伊月(いつき)さんが、「明日会いに来る」って言ってた、その「明日」も、もう終わりそうだった。

―― 会いに来るって言ってたけど、無理そうだな。

いつものように夕餉(ゆうげ)をすませ、お風呂をすませて、寝る準備をしていたら、すっかり夜中になってしまった。
窓の外を見ると、チラチラと雪が降り始めたみたいだ。
現代日本に比べると、タマチ帝国はちょっと涼しい。

―― 毎年、雪も積もるって言ってたな。

さすがに城を取った直後で伊月(いつき)さんは忙しいだろう。
伊月(いつき)さんに加勢した()の軍隊は、明日、亜国(あこく)から出ていくと聞いた。
雪が積もる前に自国に帰らないと、行軍がままならないらしい。

―― それにしても、どうやって、()の軍と手を組んだんだろう。

色々と聞きたいことが聞けるのは少し後かな。
私はもう今日は伊月(いつき)さんは来ないだろうと思って、灯りを消した。
その瞬間、窓がカタカタとなった。

「だ、だれ? 吉太郎(よしたろう)?」

窓の近くに行くと、清十郎(せいじゅうろう)さんがいた。

「せ、清十郎(せいじゅうろう)さん?」

窓を開けると、冷たい空気が入ってくる。

「しー。もうオババ様は寝ているので、起こすと機嫌が悪くなります。」

「そ、そうですね。」

私は小声で言った。
オババ様は眠りを妨害されると恐ろしい。
どんな災害が起こるかわからない。
だけど、いったん寝ると、めったなことでは起きない。

(あるじ)が今、一生懸命、欄干(らんかん)によじ登っています。」

少し、苦笑いしながら清十郎(せいじゅうろう)さんが言って、私はこれで、と言ってどこかに行ってしまった。
私の部屋は二階にあって、今、清十郎(せいじゅうろう)さんが来た窓とは反対方向に、露台(ろだい)と言われる、バルコニーみたいなのがある。
その露台(ろだい)欄干(らんかん)がかけられている。
私は慌てて、扉を開け、欄干(らんかん)に歩みよって下を見ると、伊月(いつき)さんが木をよじ登って来ていた。

「な、何してるんですか?」

木の葉っぱを頭につけながら、伊月(いつき)さんが欄干(らんかん)に到達した。

「ははは。オババ様を夜中に起こすと面倒だから、忍び込んでみた。」

そういって、伊月(いつき)さんは髪についた葉っぱを払った。

「いやあ、清十郎(せいじゅうろう)は何故あんなに身軽なのだ。まったく・・・。」

ブツブツ言いながら「邪魔するぞ」と言って、伊月(いつき)さんは私の部屋に入り、後ろ手に扉を閉めた。
それと同時に私をぎゅっと抱きしめた。

伊月(いつき)さん...」

私も伊月(いつき)さんの体をきつく抱きしめ返した。
雪の中来てくれたからか、着物がひんやりしている。

「無事に戻って来てくれて、約束を守ってくれて、ありがとうございます。」

「やっと、那美(なみ)どのを抱きしめられた。」

「昨日も抱きしめましたよ?」

甲冑(かっちゅう)の上からではこの柔らかさは伝わらん。」

「な、何ですか...それ…。」

「それに昨日は臭かっただろうから、遠慮があった...」

「え?」

「遠征から帰ってすぐだったからなぁ。」

「そんなこと、気にしていたんですか?」

―― だから、キスもしてくれなかったのかな...

「そんなこととは何だ。野営は不衛生きまわりないのだぞ。それで那美(なみ)どのに嫌われるのは嫌だ。」

「そんなことで、嫌うわけないじゃないですか。死地から帰って来てくれたのに。」

私は伊月(いつき)さんがすごく綺麗好きなのを知っている。
屋敷も部屋もいつもきれいだし、着物もいつもパリッとのりがかかっている。
いつもお香のいいにおいするし。

「あの、伊月(いつき)さん、体が冷えてますよ。火鉢の近くに行きましょう。」

私たちは火鉢の前に座った。

那美(なみ)どのの部屋に、初めて入ったな。」

どこか、嬉しそうにそう言って、伊月(いつき)さんは私のつけているつげの(くし)をそっと撫でた。

伊月(いつき)さん、改めて、戦勝おめでとうござい...ん!」

伊月(いつき)さんは、私の言葉ごと熱い唇で(おお)った。
久しぶりのキスに、私の細胞が震えたのが分かった。
伊月(いつき)さんの舌の感触を体の全ての感覚器が覚えている。
ああ、この温かさ、この柔らかさを、どれほど待ち焦がれていたか。
だらしなく唾液があふれて、息が苦しくなる。

「ん…はぁ…んんん。」

甘いため息が漏れ、体から力が抜けて、思わず伊月(いつき)さんにすがってしまう。
伊月(いつき)さんは私の背中をそっと支えながら、唇を離した。

「ん…はっ。」

「はぁ、はぁ。」

苦しそうに眉根を寄せて、肩で息をしながら、伊月(いつき)さんが自分のおでこを私のおでこにくっつけた。
そして、私の顔を、壊れ物を扱うみたいに、優しく、そっと両手で包んだ。

戦場(いくさば)からこんなにも早く帰りたいと思ったのは初めてだった…。那美(なみ)どのに会いたい一心で、城を早々に落としたぞ。」

伊月(いつき)さんはまるで私に褒めてほしいみたいな言い方をした。

「そ、そんな風に言ってくれて、嬉しいです。それにしても、本当に、すごい快進撃でしたね。」

「ああ。やはり、総大将の島田を一番に討ったのが良かった。まさか島田があんなにあっさりと負けるとは誰も思っていなかったから、それ以降の()の軍の乱れはひどかった。」

「え? ちょ、ちょっと待って下さい。」

私はびっくりして、伊月(いつき)さんのおでこから自分のおでこを離した。

「島田を討ったのは()の軍じゃないんですか?」

「正確に言うと、()に討たせた、だな。(ほり)がとても良い戦略を立てた。」

伊月(いつき)さんは少し興奮したように、説明してくれた。

「まず、()の軍がいつどこの城に攻撃をかけるか、その計画を清十郎(せいじゅうろう)たちに探らせた。やはり、とても優秀な(しのび)だな、あいつは。いつも正確な情報を持ち帰る。そして、()の軍が亜軍(あぐん)に攻撃をかける日の直前の夜中、私の配下が()の軍のふりをして、亜軍(あぐん)の城に次々に奇襲をかけた。黒鍬衆を使って、このように大きな(わら)の楯を作らせたのだ。」

伊月(いつき)さんはそういって、腕を大きく広げた。

亜軍(あぐん)於軍(おぐん)が城に攻め込んで来るのを恐れ、矢を射まくった。それを(わら)に打ち込ませ、矢を回収した。」

「すごい! 相手の武器を奪ったんですね。」

伊月(いつき)さんは、得意げにうなずいた。

亜軍(あぐん)の矢や武器が枯渇し、夜の奇襲で疲弊しきった所で、本物の()の軍が一気に攻めてきて、亜軍(あぐん)は驚いた。まさか二回も立て続けに襲撃に合うとは思っていなかったし、相手にそれほどの兵力があるとは思ってなかっただろう。そして、予定通り、()軍が亜軍(あぐん)の城を取った直後、私たちの軍が亜軍(あぐん)から奪った武器を使って、()軍を城から追い出した。()軍は城を落とした直後で油断していたのもあり、奇襲をかわしきれなかった。あっけなく、城主交代となった。」

「すごい! それで、最終的に、どうやって()懐柔(かいじゅう)したんです?」

私も、思わず、興奮してしまった。

「前々から、()国主(こくしゅ)懐柔(かいじゅう)するように、源次郎(げんじろう)の弟が働きかけていたのだ。だが、私の軍が島田を追い払ったことで、()国主(こくしゅ)が、私が本気で謀反の挙兵をしたのだと気付いた。さらに、()がせっかく取った城をすぐに取り返したことで、私と敵対するのは良くないと考えたらしい。()も十分に兵を失ったからな。それで、向こうから協力を願い出てきた。もちろん、条件がある。」

「条件って?」

()が挙兵するのは必ず食料や金が足りぬ時だ。だからそれを与えれば、わざわざ(いくさ)をしたくないものだ。(いくさ)は金がかかるからな。」

「食料やお金をあげる代わりに、反乱軍に協力するっていう事ですか?」

「ああ。だから、すぐさま阿枳(あき)の船で、外国から買い付けた穀物を運ばせて、()国主(こくしゅ)兵五郎(ひょうごろう)たちから届けさせた。沢山貢物(みつぎもの)もした。多少財を費やしたが、すぐに信頼を得て、伊城(いじょう)攻めも手伝ってくれた。ついでに、()()との国交を回復できた。」

()の脅威がなくなることは、()の民にとっても、安心ですね。」

「ああ。」

伊月(いつき)さんが、これまでずっと培ってきた人脈と、商売で作った財力のなせる技ですね!」

「何年も耐えていたのはこの時のためだ。」

伊月(いつき)さんは、達成感のある顔をして、それがとても眩しく見えた。
私は感心するしかない。

―― この人は、とんでもなくすごい人だ。

「そなたの作った照明器具が海外の貴族によく売れたので、それも商売を大きくする助けとなった。()でも民を扇動し、城門を開けてくれた。そなた無しでは今回の大勝はあり得なかった。」

「私はただ、ここで伊月(いつき)さんの帰りを待つことしかできませんでしたよ。最終的に黒田に捕まっちゃって、また迷惑かけちゃったし。」

「迷惑などと言うな。那美(なみ)どのがいなければ私は…」

伊月(いつき)さんはまた、おでこをコツンと、合わせた。

那美(なみ)どの…私はそろそろ我慢の限界だ。」

そういって、伊月(いつき)さんは得物を狙う獣のような眼をした。

「さっきの続きをしたい。」