「智颯……?」
さっきはまるで思い出せなかった少年の名前が、わたしの口から嘘みたいに自然にこぼれた。
どうして今まで忘れていたのだろう。
少年の言うとおり、わたしは十年前にたしかに彼に会っている。
あのときの彼は、わたしと同じような六歳くらいの小さな子どもだった。不思議な見た目と服装をした彼と別れて家に帰ると、大げんかしたはずのパパとママが仲直りをしていた。それ以来、わたしのパパとママはすごく仲良しで、一度もケンカをしていない。
「やっと思い出したか」
目の前の少年――、智颯が満足げに微笑む。
「あのとき、パパとママが仲直りしたのは、あなたがわたしの願いを叶えてくれたからなの?」
「あぁ。おれがおまえに力を貸してほしいと清良様に口添えしてやった」
「清良様?」
「清良様は、おれがお仕えしている、あの山の周囲一帯を守っていた女神様だ」
「あの山って……」
「彩寧の祖母の家の裏山だ」
女神様とか、その人にお仕えしているとか。智颯の言っている意味がよくわからない。
だけど、この人は……。
「清良様はあの辺りの氏神として祀られていたが、あの神社には、もう何十年も前から管理するものがいない。神を信仰する者もいない。神の力は、神社に訪れる人間の信仰心があればこそ発揮できる。清良様の神力が弱まってしまったのは、あの神社を訪れるものが減ったせいだ。清良様の神力を復活させるには、人の前に実態を晒すことができるおれたちが、神を信仰するものの力を借りなければいけない。だから十年前、おれはあの神社に願い事をしにきたおまえと契約を結んだ」
「契約……?」
「契約を結んだあと、おまえがぱったりと神社に来なくなり、ついに二年前に清良様の社がここの神社に移されたときはさすがに焦った。清良様の力が弱まっていたせいで、もしかしたらおまえとの縁がうまく結べなかったのかもしれないと心配していたが。どうやら、まだちゃんと繋がっていたらしい」
智颯がわたしの左手の薬指の付け根を撫でて、ニヤリと笑う。その笑みを見た瞬間、わたしは左手の薬指に痣ができた理由を唐突に思い出した。
左手を見る度に変だと思っていた痣は、生まれつきなんかじゃない。十年前、智颯に噛まれてできたものだ。



