私は手習い所に入って皆を見渡した。
皆が心配そうな目で私を見ている。
昨夜、小雪ちゃんと私に何があったか、もう皆の知るところとなっている。
小雪ちゃんは泣き腫らした赤い目をして、静かに座っている。
「みんな、聞いて下さい。」
私は声を大きくした。
「小雪ちゃんは何も悪くないです。昨夜あったことは、小雪ちゃんのせいじゃないです。」
小雪ちゃんは俯いていた顔をバッと上げて私を見た。
「でも、那美先生、私のせいで先生に迷惑を…」
「ううん。もう一度言うから、ちゃんと聞いて。小雪ちゃんのせいじゃない。じゃあ、誰のせいだと思いますか?」
「亜の国主のせいです!」
お仙さんが言うと、皆も納得したみたいに、そうだ、そうだと囁き合う。
「亜の国主は人さらいや人殺しはずっと放っておきました。魔獣が出ても、ひどくなるまでずっと放っておきました。でも自分の事をちょっと悪く言われるとすぐに逮捕して罰を与えます。」
他の子が言った。
「亜の国主はどうしてそうすると思いますか?」
私が問いかけると、皆は近くに座っている子達と話し合った。
「自分のことしか気にしてないからです。他の人はどうでもいいんです。」
「私もそう思います。国主は民のことを思っていません。」
皆が口々に言う。
「じゃあ、亜の国主はどうして民のことを思わないんでしょう? 考えたことある?」
さらに問いかけると、皆は考え始める。
「私たちより亜の国主の方が身分が高くて、由緒正しくて、高貴だから、下々の者のことは大切じゃないんです。」
「どうして身分の高い人は下の身分の人が大切じゃないんですか?」
「大切にする人もいます。」
小雪ちゃんが言った。
「共舘の将軍様は身分がとても低かった平八郎さんを馬廻りにまで出世させて、とても大切にしています。」
「じゃあ、身分が高くても下々の人を大切にする人と、大切にしない人、その人たちの違いは何でしょう?少し考えてみて。」
皆はざわざわと話し合って思考を深めていく。
一人の子が手を上げる。
「上手く言えないんですけど、他の人を尊重する気持ちがあるかどうかだと思います。」
「確かにそうね。」と皆が賛同する。
私は頷いて、少し声を大きくした。
「今日は少し難しい言葉を皆に教えます。人権という言葉です。人には皆、人権があるという考えが根底にあると、他の人を尊重する気持ちが出るんです。」
皆が人権という文字をどう書くのか、どういう意味か聞いた。
私は紙に『人権』と書いて、皆に見せた。
そして、もう一つの紙に『権利』と書いた。
「人権っていうのは人の権利っていう言葉を少し短くしたものです。人には生まれながらに権利があるという考え方です。」
「権利?」
「したいことをしてもよい、あるいは、したくないことをしなくてもよい、と保障されるべき資格みたいなものです。 例えば、私は皆、自分の思ったことや意見を自由に言ってもいいと思っています。その資格、権利が皆にあると思っているからです。小雪ちゃんにもその資格、権利があります。だから漫画を推奨するし、風刺画を描いたことも悪いとは思いません。」
「じゃあ、共舘の将軍様は身分が低く生まれても、皆が侍になれる資格、権利があると思っていると言う事ですか?」
「そうです。身分に関係なく、能力のある人はその能力を発揮する権利があると考えていると思います。」
皆がざわついた。
「皆には権利があります。人権があります。自由に発言する権利があります。自分の幸せを追求する権利があります。教育を受ける権利があります。自分の能力を発揮する権利があります。」
皆は自分たちにそういう権利があるということを今まで知らなかったという感じで、驚いたようにざわついた。
「女性でも、自分の能力を発揮して社会で活躍する権利があります。もちろん、家庭に入って子育てをする権利もあります。でも、そこには自由に自分の生き方を選択できる権利があるということです。」
また皆がざわついた。
「でも、亜の国主は皆に権利、人権があるということを知りません。きっと今までそういうことを教える人が周りにいなかったんだと思います。どうしたらいいですか?」
私はまた問いかけると、各々が自分の考えを口にし始めた。
「誰かが教えないと。」
「小雪ちゃんは、風刺を描くことで、亜の国主に、女にも人権があると伝えたんじゃないでしょうか?」
そうだ、そうだ、と皆がざわつく。
私は少し深呼吸をした。
「私も皆の意見に賛成です。小雪ちゃんは皆には人権があるのに、亜の国主がそれを大切にしていないことを風刺で伝えました。それは間違っていることじゃないんです。でも、残念ながら、亜の国主はその考えを受け入れませんでした。」
「それで那美先生や小雪ちゃんを鞭打ちで黙らせようなんて!国主がやったことは人権を踏みつけるような行為です!」
「そう。だから、ちょっとやそっと鞭で打たれたからって、それでひるむわけにはいけないんです。それで黙ったら、また同じような扱いを受けて黙らさせられて終わりです。」
皆がもっとざわつき始める。
少し言ったことが過激だったかもしれない。
―― でも…
「人権を持っている私たち本人が、その人権を主張しなければ、他に誰が主張してくれるんでしょうか?」
そして私は皆に物語を聞かせた。
遠い異世界の地球で起きた、人権に関する物語を。
ロサ・パークスの話、パウロ・フレイレの話、福田英子の話。
「皆に人権という言葉や概念が浸透するのは時間がかかると思います。でも、負けないで下さい。皆には人権を主張する権利があります。そして、少しずつでいいから、他の人に教えてあげてください。虐げられても仕方ないと思っている人に、身分が低いからと諦めている人に、女だから仕方ないと諦めている人に、そんなことはない、皆に幸せになる資格があると伝えてあげてください。」
皆は目に力を込めて頷いていた。
授業が終わり、皆が手習い所を去っていくのと入れ違いで、伊月さんと、源次郎さんが扉から顔を見せた。
「あ、伊月さん、源次郎さん、昨日は、ありがとうございました。」
「背中の傷はどうか? 今日くらい手習い所を休んでも良かったんじゃないか?」
「いえ…。皆が心配していたので。でも、お陰様で薬が良く効いて、もうあんまり痛くないんです。どうぞ入って下さい。お茶を入れます。」
伊月さんと源次郎さんはお辞儀をしながら去っていく生徒たちがいなくなったのを確認して、小屋の中に入ってきた。
「熱が出てらっしゃるんじゃないかと心配しておりました。」
源次郎さんがお茶を受け取りながら言った。
「昨日の夜は少し熱が出てたみたいなんですけど、もう平気です。伊月さんがずっと看病してくれましたから。昨日は夜遅くにご迷惑かけてすみませんでした。」
「そんな、迷惑だなんてことは全然ありません。それに、主は那美様の看病なさるのが好きですし。」
「げ、源次郎、そなたは少し黙っていろ…。」
「あはは。すみません。いやぁ、ここが手習い所ですかぁ。良い所ですね。」
源次郎さんはお茶をグイっと飲み干して、ごちそうさまでした、と言うと、スッと立ち上がった。
「主、私はオババ様の所に先に参ります。では、那美様、また後ほど。」
源次郎さんがいなくなると、伊月さんは、薬を持って来たと言った。
「ありがとうございます!伊月さんの薬はよく効きます。」
「人権…」
「え?」
突然、伊月さんがそう言って、私は目を丸くする。
伊月さんはさっき私が『人権』と書いて皆に見せた紙を手に取っていた。
「あ、それは…」
「悪いとは思ったが、その話しをさっきそこで聞いていた。」
「え?聞いてたんですか?」
「ああ。源次郎と一緒に聞いた。良い話しだ。」
「これから人の上に立つ伊月さんには都合の悪い話なんじゃ…」
「そんなことはない。勉強になった。」
それからお茶をすすって、ぽつり、と、「女人とは誠、強きものだな」と言った。
「そうですか?」
「芝居小屋での小雪どのといい、夜中に奔走するお仙どのといい、そなたといい、私は弱い女に出会ったことがない。」
「そして、オババ様から育てられたのですもんね。ふふふ。」
「あの方は強いという言葉では言い表せぬ。」
伊月さんはそういって湯のみを机の上に置くと、私の腰を引き寄せた。
「な、何ですか?」
急に恥ずかしくなって俯く。
「傷の手当をしに来たのだ。自分では薬をぬれんだろう。」
そう言って私の後ろの襟に手をかけた。
それだけで胸がどきどきと高鳴りだした。
伊月さんは私のうなじにチュっと軽くキスをした。
「きゃ。」
「脱がないと手当ができぬ。」
着物を脱ぐように言われて、おずおずと、でも素直に従った。
伊月さんは昨日と同じように、私の傷を見て、消毒して、薬を塗ってくれる。
ドキドキしながらじっとしていると、そのうち、伊月さんが終わったと短く言った。
また、さらしを巻いてくれて、手当が終わる。
少しあっけなくて、何故か手当が終わってしまったことを残念に思っている自分がいることに気づく。
―― ドキドキしてるの、私だけだなんて、恥ずかしい。
着物を着て、お礼を言うと、軽くおでこにキスをされた。
皆が心配そうな目で私を見ている。
昨夜、小雪ちゃんと私に何があったか、もう皆の知るところとなっている。
小雪ちゃんは泣き腫らした赤い目をして、静かに座っている。
「みんな、聞いて下さい。」
私は声を大きくした。
「小雪ちゃんは何も悪くないです。昨夜あったことは、小雪ちゃんのせいじゃないです。」
小雪ちゃんは俯いていた顔をバッと上げて私を見た。
「でも、那美先生、私のせいで先生に迷惑を…」
「ううん。もう一度言うから、ちゃんと聞いて。小雪ちゃんのせいじゃない。じゃあ、誰のせいだと思いますか?」
「亜の国主のせいです!」
お仙さんが言うと、皆も納得したみたいに、そうだ、そうだと囁き合う。
「亜の国主は人さらいや人殺しはずっと放っておきました。魔獣が出ても、ひどくなるまでずっと放っておきました。でも自分の事をちょっと悪く言われるとすぐに逮捕して罰を与えます。」
他の子が言った。
「亜の国主はどうしてそうすると思いますか?」
私が問いかけると、皆は近くに座っている子達と話し合った。
「自分のことしか気にしてないからです。他の人はどうでもいいんです。」
「私もそう思います。国主は民のことを思っていません。」
皆が口々に言う。
「じゃあ、亜の国主はどうして民のことを思わないんでしょう? 考えたことある?」
さらに問いかけると、皆は考え始める。
「私たちより亜の国主の方が身分が高くて、由緒正しくて、高貴だから、下々の者のことは大切じゃないんです。」
「どうして身分の高い人は下の身分の人が大切じゃないんですか?」
「大切にする人もいます。」
小雪ちゃんが言った。
「共舘の将軍様は身分がとても低かった平八郎さんを馬廻りにまで出世させて、とても大切にしています。」
「じゃあ、身分が高くても下々の人を大切にする人と、大切にしない人、その人たちの違いは何でしょう?少し考えてみて。」
皆はざわざわと話し合って思考を深めていく。
一人の子が手を上げる。
「上手く言えないんですけど、他の人を尊重する気持ちがあるかどうかだと思います。」
「確かにそうね。」と皆が賛同する。
私は頷いて、少し声を大きくした。
「今日は少し難しい言葉を皆に教えます。人権という言葉です。人には皆、人権があるという考えが根底にあると、他の人を尊重する気持ちが出るんです。」
皆が人権という文字をどう書くのか、どういう意味か聞いた。
私は紙に『人権』と書いて、皆に見せた。
そして、もう一つの紙に『権利』と書いた。
「人権っていうのは人の権利っていう言葉を少し短くしたものです。人には生まれながらに権利があるという考え方です。」
「権利?」
「したいことをしてもよい、あるいは、したくないことをしなくてもよい、と保障されるべき資格みたいなものです。 例えば、私は皆、自分の思ったことや意見を自由に言ってもいいと思っています。その資格、権利が皆にあると思っているからです。小雪ちゃんにもその資格、権利があります。だから漫画を推奨するし、風刺画を描いたことも悪いとは思いません。」
「じゃあ、共舘の将軍様は身分が低く生まれても、皆が侍になれる資格、権利があると思っていると言う事ですか?」
「そうです。身分に関係なく、能力のある人はその能力を発揮する権利があると考えていると思います。」
皆がざわついた。
「皆には権利があります。人権があります。自由に発言する権利があります。自分の幸せを追求する権利があります。教育を受ける権利があります。自分の能力を発揮する権利があります。」
皆は自分たちにそういう権利があるということを今まで知らなかったという感じで、驚いたようにざわついた。
「女性でも、自分の能力を発揮して社会で活躍する権利があります。もちろん、家庭に入って子育てをする権利もあります。でも、そこには自由に自分の生き方を選択できる権利があるということです。」
また皆がざわついた。
「でも、亜の国主は皆に権利、人権があるということを知りません。きっと今までそういうことを教える人が周りにいなかったんだと思います。どうしたらいいですか?」
私はまた問いかけると、各々が自分の考えを口にし始めた。
「誰かが教えないと。」
「小雪ちゃんは、風刺を描くことで、亜の国主に、女にも人権があると伝えたんじゃないでしょうか?」
そうだ、そうだ、と皆がざわつく。
私は少し深呼吸をした。
「私も皆の意見に賛成です。小雪ちゃんは皆には人権があるのに、亜の国主がそれを大切にしていないことを風刺で伝えました。それは間違っていることじゃないんです。でも、残念ながら、亜の国主はその考えを受け入れませんでした。」
「それで那美先生や小雪ちゃんを鞭打ちで黙らせようなんて!国主がやったことは人権を踏みつけるような行為です!」
「そう。だから、ちょっとやそっと鞭で打たれたからって、それでひるむわけにはいけないんです。それで黙ったら、また同じような扱いを受けて黙らさせられて終わりです。」
皆がもっとざわつき始める。
少し言ったことが過激だったかもしれない。
―― でも…
「人権を持っている私たち本人が、その人権を主張しなければ、他に誰が主張してくれるんでしょうか?」
そして私は皆に物語を聞かせた。
遠い異世界の地球で起きた、人権に関する物語を。
ロサ・パークスの話、パウロ・フレイレの話、福田英子の話。
「皆に人権という言葉や概念が浸透するのは時間がかかると思います。でも、負けないで下さい。皆には人権を主張する権利があります。そして、少しずつでいいから、他の人に教えてあげてください。虐げられても仕方ないと思っている人に、身分が低いからと諦めている人に、女だから仕方ないと諦めている人に、そんなことはない、皆に幸せになる資格があると伝えてあげてください。」
皆は目に力を込めて頷いていた。
授業が終わり、皆が手習い所を去っていくのと入れ違いで、伊月さんと、源次郎さんが扉から顔を見せた。
「あ、伊月さん、源次郎さん、昨日は、ありがとうございました。」
「背中の傷はどうか? 今日くらい手習い所を休んでも良かったんじゃないか?」
「いえ…。皆が心配していたので。でも、お陰様で薬が良く効いて、もうあんまり痛くないんです。どうぞ入って下さい。お茶を入れます。」
伊月さんと源次郎さんはお辞儀をしながら去っていく生徒たちがいなくなったのを確認して、小屋の中に入ってきた。
「熱が出てらっしゃるんじゃないかと心配しておりました。」
源次郎さんがお茶を受け取りながら言った。
「昨日の夜は少し熱が出てたみたいなんですけど、もう平気です。伊月さんがずっと看病してくれましたから。昨日は夜遅くにご迷惑かけてすみませんでした。」
「そんな、迷惑だなんてことは全然ありません。それに、主は那美様の看病なさるのが好きですし。」
「げ、源次郎、そなたは少し黙っていろ…。」
「あはは。すみません。いやぁ、ここが手習い所ですかぁ。良い所ですね。」
源次郎さんはお茶をグイっと飲み干して、ごちそうさまでした、と言うと、スッと立ち上がった。
「主、私はオババ様の所に先に参ります。では、那美様、また後ほど。」
源次郎さんがいなくなると、伊月さんは、薬を持って来たと言った。
「ありがとうございます!伊月さんの薬はよく効きます。」
「人権…」
「え?」
突然、伊月さんがそう言って、私は目を丸くする。
伊月さんはさっき私が『人権』と書いて皆に見せた紙を手に取っていた。
「あ、それは…」
「悪いとは思ったが、その話しをさっきそこで聞いていた。」
「え?聞いてたんですか?」
「ああ。源次郎と一緒に聞いた。良い話しだ。」
「これから人の上に立つ伊月さんには都合の悪い話なんじゃ…」
「そんなことはない。勉強になった。」
それからお茶をすすって、ぽつり、と、「女人とは誠、強きものだな」と言った。
「そうですか?」
「芝居小屋での小雪どのといい、夜中に奔走するお仙どのといい、そなたといい、私は弱い女に出会ったことがない。」
「そして、オババ様から育てられたのですもんね。ふふふ。」
「あの方は強いという言葉では言い表せぬ。」
伊月さんはそういって湯のみを机の上に置くと、私の腰を引き寄せた。
「な、何ですか?」
急に恥ずかしくなって俯く。
「傷の手当をしに来たのだ。自分では薬をぬれんだろう。」
そう言って私の後ろの襟に手をかけた。
それだけで胸がどきどきと高鳴りだした。
伊月さんは私のうなじにチュっと軽くキスをした。
「きゃ。」
「脱がないと手当ができぬ。」
着物を脱ぐように言われて、おずおずと、でも素直に従った。
伊月さんは昨日と同じように、私の傷を見て、消毒して、薬を塗ってくれる。
ドキドキしながらじっとしていると、そのうち、伊月さんが終わったと短く言った。
また、さらしを巻いてくれて、手当が終わる。
少しあっけなくて、何故か手当が終わってしまったことを残念に思っている自分がいることに気づく。
―― ドキドキしてるの、私だけだなんて、恥ずかしい。
着物を着て、お礼を言うと、軽くおでこにキスをされた。