女性から解放された弥生は先に家の中に入って待っていると、しばらくして朧も戻って来る。

「朝から疲れたな」
「朝食を温め直しますね」
「ああ。助かる……」

 話しながら居間に入って来た朧だったが、弥生の姿を見たまま固まってしまう。弥生は微笑むと、立ち上がったのだった。

「着替えてみました。どうですか?」

 弥生は洋服から昨晩朧が用意してくれた小花柄に濃紺の小紋に着替えていた。薄茶の帯には白の帯締めと白と茶の帯留めもしていたのであった。

「着物を着たことがあまりなくて、さっきお隣の奥さんに着方を聞いたんです。似合っていればいいんですが……」
「着方が分からなかったら無理に着なくても良かったんだ。ただあった方がいいと思って用意しただけで……」
「でも折角用意してくださったんです。着ないのも失礼ですし、何より今後ここで暮らしていくのなら知っていた方がいいと思って……」

 さっきの結婚の申し出の返事をしていなかったことを思い出して言えば、朧はハッとした表情の後に顔を赤く染める。
 
「大したものじゃない。母の着物だから多少古臭く、お前の好みに合わないかもしれないが……」
「朧さんのお母さんのものだったんですね! デザインも大人っぽくて素敵なので気に入りました!」

 お隣の奥さんの借りた化粧品で薄っすらと化粧も施した顔で微笑むと、朧は顔を赤くしてますます固まってしまったのであった。そんな初心な反応に笑っていると、突然朧が手を伸ばしてくる。じっと様子を伺っていると、朧は弥生の着物の衿に触れたのであった。

「朝飯より先に着付けをやり直した方がいいかもしれないな。前合わせが逆だ」
「えっ!? でも右前って言いますよね?」
「ここでいう『前』というのは『先』という意味だ。つまり右が先ということだ。右利きなら左が上の方が懐に手を入れやすいだろう」
「そんな……」
「慣れるまでは俺が着付ける。そのまま外に出られたらこっちが恥ずかしい……。あと、その着方だとすぐに着崩れするから腰紐もしっかり結んだ方がいい。歩き方にも気を付けるんだ」
「は~い……」

 さっきの意趣返しなのか肩を落とす弥生を見て笑っていた朧だったが、不意に思い出したのか話し出す。
 
「でもその着物はよく似合っている。朝飯を済ませたら買い物に行こう。最近は現世の影響を受けて西洋の絵柄を取り入れた反物も増えている。いくつか見繕ってもらおう」
「いいんですか?」
「お前の生活用品や食料も買いに行って、何よりも役場に婚姻届を出しに行かないといけないしな。大変かもしれないが、付き合ってくれるか?」
「勿論です。荷物持ちも任せて下さい!」

 弥生の返事に満足したのか朧は頷くと、目を逸らしながら話し出す。
 
「それから一つ頼みがあるんだ。聞いてくれるか?」
「私に出来ることでしたら」
「背中に怪我を……さっき乱暴に扱われたからか古傷が開いてな。手が届かないから薬を塗ってくれないか? 傷なんて触りたくないし、そもそも見たくもないかもしれないが……」
「それくらいなら大丈夫です! 怪我の具合は大丈夫ですか? すぐに薬をお持ちします!」

 薬棚に向かおうと小走りになると、朧が後を追いかけてくる。
 
「待て! すぐじゃなくていい! 先にお前の着付けを直す!」
「着付けなんて後でも問題ありません。今は朧さんの怪我が大切です!」
「既に着崩れしているのに何を言っている!」

 朧に言われて立ち止まれば、帯が緩んで肩から着物が下がっていた。慌てて衿を合わせれば後ろから朧に抱きしめられる。

「俺の言った通りだろう。先に着付けを直す。その後に軟膏を塗ってくれ」
「すみません。ご迷惑をおかけして……」
「迷惑だったら最初から言わない。着付けや怪我だけじゃなくて結婚もな」

 朧に抱きしめられたまま、外から見えない場所に移動すると、朧は弥生の帯に手を掛ける。

「これからよろしくな……弥生」
「よろしくお願いします。朧さん」

 朧は満足そうに笑うと、弥生の帯を解いたのであった。