「な、凪さま!! 戻ってきた鵺の小姓たち、オイラの言うこと聞いてくれないぞ!!」
バタバタと騒がしい喧騒が大広間に響き渡る。
並んだ料理のお膳を前に、涙目で毛を逆立てるセンリの横には、識が呼び戻した使用人たちが並んでいた。
「……はぁ、何も考えてないにゃんこはええなぁ。僕にはこの赤かまぼこすら灰色に見えるわ」
薄くスライスされたかまぼこを箸の先でつまんだ凪が、恨みがましい目で虚空を見つめている。
その表情を見て何か口を挟もうかと迷う香夜だったが、ここで何かを言ったところで逆効果だろう。
「ねえ、かまぼこをこっちに向けてくるのやめてくんない? 俺、練り物嫌いなんだよね」
口いっぱいに食べ物をほおばりながら、心底嫌そうにそう言った伊織。
死んだ魚のような目には、軽蔑と侮蔑の色が浮かんでいる。あんな眼差しを向けられた暁には、声を上げて泣いてしまうと香夜は思う。
しかし、凪は全く気にしてない様子でかまぼこをいじり続け、キッと伊織をにらんで口を開いた。
「はぁ? 伊織には失恋した大親友を慰める心意気ってもんがないんか? この冷血漢! まあまだ諦めたつもりはないけどなぁ!」
「……うっざ、近寄らないで。もっと離れて、不快だから喋らないで」
「てか、香夜ちゃんが生まれた時から見守っとったって何!? そんなん勝てるわけないやん、てか何で僕らに何も言ってくれんかったんやと思う!?」
「お前に信用がないからだろ」
「はああぁ!?」
伊織は、有栖に操られていた妖の治療をするためにしばらくこの屋敷に常駐することになった。
でもこの様子を見る限り、きっとすぐ城下に戻ってしまうだろう。
揺らぐ狐火がこちらまで漂ってきて、ほう、と庭を照らす。
色とりどりの鮮やかな花々が咲いた庭の中心には、桜の大樹が立っている。
「……どうした、そんなに嬉しそうな顔をして」
柔く響いた声に香夜が振り返ると、盃を片手に縁側に腰かけた識と目が合った。
少し着崩された着流しの下で、常夜頭の印が赤く光を持っている。
「嬉しいの。……なんでもない日常が、こうして繰り広げられているのが」
そう言うと、識は目を細め、こちらにこいと言うように片手を広げた。
素直に従い識の胸元に収まると、そのまま強く抱きすくめられる。首元に口づけた識の冷たい唇に、頬が燃えるのを感じた。
識に浮かんでいた徒花のアザは、有栖が死んだあと、身を散らせるようにして消えていった。
それとは関係なく、香夜と触れ合うたびに魔力が増幅していっているらしい。
そのせいか否か、識からの甘い触れ合いがこうして人目をはばかることなく降り注がれるため、香夜はきゅっと身を固くさせることしかできない。
「香夜、俺の背に手を回せ」
「えっ、で、でも皆が見て……」
「構わん。見せつけてやればいいだろう」
そう言って不敵に笑った美しい妖が、もう一度香夜の全身に口づけを降らせる。
香夜の身体から呉羽の意志が消えた時、識は静かにうなずき、香夜を抱きしめた。
失ったものを確かめるようにしばらく続いた抱擁のあと、識は香夜の名を呼び、眉を下げて微笑んだ。
ずっと静まり返っていた鵺屋敷が、今では橙色の光に包まれ、賑やかな笑い声溢れる場所になっている。
妖しく揺れる狐火と、どこからか聞こえてくるお囃子の音色。きらびやかな常夜の中心で、香夜を強く抱いた妖の頭が美しく微笑を湛えている。
「――識、愛してる」
――常夜の頂に立った妖と、妖のために咲いた花はどうしようもなく惹かれ合う。
「私と、生きてくれる?」
香夜の言葉に一瞬目を見開いた識の目が細まり、深くあたたかな笑みへと変わる。
「……ああ」
深く響いたその声に、香夜は識を抱きしめた。
お互いの存在を確かめるように重なる体温が愛おしい。
春風に吹かれた薄紅が舞い散る縁側で、その温度は、いつまでも冷めることなく二人を包み込んでいた。
【完】