんでこんなことになっちゃったんだろう。さっきの男の人はどうしてわたしの買ったものを気にしたりしていたんだろう。わたしの買ったものなんて靴下とか布団カバーとかそんなものだ。お金だってちゃんと払った。それに万引きを取り締まる人には見えなかった。
考えてみても何も分からない。
わたしはゆっくりと目を閉じた。
しばらくするとふわりと体が浮くような感じがした。
病院に運ばれるのかな。
完全に意識を手放す直前、誰かが「サトシ、サトシ」と呼ぶのが聞こえた。
巻き添えになった人の名前だろうか。大怪我したのかな。
そしてわたしは完全に意識を手放した。
「車の中に荷物置いてくるから先に行ってて」
歩き疲れてお茶にしようという母にそう声をかけて地下駐車場に向かう。母娘そろって体力には自信がない。まだまだ見て回りたいから先に買った物を一旦車に運んでおこうと母と別れた。
新しくできたショッピングモールは本屋面積が広いのと、併設されたカフェの居心地が良くて最近よく来るようになった。
三階にいたわたしのところまで一階のフロアから大きな歓声と音楽が響いてきた。
休日のショッピングモールでは特設ステージで多彩なイベントが行われている。
子ども向けのキャラクターショーやお笑い芸人さんの巡業といったイベントが多いから、ステージを囲むお客さんもいつもは親子連れが多い。
でも今日のは少し違うようで、若い男の子たちが野太い声で声援を送っている。
エスカレーター近くの手すりにもたれて下を見ると、ステージに『ご当地アイドル ハニーレモンズ』の横断幕、そしてアニメから飛び出してきたようなきらびやかな衣装の女の子たちが両手を振って挨拶をしているところだった。
すぐに手すりのそばには同じように下を見ようとする人たちが集まってきた。大音量で流れる音楽は最近至るところで流れている曲だった。わたしはその場を離れ地下駐車場へと急いだ。
エレベーターに乗りこむと、バッグの中でスマートフォンがピコンと音をたてた。両手に持っていた荷物を足元に下ろし通知を確認すると、二年ほど前からはまっているWeb漫画の更新通知だった。思わず顔がゆるんだ。前回の更新から二カ月は経っている。何度も読み返しているからすぐに頭の中に前回のラストシーンが浮かんだ。
Web漫画『リピート』は、一人の青年が自分の居場所を見つけるために旅をする物語だ。
主人公の名前は紫雲。彼には並行世界を行き来する不思議な力がある。
子どもの頃、その力を使って遊んでいた紫雲はもともと自分のいた世界がどこか分からなくなる。似ているようで違う並行世界。いわゆるパラレルワールドを題材にしたお話だ。
本当の自分の家族を探し求めて旅をする紫雲だけれど、その世界にいる別の自分に会った途端、また別の世界へ飛ばされてしまう。
前回は紫雲が新たな並行世界に飛ばされるものの、そこでは自分が自分じゃなく他の誰かの体に入って目覚める、といういつもとは違う展開で終わっていたため続きが気になってしかたなかったのだ。
今すぐ読みたい気持ちを抑えて再びスマートフォンをバッグに戻す。ちょうどエレベーターの扉が開いた。慌てて荷物を持って母の車のところへ向かった。
「さっきの袋、どこへやった?」
いかにもガラの悪そうな男に腕を掴まれた。もう少しで大声で叫ぶところだったが、大勢の人が行きかうショッピングモールの中だ。寸でのところでこらえた。
「何のことですか」
「さっきエレベーターでお前が持って行ったやつだよ」
男はかぶせ気味に詰め寄ってくる。人目を気にしてか声の大きさこそ抑えてはいるけれど、その目の迫力たるや、いまだかつてテレビでしか見たことのないような代物だった。わたしは足が震えだすのを必死にこらえる。
「車に置いてきましたけど」
おびえながら答えるわたしを男はひっぱって歩き出す。逃げなくちゃ殺される。そのくらいの勢いだった。
「は、放してください」
腕を振り払いたいのに、握りつぶすつもりかと疑いたくなるような強さで掴まれていてどうにもならない。
「ちゃんとお金払ってます!」
そういうのがやっとだった。男は怪訝そうな顔でわたしを見てぱっと手を離した。
「いつ、誰に払った? こっちは現金商売なんだよ」
「買ったときに払いましたよ。お店は一回の星印良品と……」
バッグの中にレシートがあるはずだと思い、買った物だと証明しようとしたけれど、半分以上は母が支払ったものだ。
「なめてんじゃねーぞ、こら」
男の腕が振り上げられる。逃げ出したくてたまらないのにわたしの足は全然言うことをきかなくて、ぎゅっと目を瞑って身を縮こませることしかできなかった。
気が付いた時にはもう三階のフロアの手すりを見上げながら落ちていくところだった。
何が起きたのか分からない。
わたしの体は転落防止のための柵を飛び越えて、イベントに熱中する大勢の客の中へ真っ逆さまに落ちていく。
空中にぶら下がるマンモスの形をした巨大な風船をかすめて、わたしの身体は落ちていく。人は死ぬ前に走馬灯を見るっているけれど、わたしはリピートの場面を思い浮かべていた。あの続きを読まずに死ぬのは悔しすぎる。さっき読んでおけばよかった。そんな後悔とともに。
不思議と痛みは感じなかった。
ただずっしりと重い。何か巨大な物が体の上に乗っているかのようだ。身動きできず、周りの様子を見ることもできなかった。
大勢人がいる。きっとものすごい騒ぎになるだろう。
それから母のことを考えた。まさか娘が大けがしてるなんて思っていないだろう。でも三階から落ちたって聞いたら驚くに違いない。
見上げる天井ではマンモスのお腹がゆらゆらと揺れている。動けないあたりでたぶんかなり重症なのかもしれない。痛みを感じないのはもう死んじゃってるからだろうか。
わたしの下敷きになった人がいたら、その人たちも大けがをしたに違いない。なんでこんなことになっちゃったんだろう。さっきの男の人はどうしてわたしの買ったものを気にしたりしていたんだろう。わたしの買ったものなんて靴下とか布団カバーとかそんなものだ。お金だってちゃんと払った。それに万引きを取り締まる人には見えなかった。
考えてみても何も分からない。
わたしはゆっくりと目を閉じた。
しばらくするとふわりと体が浮くような感じがした。
病院に運ばれるのかな。
完全に意識を手放す直前、誰かが「サトシ、サトシ」と呼ぶのが聞こえた。
巻き添えになった人の名前だろうか。大怪我したのかな。
そしてわたしは完全に意識を手放した。