とある放課後。僕は、とある女子生徒に呼び出され、教室にいた。呼び出しの時間から約五分。そこへ、ふわふわな髪をなびかせて、一人の女子生徒がやって来た。彼女こそ僕を呼び出した張本人、華美(かび)(かおる)だ。
 僕と華美さん以外に誰もいない教室に、彼女の可愛らしい声が響く。

「――荒矢田(あらやだ)君。好きです」

 その声は小鳥のさえずりのように軽やかで。
 まるで天使の吹くラッパのごとく、僕は天にも昇れそうなほどの幸福感に満たされた。
「華美さん……」
 感動で彼女の名前を呼ぶ声が震える。
 真正面から想いを伝えてくれているのは、なにを隠そう僕がずっと恋焦がれているクラスメイト。
 やわらかそうなホワイトベージュの髪は綿菓子のようにふわふわで、瞳はまるで宇宙の神秘を閉じ込めたビードロのように煌めいている。
 小さな体を清廉(せいれん)高校の紺と白の制服に身を包み、健気な瞳でじっと僕を見上げる様はなにものにも形容し難い可愛さだ。
「あの……荒矢田君。突然なんですが、華美と付き合ってくださいませんか?」
「……え?」
 天使のように可愛い華美さんが、僕を好きだと言っている。付き合ってくれと言っている。真っ直ぐに、僕だけを見て。

 まるで夢のような状況に、僕は動揺しながらもキュッと唇を噛んだ。
 答えはもちろん、決まっている。
 これまでずっと、僕はこの恋をどうすべきか悩みに悩み抜いていながらも、答えを出せずにいた。
 だが……。
 両想い……華美さんと両想い……!!

 僕は今こそ彼女に向き合おうと覚悟を決め、口を開く。
「よ、よろしくお願……」
 
 ――しかし。僕の返事が最後まで紡がれることはなく。
 
 彼女はなんの前触れもなく、かくりと頭を垂れた。
「かっ……」
「?」
 なにやら、様子がおかしい。心配になってその顔を覗き込むと、彼女は……。
「……華美さん?」
「カビッ」
「!?」
 唐突に、頭がパカッと二つに割れた。そしてそのままびみょーんと分裂し、どんどん増殖を始める。
「カビカビカビカビ」
「まさか……」
 ハッとして、教室の窓の外を見る。
 雨だった。あろうことか、窓の外は激しい雨が降っている。なんというタイミングか。
「カビカビカビカビカビカビカビ」
 その間も華美さんはどんどん分裂し、教室はあっという間に華美さんだらけになっていく。
「荒矢田君、好きです」
「荒矢田君」
「荒矢田君、付き合って」
「荒矢田君ー」
「荒矢田君、カッコイイ」
 幸せなような、恐ろしいような。
 それぞれが俺を見つめ、ゆらりゆらりと近付いてくる。その光景は、さながらゾンビ映画のようだ。
「華美さん、ちょっと! 可愛いけど多過ぎる! 増殖しないで!!」
「荒矢田君荒矢田君荒矢田君荒矢田君」
 収容人数三十人ほどの教室は、あっという間に増殖した華美さんに埋め尽くされてしまった。
 
「――うっ……うわぁぁぁあっ!!」
 僕は叫びながら飛び起きた。
 閉め切ったカーテンの隙間から差し込む光が朝を伝え、同時にベッド脇のアラーム時計がけたたましく鳴っていることに気づく。
「……な、なんだ、夢か」
 アラーム時計が指し示す時刻は午前六時半。いつも通り、目覚まし代わりの悪夢だったと分かり、ほっとしたような残念なようなどちらともいえないため息を漏らす。
 我が身をかえりみれば、寝間着の色が変わるほど全身ぐっしょりと汗をかいていた。
 髪が肌に張り付いて気持ち悪い。心臓も未だバクバクしていた。相当魘されていたようだ。
 僕は張り付いた前髪を無造作にかきあげると、ベッドから起き上がった。
「……シャワー浴びよ」
 
 僕は、人生で初めての恋をひどく拗らせている。

 ――――――
 
 僕の名前は荒矢田(あらやだ)(めぐる)。県立清廉(せいれん)高等学校二年の男子高校生だ。成績は上の下、スポーツは可もなく不可もなく。
 個性が強いこの世界において、周りより少しだけ綺麗好きということ以外においては特別目立つことのない無個性の僕は、平々凡々の高校生活を送っている。
 
 悪夢から覚め、シャワーで汗を流してきっちりと身支度を整えると、いつも通り学校へ向かった。