「私の中に……呉羽さんが眠ってる……?」

 香夜の声が震える。一体どういうことなのか、と続けようとしたその時。
 伊織の眼光が一瞬強くなり、身体の近くで何かが素早く動く気配がした。
 目に見えない速さで香夜の顎先に小刀を向けた伊織が、瞳孔を開き切ったままこちらを見ていた。

 突然のことで反応することができず、一寸ほどの息をのみこんだ音が香夜の喉を鳴らす。

「今まで何の自覚症状もなかったってわけ? 呉羽の……断片のようなものが、あんたの中に丸々残ってるんだ。言いかえるならあんたは、外側だけ変えた呉羽本人って言ってもおかしくない。何の記憶もないっていうのはさすがに不自然だろ」
「……っ、何も知らない! 私は、本当に!」

 呼吸するのもはばかられるほどの距離に這わせられた鋭い刀に、香夜はそれ以上の言葉を失う。
 ――自分の中に、違う人間が眠っている?
 ――外側だけ変えた、本人そのもの?
 意味がわからないにもほどがある。

「……気でも狂ったか伊織、その手どけろ」

 そう言って凪が伊織の肩に手をかけた瞬間、香り高い風が室内に吹き込んだ。
 一秒と経たずして凪の周りに渦巻いていくのは、怒りの色を含んだ魔力の層。

 伊織と凪、二人の濃い魔力の香りを感じる。
 華の芳香だけで気を失ってしまいそうなほどだ。

「凪こそどうかしてるんじゃないの? 何でこの女をかばう? こいつの中には確実に呉羽がいる。危険だ、ここで始末しておくべきだろう」

 伊織が持った小刀が香夜の皮膚に触れ、ふるりと震える。
 この気配は、本気だ。本気で、刺そうとしている。それが安易に伝わってくる。

「……この子は、識の花贄や。僕らがどうこうしていい相手ちゃう」
「花贄だから何? そもそもどうして生かしてるんだ? さっさと血だけ奪って識に飲ませりゃいいでしょ。それとも、呉羽が中にいるから殺せない? はっ、いるから(・・・・)こそ殺すべきなんだろ!」

 叫びにも似た伊織の声。
 処理できないままぐるぐると迷走した脳内で、誰かが笑っているような気がする。
 胸の中で鳴る鼓動が、笑い声に合わせて早くなる。

「おい、いい加減にせえよ。呉羽は今関係ないやろ、姫さんを殺す理由なんてない。それとも何や、僕と遊んでくれるつもりなん? 伊織」

 凪の口調はおどけているものの、気配は完全に敵を前にしたそれである。
 低いところで息を吐き、風が吹き付けるたびに凪の魔力が高まっていくのがわかった。

「凪こそ質問に答えろよ。どうしてこの女を生かしてる? わざわざ俺のとこまで連れてきて、何が目的だ? 俺はこの女が単に呉羽の生まれ変わりだったとしてもこうして始末するつもりだった。だから中に入れたんだよ」

 伊織は依然として鋭い刀をこちらに向け、冷たい眼差しで香夜を見下している。
 手のひらに収まるほどの小刀は上を向いており、それが単なる脅しではないことを強調していた。

「はは、僕かて驚いとるんやで、びっくりしすぎて内臓出そうやわ。せやけど、いくら呉羽が中におるって言ったって、姫さんは姫さんや。気配だって別もんや。それに、僕が守るって約束してもうたさかい」
「……答えになってないんだけど」

 呆れたようにそう言うと、伊織の刀を持った手がわずかに下がる。

「ちょっと、待って、……っ、私の中で、呉羽さんが生きてるってこと? こうして私が息をしている間にも、私の中で眠ってるってこと?」

 矢継ぎ早に、香夜の口から言葉があふれ出す。すると、伊織が無表情のままこちらを見た。

「そうだ。呉羽が目を覚ましたら、あんたの意識はなくなるはずだ」

 伊織の返答に、頭が真っ白になる。理解しようと思ってもできなかった。
 もし、自分の中に眠っているという呉羽が記憶を取り戻してしまえば――。
 もし彼女が意志を取り戻し、長い眠りから目を覚ましてしまったとしたら、ここにいる(・・・・・)自分はどうなってしまうのだろう。
 意志は。感情は。全て、束の間の夢を見ていたように、乗っ取られてしまうのだろうか。
 ――まぶたの裏でいつも見ていた、白昼夢のように。

「……識は、呉羽の面影をずっと追ってたよ。笑えるな、何百年ぶりに会えた想い人が、また自分の手で殺さなくてはいけない花贄だったなんて」

 先程の殺意がこもった気配は消え、伊織が力なくつぶやいた。
 そう言った伊織の手のひらの中、握りしめられたままだった小刀がカラリと地面に落ちる音がする。
 伊織はそのまま、ゆっくりと凪と香夜の方を見やり、再び口を開いた。

「笑えるけど、あんまりだろ。俺たちで殺してやるべきだ。識はこのまま放っておくと、呪いが進行して確実に死ぬ。それを抜きにしても、もし花贄を殺せないことが鵺と対立してる勢力に知られたら? 呪いに侵され、花贄を殺すこともできない常夜頭を攻め落とすなら今だと総力戦をかけてくるに決まってる」

 そう言って、顔を歪ませて切なげに笑ってみせた伊織。
 やっと、識が香夜を殺さなかった理由がわかった気がした。
 苛立ちと、哀切、そして焦がれるような愛おしさを孕んだ瞳に何を映していたのか。
 識は、香夜を殺さなかったのではない。殺せなかったのだ。

 かつて一度失った愛おしい人に混じる香夜を排除したくても、それがかなわない苛立ち。
 もう一度失ってしまえば、またいつ生まれてくるかわからない焦燥。

 心の一部、最も深い部分をもぎとられたかのような痛みが胸に走った。
 贄に選ばれてもしぶとく生き延びてやると誓ったこと。
 心にはびこる言いあらわしようのない喪失感の理由を、知りたいと願ってしまったこと自体甘かったのだろうか。

 いや、そもそも――自分は、識に、あの恐ろしい妖に、何を望んでいたのだろうか。

 伊織が、香夜をゆるりと見やる。
 髪色と同じ、薄墨色の瞳には呆然と立ちすくむ香夜自身が映っていた。

 しかし、その目は香夜を通して、他の大切なものを見ているかのように色を変える。
 伊織は、その手で香夜を殺すことで識を救おうとしている。生気がなかった彼の瞳が、今は切なさを伴なって揺れていた。

「……あ」

 香夜の頬に、一筋の涙が伝うのがわかった。
 それは、瞬きと共に零れ落ちた無意識の涙。
 そうか、自分は今傷ついているのだ。
 それすらも気が付かなかったくらい、長い間自分の心と向き合ってこなかったのだと、愕然とする。

 その時、ふわりと、沈丁花の香りがした。
 顔を上げると、凪が傷ついたような顔をして佇んでいるのが目に入る。

 ――どうして凪がそんな顔をしてるの。

 そう言おうとした時、香夜の身体は凪の大きな胸に抱きしめられていた。
 あたたかな感触と、凪の淡い香りが香夜を包み込む。

「……お願いやからそんな顔せんといて。そんな傷ついた顔されると、こっちがこたえるわ」
「……凪、」
「大丈夫や、大丈夫やから。僕が守るって言ったやろ、やから、……香夜ちゃん」

 凪が泣き出しそうな声で言った、お腹の低いところで響くような、自分の名前。
 父がつけてくれた、‟香夜”という名。
 香夜を抱きしめたまま、ゆっくりと優しく頭を撫ぜる凪の手は、少しだけ震えていた。
 随分と久しぶりに聞いたように思う自分の名前に、優しい凪の手つきに、どうしてか余計に涙があふれてくる。
 凪は柔く香夜を抱きしめたまま、伊織の方へ顔を向けた。

「……この子を殺す必要はない。殺させん。僕が伊織のところにこうやって来たんは、ただ呉羽のことを確かめてもらうためだけちゃう。伊織には、‟こっち側”についてもらいに来たんや」

 凪の腕の力が強まり、香夜の身体は一層彼の逞しい胸に押しつけられる形になった。
 いつの間にか、涙は止まっていた。それよりも、こんなにも間近で感じる凪の体温への気恥ずかしさが勝っている。
 そっと上を見上げると、視線に気が付いた凪が緩やかに笑い、香夜の髪を梳いた。

 穏やかではあるが、ひどく情感的な動きに顔が熱くなるのがわかる。
 すると、伊織の方から軽い舌打ちが聞こえた。

「……はぁ? 視覚的に不快度が増しただけなんだけど。言っとくけど、お前も一緒に始末することに何のためらいも感じないよ俺は」

「あ? 伊織が脅すのが悪いやろ。……いや、ちゃうて。話最後まで聞け。徒花の呪いと全く同じ呪詛が書かれた紙の切れ端を見つけた。空亡の書(・・・・)の切れ端や」

 香夜を抱きしめたまま、空亡、と口にした凪。
 すると、怪訝な顔をしていた伊織の表情がわずかに変わる。

「徒花の呪いと、空亡が関係しとるかもしれん。識の呪いを、花贄無しで解くことができるかもしれんのや。呉羽に深く関係した花贄やで? 空亡が食いつかんわけない。これは逆に奴らを根本から叩く絶好の機会やろ」
「……本気で言ってんの?」
「本気すぎるほど本気や。伊織、怖がっとっても何もできんやろ。こんなとこで誰とも会わずに過ごしとっても、あの頃の日々は戻ってこん。常夜の膿を出さん限りな」

 凪の声が低くなり、表情も真摯なものへと変わる。
 香夜は凪の身体の中で少しもがき、緊迫した表情を浮かべる伊織と凪を見て口を開いた。

「えっと、凪……」
「あぁ、ごめんな苦しかった?」
「いや、いつまでこうしてるのかなって……」

 香夜がそう言うと、凪は少し考えこむような仕草を取った。
 抱きしめる腕を解く気はないようで、香夜は心の中で、疑問符を浮かべる。
 最初は柔く背に回っていた手も遠慮が消えて力が増し、今では香夜の頭の上に顎を置いていた。

「香夜ちゃんが―――、」

 凪がそう言いかけた瞬間、外で何かが大きく爆ぜるような破壊音が鳴り響いた。

「……!?」

 瞬時に身を翻し、瞳孔を開いて小刀を持つ伊織と、香夜をかばうようにして自身の身体で覆いこむ凪。
 何が起こったのだろうか。
 そう思って窓の方に顔を向けようとした時、言葉にならない言葉を叫びながら近づいてくるハイトーンの声が聞こえた。

 刹那、大きな毛玉状の何かが扉を破り、部屋の中に入ってくる。

「……っ凪さま!! 香夜!!」
「センリ!?」

 勢いよく放たれた砲弾のように飛びこんできたのは、大通りで出店に心を奪われていたはずのセンリだった。
 センリの身体は所々砂埃で汚れており、ふわふわの毛に覆われた頬にはわずかな切り傷がある。

「何があった、センリ」

 低い声でそう聞いた凪に、呼吸を荒立てながらセンリが答える。

「っ、外が、大変なことになってるんだ!! いきなり城下の中心にあるやぐらが燃えたと思ったら、周りにいる妖が苦しみだして、パタパタ倒れ始めたんだよ! 奴らだ、……空亡が、攻めてきやがったんだ!」

 泣き叫ぶようにしてそう言ってこちらに走ってくるセンリ。
 香夜が腕を伸ばすと、センリはそれをひっしと掴んで顔をうずめた。

「オイラ、オイラ香夜の匂いを辿ってここまで来たんだ。通りにいる皆をまもろうとしたけど、何人かは間に合わなかった……!」
「センリ……」

 ふるふると震え、大粒の涙を流すセンリを思わず抱きしめる。

「……はは、タイミング良すぎて怖いわ。どっかで聞き耳立てとったんとちゃうか。ああ、でもこれで手間は省けたなぁ。まさかあちらさんから来てくれるとは思わんかった」

 そう言って笑った凪の瞳が暗く光を放ち、黒々とした風が彼の身体に集まっていく。
 伊織に向けていたものとは違う、確実な敵意を持って練成された魔力の渦だ。
 凪は目を閉じ、深く息を吐くと、空中に向かって手をかざした。

「香夜ちゃんには前にも少し説明したよな? 空亡っていうんは、かつて鵺の傘下におった勢力のことや。鵺屋敷での乱心騒ぎを起こしたんも、友好的な関係を築いとった鵺を裏切って奇襲をしかけたんも、空亡の現頭領、あの日、識以外に唯一生き残った男や」
「呉羽さんが亡くなった日に……?」
「そう。それともう一つ、空亡の頭領は花贄……いや、呉羽に対して異常に執着しとった」

 凪がそう言うと共に、何もなかった空間から一本の刀が現れる。
 黒く淀んだ瘴気を絡めた刀身は鈍い色で光っていた。

「奴らは呪いを使って、妖を操るのに長けとる。心を奪って、脳を喰らうんや。傀儡になった妖を使役して、ここ最近勢力を伸ばし続けとる」

 脳を喰らう、という言葉にドキリとした。
 人間界と常夜の扉である妖、口無しを思い出したのだ。
 空間から取り出した刀を自身の袖でひと拭いし、破れた扉の前に構えながら凪は続ける。

「呉羽が死んでから、空亡が目立った動きをすることはなかったんやけど……」
「……ああ、本当に、呪われてるのは俺の方じゃないのか……? 変な猫に家はぶち壊されるし、呉羽が出た次は空亡だって? ふざけてる」

 凪の後ろで恨みがましい目をしながら首をもたげる伊織がブツブツとつぶやく。
 少し前に見た時よりも、伊織の目の下のクマがひどくなっているように思えるのは気のせいだろうか。

「オイラ猫じゃな……ひっ!」

 香夜の腕にしがみついたままだったセンリが立ち上がり、そう言いかけた瞬間青ざめる。
 それもそのはずだ。センリが抗議しようとしていた伊織の気配が、どす黒く変貌していくのが傍目から見てもわかった。

「……凶日すぎて、この世の全てを抹殺したい気分だ」

 そう言った伊織の手のひらの中、鈍く光る小刀が四つに増える。
 それはまるで、忍びが使う、くないのようにも見えた。
 伊織の髪に付けられた石が妖しい色を放ち、ゆるやかに揺らぐたびに水仙の香りがする。

「はは、伊織とこうして肩並べて刀構えるのなんていつぶりやろ。僕、興奮して敵さんに会う前にぶっ倒れそうやわぁ」
「……いいか、俺はお前の言うことを聞いたわけじゃない。これ以上家を壊されるのは御免なんでね、外にいる奴を片付けたら次はお前らだからな」

 額に血管を浮き立たせながら生気のない瞳を伏せる伊織と、恍惚とした表情を浮かべて笑い声をあげる凪。
 両極端な二人の魔力が高まり、空気に溶け込んでいくのがわかった。
 それは言葉を失うほどの、力の集大成だった。

 鵺と敵対している勢力である『空亡』が、かつて識を襲った男が、時を超えて再びこの城下町を襲っている。
 こうして話している間にも、外からは誰のものとも知れない叫び声や爆発音がしきりに聞こえてきていた。

「……一応、香夜ちゃんに言うておかんなんのは、空亡の頭領は、香夜ちゃんを狙っとるかもしれんってことや。可能性としてはいくつかある。ひとつは、識の病が悪化しとることが空亡側に漏れて、常夜頭を陥落させるためにこの城下町から侵略を始めたパターン」

 凪が人差し指をピンと立てて、香夜の目の前で口を開く。

「そんでもうひとつは、香夜ちゃんの素性に勘づいた敵さんが全てわかった上でこの攻撃をしかけてきとるっちゅう最悪のパターンな」
「……っ!」
「凪さま! 悠長に話してる場合じゃないぞ……!! こうしてる間にも……」

 慌てた様子のセンリを軽くいなしながら余裕気な笑みを浮かべる凪。

「ま、何にも知らん香夜ちゃんに空亡の書の切れ端がくっついとった時点で、ひとつめの線は薄いけど」

 凪の言うことが正しいのならば、今こうして凄まじい破音と共に城下町を襲っているという勢力の目当ては香夜ということになる。
 何かにじろりと見られているような気配を感じ、香夜の身体に嫌な悪寒が走った。

「ここに連れてきたんは僕やし、私情を挟んでいいならここでセンリと隠れとって欲しい。でも、香夜ちゃんの自由にしてええよ。僕らに着いて外出るって言うんならその身、死んでも守っちゃる」

 そう言った凪の瞳は誰でもない、香夜自身を真正面から捉えていた。
 凪の黄金色の前髪が風で揺れ、形の良い額が見える。

 正直に言って、頭の中は未だに雑然と混迷したままである。
 しかし、着いていくことを迷う理由など皆無だった。

「私も行く。……足手まといにはならないようにするから」

 香夜を目的としているのであれば、ここで隠れていても攻撃は止まないだろう。
 それに妖たちが身分の差なく笑い合い、お酒を酌み交わしていた先程の光景を簡単に壊されてはいけない気がする。
 すると、凪は少しうれしそうにその頬を緩ませた。

「そう言うと思ったわ。香夜ちゃんには僕の鼻代わりになってもらう。よく鼻利くみたいやしな。さっき使った目くらましの術はもう使えん、やから僕にぴったりくっついて、離れたらあかんで」

 そう言って香夜と目線を合わせるように屈み、よしよしと言いながら頭を撫ぜる凪。
 小さな子供をあやすようなその動作に、香夜は思わず赤面してしまう。

「じゃあそういうことやから、伊織、援護頼むな!」
「……この流れを黙って聞いてやってたことへのお礼をまず言ってほしいところなんだけど、お前本当殺されたいわけ?」
「大丈夫やって伊織めっちゃ強いやん。僕が伊織やなくて香夜ちゃんに意識向けて戦っても余裕やろ? それともいつもみたいに背合わせて戦わな寂しい?」
「…………絶対殺す」

 瞬間、伊織から漏れ出た膨大な負の魔力が大きな影となり、吐き出された蜘蛛糸のように絡まって凪へと向かう。
 部屋中に積まれた本の山が音を立てながら雪崩れていく。
 「おっと」と言いながらそれらを軽々と避けた凪が香夜の手を引き、ぐい、と重心が傾いた。

「わっ……!」

 あわあわとしながら香夜にしがみついていたセンリと、急に手を引かれた香夜の声が見事にシンクロする。

「はは、伊織はな、怒らせれば怒らせるほど強くなんねん。引きこもりの幼馴染をたまには散歩に連れ出してやらんとなぁ!」
「えっ、なんか私たちを狙ってる気がするんだけど……!?」
「あれ、当たったら即死やで。まあ当たらんかったら大丈夫や」

 涼やかに笑い、伊織の容赦ない攻撃を交わしながら香夜の手を引く凪が外へと飛び出でる。
 それを脱兎のごとく追いかけるセンリの悲痛な叫び声と香夜の悲鳴がまたもや綺麗に同期した。

 凪に手を引かれるがまま外へ出ると、そこには変わり果てた城下町の姿があった。
 所々に立ち上った煙と、阿鼻叫喚と裏路地へと逃げ惑う妖たち。
 中には、倒れ込んで苦し気にうめき声をあげている者もいた。

 やぐらがあるという大通りの方からは、大きく黒々とした炎が上がっているのが見える。

「ひどい……」

 一勢力が攻撃をしかけてきたのだとしても、ものの数十分でここまで手酷くやられるものだろうか。
 すると、道の端でうずくまりうめき声をあげていた人型の妖がゆらりと立ち上がり、こちらへ向かって駆けだした。

 妖の鋭い爪が香夜の視界を遮る。
 危ない、そう思ったのもつかの間、凪の刀が鋭い音を立ててその攻撃を防ぐ。

「……っ!」
「……っぶな、間一髪。……やっぱり街を荒らしとるんは空亡で間違いないみたいやな、見てみ、意識ごと空亡に取られて、しっかり操られとるやろ」

 凪の言葉に、たった今襲い掛かってきた妖を見ると、焦点が合っていない目が黒く濁っていた。
 うめき、こちらに飛び掛かってこようともがくその姿は、自分の意志を持たない死体が操られているようにも見える。

「凪さま……っ!! こいつら、段々増えてこっちに……、ひっ!!」

 半泣きで狂乱状態の妖を避けながら走るセンリの後ろで、伊織も同じく交戦していた。
 鮮やかに身を舞わせて、重力に構わず小刀を振る伊織は、美しさすら感じる手さばきで目の前の妖を倒してゆく。

 よく見ると、路地には目に見えないほど細い糸が何本もかかっていた。
 近づかなければ分からない。魔力の香がなければ誤って糸につまずいていただろう。

 伊織はその糸を器用に伝って戦っているようだった。それは目で追うことができないほどに、隙が無い攻撃。
 そんな刃がつい先程まで自分の首元に這わせられていたのだと思うと、背筋が凍る。

 伏せられた伊織の目は相変わらず生気がない。しかし、恨めしそうに何かをずっと呟き続けている。
 おそらくあれはしっかり聞いてはいけないものだ。再び伊織の殺意がこちらへと向く前に、香夜は伊織から目を反らした。