「えぇ? 酷いわぁ、伊織の幼なじみであり大親友でもある僕がはるばるこうして訪ねてきたんに」
「そこの間抜け面して突っ立ってる女に聞いたんだけど。というか、相変わらず他人を不快にさせる天才だなお前は……。はぁ、凶日だ……、やっぱり昨日水神のところでお祓いしてくるんだった……」

 何もない空虚を見上げながらブツブツとつぶやき続ける男と、にこやかなまま屈託なく笑っている凪をポカンと見つめる香夜。
 中から出てきた男は今まで会ったどの妖とも違う、不思議な雰囲気をまとっていた。

 薄い墨色の髪は肩まで伸びており、毛先の方に小さく輝く石が二つずつ付いている。
 純白のシャツに黒いスラックスというスタイルは、洗練された軍服のようでもあった。
 しかし、活力がまるで感じられない表情と声色が邪魔をし、どうにも締まりがなく見える。
 すると、空気を割るようにして凪が口を開いた。

「今日は伊織にしか頼めんことがあって来て、」
「大体俺が人嫌いなの知ってるだろ、人というか、計算外の動きをする知的生命体全てが嫌いだけど」
「え、話聞いてくれん?」
「しかもあれだろ、いい環境で育てられたお嬢さんか何かだろ。俺、そういう奴特に苦手」

 何だ、この男は。
 うげ、と言いながら軽く舌を出し、こちらを馬鹿にしているとしか思えない表情でひらひらと手を縦に振る男を見て唖然とする。

 隣を見ると、ものの見事に全ての話を遮られた凪が頭を抱えて消沈していた。

 ずっと黙ったまま聞いていたが、これは流石に言い返さなくてはいけない気がする。
 香夜はそう決意して口を開く。

「わ、私も初対面で無礼な態度を取ってくる人は苦手です!」
「あ、そう。なら早く帰って。面倒ごとはお断りだ」

 そう言って香夜の方を見ようともせず扉を閉めようとする伊織の手を、凪が間一髪で止めた。
 そしてもう片方の手で、ここから何を言い返そうかと奮い立つ香夜を制する凪。

「まあまあまあ、仲良くいこうや。伊織もそんな態度ばっか取っとったら嫌われるで? やから話はちゃんと最後まで……」
「俺はとっくにお前が嫌いだけど」
「もうなんやこいつ! 話聞け言うとるやろ! ……いや、違くて。伊織、この子花贄の姫さんや」
「はぁ……? 花贄がなんでこんなとこに」
「識が、殺さんかった子や。呉羽が関係しとるかもしれん。わかるやろ? 緊急や」

 凪がそう言うと、何を言っても変わらなかった伊織の顔色がほんのわずかに変化した。
 といっても、眉間に少しシワが寄った程度ではあったのだが。
 伊織は眉をひそめたまま、香夜を心底面倒くさそうに見下ろした。

「…………凶日だな」

 ポツリとそう呟き、腹の底がひっくり返るのではないかと思うくらいのため息を吐いた伊織はそのまま家の奥へと入っていってしまった。

「入ってきてええよってことや。じゃ、遠慮なく入ろか。ごめんな姫さん、嫌な思いさせて」
「あの人が……土蜘蛛?」
「あぁ、伊織は鵺とか烏天狗に並ぶ大妖怪、土蜘蛛の当主や。昔はあんなにひねくれてなかったはずなんやけど……うわ、ここほんまに崩れてきそうやん……」

 お世辞にも一族をまとめ上げる当主という風には見えなかったが、人はみかけによらないらしい。
 遠慮することなく、ずかずかと中に入っていく凪を追い、香夜も家の中へと入る。

 家の中は狭く入り組んでおり、至る所に古びた本が積み上げられていた。
 少し身体がぶつかっただけで雪崩が起きそうだ。

「土蜘蛛は代々常夜頭に仕えとる一族で、謀術や暗殺術なんかを得意としとるんよ。やから、情報収集するのにも長けとる。常夜頭の御庭番みたいなもんや」
「御庭番なのに、こんなところに一人でいるのね」

 先ほどの言い合いを引きずり、少しトゲのある言い方になってしまった。
 低い天井には電球色の蛍光灯が一つ、むき出しになってぶら下がっている。
 そのわずかな灯りに照らされて、部屋の中の埃がちらちらと舞っているのが見えた。
 外観もかなり寂れていたが、こうして中に入ってみても、およそ誰かが住んでいるとは思えない乱雑さだ。

「……情報を集めるには、この城下町は最適だ。それに、元々常夜頭の下につくつもりは毛頭ないんでね」

 声の聞こえてきた方を見ると、伊織が椅子に座ってふてぶてしくふんぞり返っていた。
 他に椅子は見当たらず、辺りには本の山と書類の束が無造作に置かれているのみ。
 お前達をもてなす気はさらさらない、というのが、この男の節々からにじみ出ている。

 ふと、香夜の背丈よりも高い棚に詰められた薬瓶が目に入った。
 異国の文字が書かれた色とりどりの瓶が、数えきれないほどに羅列している。

「あんまり無暗にうろつかないでくれる?」
「……!」

 香夜が棚に手を伸ばそうとした瞬間、後ろから聞こえた声。
 恐る恐る振り返ると、先程まで傍の椅子に座っていたはずの伊織が香夜のすぐ後ろに立っていた。
 机の上の蝋燭の炎が反射し、金糸のようにきらめいて見える伊織の髪が、さらりと香夜の肩にかかる。

 声を掛けられるまで、全く気配を感じなかった。
 髪色と同じ透き通った墨色のまつ毛が瞬き、香夜をねめつける。

「……あんたが、呉羽と関係があるかもしれないって? ……確かに、こうして近くで嗅いでみると似てるな、匂いが」

 首筋に、伊織の息がかかる。
 低い声でそうささやかれ、じわりと背筋に汗が伝うのがわかった。

 識といい、凪といい、妖というものはこうして人の近くに来ることでしか何かを言うことができないのだろうか。
 識や凪の魔力を感じた時にも感じた強い香り。
 思えば、それぞれ違う華の香りがしたのだが、伊織もまた独特の香りを放っていた。
 清廉さと毒気が融合した、ほのかな甘さを感じるこの芳香は――。

「……、水仙の、香り」

 香夜がそう呟くと、伊織はその三白眼を少し見開いてみせた。

「……へぇ。嗅ぎ分け(・・・・)ができるんだ。は、困ったな。信憑性が増してしまう。識の花贄が、……呉羽と関係あるかもしれないなんて、笑い話にもならない」

 そう言って、伊織は長いまつ毛を伏せ、ゆっくりと瞬きをする。弧が描かれた口元とは逆に、目が笑っていないのが見て取れる。
 しかし、妙な色気を感じるそのしぐさに香夜はサッと目を反らした。

「あんまり姫さんに近づかんといてくれん? 伊織って力加減できひんやろ、見とると肝冷えるわ」

 香夜の背後から手を伸ばし、棚の中にあった器具を手に取った伊織に凪が言う。
 すると、伊織はそのまま何も言わずに香夜から身体を離した。

 感じていた強い香りも、緊迫感も、伊織が身体を離した瞬間薄らいでいく。

 今、伊織は香夜の言葉を聞いて、嗅ぎ分けができるのかと言っていた。
 屋敷で感じた識の強い香りを思い出す。確か、センリの姿を見失う前にも凪から香ってきた華の芳香。
 センリは、その香りの変化に気が付いていない様子だった。

「凪の魔力を感じた時も、……識といた時も、それぞれ別の香りを感じたの。今も同じ。これって、普通のことじゃないの?」
「えぇ、それ僕に言う?」

 いたずらな笑みを浮かべてこちらを見る凪を見て、ハッとする。
 そうだ、凪は鼻が利かないと言っていた。
 確か、他の妖の魔力を感じ取ることができないと。
 ということは、香夜が今感じているこの香りが、妖の放つ魔力そのものであるということなのだろうか。

「……魔力を‟香り”で感じとるなんて、人間ができる芸当じゃない。……呉羽は出来てたけどな。あんたがどんな匂いを感じてるのかは知らないけど」

 手元の器具を使い何やら作業をしながら、淡々とそう説明する伊織を見て少し意外に感じた。
 質問しても、こうして丁寧に答えてくれるタイプではないと思ったからだ。
 すると香夜の視線に気が付いたのか、伊織が怪訝な顔をしてこちらを振り向く。

「何、あんまり見ないでくれる?」
「ううん、教えてくれてありがとう。あなたは……ここで研究か何かを?」

 積まれた資料や薬瓶を見るに、ここでは研究のようなものが行われているようだ。
 香夜がそう言うと、凪が思い出したかのように口を開いた。

「あぁ、確かに土蜘蛛の稼業は隠密活動やけど、伊織は常夜の医者みたいなもんや。はは、そこら中趣味悪い薬瓶だらけやろ? 稼業放置してこんなとこで引きこもっとるさかい、こんなに生気ない目しとるんとちゃうか?」
「……喧嘩売ってんの?」

 先刻まで伊織が座っていた椅子に座り、自前のものらしき湯呑でお茶を啜る凪。
 そしてその様子を、死んだ目をしながら見やっている伊織。
 はたからみてもひしひしと感じる。あれは心から帰ってほしいと願っている顔だ。

「凪は、あなたに私のことを見てもらいに行くって言ってたけど……私がその、呉羽って人の生まれ変わりなのかどうかを確かめるってこと……? 呉羽って、一体……」
「は、何でも聞いたら教えてもらえると思わない方がいいよ」

 そう言って、煽るように笑ってみせた伊織。
 毛流れのいい毛先につけられたサファイアブルーの宝石が揺れ、燭台に乗せられた蝋燭の動きに合わせてきらめく。
 なんて意地悪なことを言うのだろうと、香夜は思わず面をくらう。
 しかし、言い返す言葉が見当たらないのも確かだった。

「……そうね確かに、初対面の相手に図々しく聞きすぎたかもしれないわ。ごめんなさい」

 香夜がそう言うと、伊織の息をのむ音が聞こえた。
 凪が椅子に座ったままこちらを見やり、何故か満足気な顔をして笑みをこぼす。

「なぁ伊織、おもろいやろ、この子。伊織の口車に乗せられん素直さを持っとるわ」

 そのままクスクスと笑い続ける凪を、じろりとねめつけた伊織が苛立たしそうに口を開く。

「何も面白くないな、むしろ最悪だ。あんた、……花贄の女」
「……香夜、です」
「あんた、何なの? そうやって正面から俺を見据えて、芯のある目をしたりして」

 名前を言ったにも関わらず、綺麗に聞き流した伊織は香夜の返事を待たずに続ける。

「あの女そっくりで反吐が出そうだ。あぁ、嫌いだ、嫌い。勘弁してほしいね」

 平坦な口調でそう言った伊織の目は、深い嫌悪の色に満ちていた。
 伊織はそのまま、何を言っているのか分からず戸惑う香夜に舌打ちをすると、小さな針のようなものを取り出しこちらに向ける。

「手、出して」
「……え?」
「手だよ、手。何度も言わせるな」

 伊織に言われるがまま手を差し出すと、伊織は持っていた針を香夜の指先に突き刺した。
 軽い痛みが走るとともに、一粒大の血液が滴り落ちる。

「……っ」

 針が刺さった部分から零れ落ちる香夜の血液を、伊織はスッと掬いとり、白銀色の液体が入った小瓶へと入れた。
 香夜の血液を飲み込んだ白銀の液体が小瓶の中で小さな渦を巻き、段々と色を変えていく。
 伊織はその小瓶を手にしたまま、中身に向かってフッと息を吹きかけた。
 すると伊織の吐いた息がまるで蜘蛛の糸のようになり、瓶の中、液体と混ざりあって膨張する。

「このまま少し待ってたら、全てわかる。……呉羽のことは、そこの天狗に聞け」

 伊織はそう言うと、何回目かわからないほどの長いため息を吐いた。

「……はは、そうやな、まだ言っとらんかったな。呉羽は、今からずっと昔、常夜で誰よりも強かった鵺の頭領……識の親父さんの、花贄やった人や」
「え……」

 伏した目をした凪が、手に持っていた湯呑を机に置き立ち上がった。
 凪が散らばった紙の山に手をかざすと、どこからともなくふわりと風が吹き付ける。
 柔い風が一枚、紙を拾って、凪の手のひらへと舞い上がった。

「呉羽は花贄の、普通の人間やった。それでもいつも明るくて、贄になって死ぬつもりなんてさらさらないって先代の前で宣言するような奴やった」

 舞い上がった紙が、凪の手のひらの中、一瞬かすかな光を放ち、緩やかにその身を変化させていく。
 ひらりと一片崩れ落ちたのは、目を奪われてしまうほどに鮮やかな椿の花びら。
 何の変哲もない一枚の紙が、目の前で美しい椿の花に変わったところを見て、香夜は思わず目を瞬いた。

「呉羽は妖よりも心が強くて、妖よりもいたずら好きで、誰よりも美しかった。まぁ一言でいうと地獄みたいな女やったわ。……そんな女やったからこそ、識の親父さんも殺せんかったんやろな」

 静まり返った室内に、凪の声だけが響く。
 凪が椿の花を愛でるように指を動かせば、ひらひらと簡単に崩れていく深紅の花びら。
 その光景は、鮮血が風に舞っているようにも見えた。

「そんな時、識の親父さん……先代常夜頭が急死したんや。花贄を、呉羽を殺さんかったせいで呪いに侵されてな。先代が死んで、人間界でも常夜でも生きるのが難しくなった呉羽は、僕らでこっそり匿うことになった」

 椿の花が、香り立つような芳香を放ちながら一片ずつゆっくりと崩れていく。

「そして、次の常夜頭に選ばれたんは、先代に次ぐ魔力を持っとった妖、識やった」

 静かに落とされる凪の声がわずかに揺れる。

「識はその時、手付けられんほどに荒れとったわ。親を亡くしたからか、何なんかは分からん。でも、話しかけただけでこっちが殺されてしまいそうなくらい、周囲に壁を作っとった」
「それは……」

 安易に想像ができてしまう。
 そう言おうとした瞬間、香夜の思考を読み取ったのか凪が穏やかに笑った。

「はは、想像できるやろ。でも、出会ったばっかの頃の識は可愛かったなぁ。なんか……もっと柔らかかったというか……よく三人で遊んだわ。なぁ、伊織」

 凪が話を振ると、それまでずっと黙っていた伊織が不機嫌そうな顔をして顔をそむけた。
 まるで過去を振り返ることを拒絶するかのように。

「その頃を境に、識はそれまで以上に孤独になってった。そんな識を救ったんが、呉羽やった」

 そう言った、凪の声色が心なしか柔らかいものへと変わる。

「呉羽は他の妖たちと違って、識のことを色眼鏡で見んかった。まあ、妖じゃなく人間やったからな。両親がおらんかった識にとっては、親みたいな、師みたいな存在やったんやと思う。呉羽は本当に自由な女でなぁ、随分と歳が離れとる僕らとも、同じ目線で遊んでくれた」

 香夜の胸の奥で、小さな痛みが走るのがわかった。
 
「識の呉羽を見る目は、傍目から見とっても分かりやすすぎるくらいに他とは違っとった。呉羽ー、呉羽ー、っつうて、いっつも追いかけまわしとったさかい」

 今までモヤがかかっていた‟呉羽”という人物像が、凪の言葉によって段々と明瞭になっていく。
 
「呉羽は僕らに色んなことを教えた。人間界での暮らし方、まじないのかけ方、僕らが知らん人間界での遊びまで。伊織は呉羽を嫌っとったみたいけど」
「……大嫌いだね。あの女、人間のくせに俺にまじないかけて凍った池に沈めやがったからな。今こうして生きてるのが不思議なくらいだ」

 そう言う凪と伊織は両極端な表情をしていたが、両者とも過去の日々を懐かしむように声を揺らしていた。

「そんな日々も、長くは続かんかった。――常夜頭になった識に、呪いが発現したんや」

 凪がそう言うと同時に、その身を震わし、最後の一片を散らす椿の花。
 そう言って、ふと気が付いた。この先に待ち受けているであろう、最悪のシナリオに。

「そして最悪なことに、同じタイミングで呉羽の存在が外部に漏れた。ご老中どもは、ちょうどよかったとでも言うように呉羽を花贄として識に使おうとしたんや。当然、識は呉羽を人間界に逃がそうとした。でも――」

 机に落ちた深紅の花びらが、皺枯れてくすんでいく。

「忘れもせん、ちょうど今日みたいにお月さんが綺麗な日やった。突然、鵺屋敷で乱心騒ぎがあったって聞いて伊織と飛んでいったんや。そしたら、身体じゅう血まみれにした識がおった。座敷のなか、識だけが呆然と座り込んどった。血池の中で、誰かを抱きしめながら」

 凪の語尾が再びかすかに揺れた。
 目の前で枯れていく椿の深紅が、少しずつ、少しずつ灰になり空気と同化する。
 これは、凪が思い返している識の‟残像”なのだろうか、香り立つような華の香りが香夜の脳にまで入ってくるのが分かった。

「識が放心状態で抱きしめとったんは、呉羽やった。どれくらい経っとったんかはわからん。呉羽だけじゃなく、そこにおったもんは識以外ほとんど綺麗に死んではったわ」
「……っ、なんでそんなことが」

「裏切りがあったんや。鵺の傘下におったもんが、識を狙って奇襲かけた。……まぁ、失敗に終わったみたいけどな」
「裏切り……?」
「呉羽が何でその日その場におったんかはわからん、やけど、呉羽の心はもうとっくに限界やったんや。……呉羽は、先代常夜頭のことを心から愛しとった。自分のせいで呪いを進行させてしまった、愛する人を殺してしまったと、ずっと自分を責めとったんや」

 凪が言葉を落とすと共に美しく咲き誇っていた椿の花が、全て黒ずんだ灰へと変わった。

「……呉羽はきっと、望んで識に命を差し出した。あの日二人の間でどんな会話があったんかはわからん。ぐったりとした呉羽を抱いた識は僕の問いかけにも、伊織の言葉にも反応せんかった。ただ一点を見つめたまま、在るべき心を失っとる様子やった」

 胸が切り裂かれるように痛んだ。
 識が、心を絞るようにささやいた名前の真実を、今知ってしまったのだとどこか他人事のように思った。

「識は、数少ない味方に裏切られて、唯一心を開いとった呉羽まで失った。識は未だにあの頃の、あの時間、あの場所に囚われたままや。血まみれで呆然と座り込んどったまま、抜け出せん闇の中におる」

 凪が吹かせた柔い風が、机の上の灰を巻き上げる。淡い香りが香夜のところまで届いた。
 すると、伊織が静かに口を開く。

「…………少なくとも、死体は一つ、蘇ったみたいだ」

 伊織の言葉に、凪の表情が変わった。
 香夜の血液が入った小瓶の中身はいつの間にか黒い溶岩のようになっており、伊織が出した蜘蛛糸と絡まりあって形を変化させていた。

 その形は、例えるならば――大輪の華。

「――呉羽だ。生まれ変わりとかいうレベルじゃない。あんたの中に、呉羽が眠ってる」

 吐き捨てるようにそう言った伊織の声が、やけに鮮明に香夜の脳裏に響き渡った。