今日は帝に拝謁する日ということで、それはもう、たくさんの着物を着させられた。
何枚重ねるんですか?っていうほどに、女官たちは着物を私の体に重ねに重ねまくった。
「お美しいですよ。」
女官たちはどこか嬉しそうだ。
―― う、動きにくい!
私はゆっくりと伊月さんたちの待っている迎賓宮の門まで歩く。
一応オババ様から帝拝謁の作法は習ったけど、それでも心配だなぁ。
「お待たせいたしました。」
外に出ると、正装をした伊月さんが見えた。
―― 何それ、ヤバい。カッコいい。
伊月さんは直垂に侍烏帽子姿で、初めて見る装束だった。
何を着ててもかっこいいとか、どういうこと?
ゆっくりしか動けない私の手を取って、伊月さんは輿までエスコートしてくれた。
「那美どのは何を着ても可愛いな...」
輿に乗る瞬間、とても小さな声で伊月さんがボソっとつぶやいた。
私も伊月さんにかっこいいって言いたかったのに、もう、隊を率いて、出発の号令をかけている。
―― ずるいなぁ。
―――
護衛隊と一緒に宮殿に着くと、東三条さんとトヨさんが出迎えてくれて、すぐに帝にも拝謁できた。
帝は30代後半くらいに見える、上品さを具現化したような人だ。
「汝が異界から来た巫女、那美か?」
「はい。帝に拝謁でき、光栄です。」
「日ノ本から来たと聞いた。さらにタカオ山でオババ様の巫女として働いておるとも聞いた。」
「その通りです。」
「始皇帝の来られた世から来て、始皇帝の愛されたオババ様の元におるとは何とも縁を感じるな。」
タマチ帝国の始皇帝はオババ様の恋仲だったイケメンの元武将、重治さんだ。
「さて、これよりしばらく、そなたのいた日ノ本について色々と聞きたい。人払いをせよ。」
帝の言葉に従い、部屋には私だけ残された。
帝は、始皇帝がここに来て以来、日本がどういう風に変わったのか聞いた。
始皇帝がこの尽世に来たのが500年前くらいだから、私は戦国時代から江戸時代までの日本の歴史を大まかに説明した。
「戦がなくなったとは驚きだ。戦がなくなると国はどのようになるのか。」
帝と私は、丸一日をこういう話しをするのに費やして、日暮れが近くなってから人を呼び戻した。
そして、帝は庭先に控えていた伊月さんを呼んだ。
「迎賓宮に酒呑童子が出たと聞いた。迎賓宮の武官の長、大内の働きはいかに。」
「強力な妖術を使う酒呑童子の侵入を防ぐことは誰にとっても難しいことで御座います。多少の改善の余地があったとしても、大内様の非では御座いません。さらには大内様は私のような下々の武士にも意見を求め、迎賓宮の警護の改善に勤めておられます。大変ご立派にお勤めをされております。」
伊月さんは迎賓宮の武官長を庇ったようだった。
帝は頷いて、大内に咎め無しと言った。
「那美、よき時間を過ごした。礼を言う。また明日も同じ時刻に参内せよ。」
帝が去っていった。
―― つ、疲れたぁ。
私は重い着物を脱ぎ捨てて、大の字に寝転びたい衝動にかられた。
でもそうはいかなかった。
夜は夜で、迎賓宮でもてなしの宴を受けた。
宴が終わり、皆が湯あみを済ませたころ、八咫烏さんがフラっと戻って来たらしく、隣の部屋で伊月さんたちと何やらワイワイ話していたようだった。
私も会話に加わりたいけど、私の周りには女官がたくさんいて、いつも伊月さんたちとのグループからは少し距離を離されている。
宮廷のしきたりで、割と厳重に男女の区域が分けられている。
―――
次の日、私はまた同じように沢山の着物を重ね着して、参内した。
帝は私が都にいる間にできるだけ沢山の事を聞きたかったらしく、また丸一日かけての問答会だった。
とはいえ、これが都最後の日、明日は朝から出発するから、我慢だ。
と、思った瞬間、帝から、
「もう一日滞在を延長しろ。」
と言われてしまった。
「また明日も同じ時刻に参内せよ。」
―― き、きついよぉぉぉ。
そして夜はいつも宴だった。
みんな優しくて、美味しいものも食べさせてくれるけど、なかなか疲れがとれず、少しホームシックになっていた。
そして何より、深刻な伊月さん不足に陥っていた。
すぐ近くにいるのに、常に誰かが回りにいて、伊月さんとゆっくり話せていない。
伊月さんが格好良すぎて、胸キュンが止まらないのに、かっこいいですって伝えられなくて苦しい。
―― そうだ!
私は、都滞在の初日に鬼に邪魔されて書けなかった伊月さんへの文を書くことにした。
『伊月さんへ、
都では毎日美味しいものが食べれて、着飾って、とっても雅な生活ができるけど、あまり自由がない事が苦しいです。
特に、自由に伊月さんに話しかけたり、触れたりできないのが一番辛いです。
伊月さんの直垂と侍烏帽子の正装がとっても格好よくって、毎日ドキドキしているのに、それを伝えられないのも辛いです。
那美』
そして次の日、この文を、輿までエスコートしてくれる伊月さんにこっそり渡した。
また宮廷での丸一日かけての問答会がはじまった。
帝は私に定期的に文を寄こし、タカオ山周辺の情報を提供するように言い含めた。
そして、この日の謁見の最後に、私に位階と役職をくれる、という。
「皆の者、よく聞け。」
帝は皆の前で宣言した。
「那美を従四位上に叙し、参与に任ずる。」
参与は相談役といった感じの役職だ。
私は、『従四位上に叙する』と、でかでかと書かれた紙を受け取った。
―― 良かった。終わった。
これ以上滞在を延長するように言われなくて、少しほっとする。
帝はとてもいい人だけど、さすがに毎日これでは疲れる。
贈位の礼が終わって迎賓宮にもどり、最後の宴が催された。
―― いよいよ明日は出発か。
また都には参内のためにではなく、観光に来たいなと思った。
今回の旅行はお仕事のために来たから、少ししか観光できなかったけど、見どころはまだまだ沢山ありそうだよね。
東三条さんに連れて行ってもらった商店街で買った観光案内の本を見た。
写真がなくて全部文字だけの説明だけど、行ってみたい所が満載だ。
―― いつかお仕事じゃなくて、完全に休暇で旅行とかしてみたいな
そんなことを考えながら、私は眠りについた。
―――
いよいよ都を出発する朝、朝餉を終えて、出発の準備を始めた私のもとに、女官がやってきて、文をくれた。
―― あ、夕凪ちゃんとオババ様とお仙さんからのお返事だ!
堅苦しい都の雰囲気から解放される喜びと、お返事が来たことで、一気に気分があがった。
―― 道中、ゆっくり読もう。
私も旅装に着替えて、護衛隊の元に行く。
「皆さん、おはようございます。また帰りの道中も宜しくお願いします。」
私が挨拶すると、皆も挨拶してくれて、平八郎さんが私の荷物を馬に乗せてくれる。
そこに武官長の大内さんが来て、伊月さんに深々と頭を下げた。
「帝へお口添え頂いたと聞きました。酒呑童子が入ったというのに、何のお咎めもありませんでした。何とお礼を言っていいか。」
―― ふふふ。ここでも仲間を増やしてるな。
東三条さんも、トヨさんも見送りに来てくれた。
私達は迎賓宮の官人たちにお礼を言って出発した。
私は皆が見えなくなるまで手を振った。
都の最南の朱雀門を出ればもう都の外だ。
門を出る前に伊月さんが
「那美どの、いつか自分で馬に乗りたいと言っていたな。」
と、聞いた。
コクリと頷くと、私が教えてやるといって、平八郎さんに馬をもってくるように言いつけた。
平八郎さんが隊の後ろで引かれながら歩いていた馬を黒毛の横に並べた。
栗色の毛並みが綺麗な少し小ぶりの馬だ。
「馬の名前は栗毛という。」
―― やっぱりネーミングセンスがそのまま...。
―― 〇〇栗毛みたいにもうちょい特徴を付けてもいいのに。
伊月さんが基本的な馬への乗り降りの仕方を教えてくれた。
指導に従ってゆっくり馬に乗ると、私の姿勢を正し、手綱の持ち方、基本的な扱い方を教えてくれる。
そして、栗毛の馬銜にもう一本紐を付けて、伊月さんはその紐を持ったまま、自分は黒毛に乗った。
「何かあれば私が引いてやるので安心しろ。」
「ありがとうございます。」
そして、その瞬間、伊月さんが、「那美どの、受け取れ」と言ってさっと文をくれた。
―― 返事を書いてくれたんだ!
嬉しくなって伊月さんを見ると、「あとで読め」と短く言った。
黒毛に乗った伊月さんと栗毛に乗った私が並んで歩き出すと隊の皆もそれに続いた。
また伊月さんの近くにいれる。
私は隣で颯爽と黒毛を操る伊月さんを見ながらうっとりする。
「そろそろタカオ山が恋しくなったか?」
「はい。オババ様や夕凪ちゃんに会いたいです。でも、この旅が終わるのも少し寂しいですね。」
「そうだな。護衛隊の者たちも楽しんでいたようだ。」
「そうなら良かったです。伊月さんは楽しかったですか?」
「ああ、楽しかった。このように物見遊山で旅したのは初めてだ。いつもは戦でしか亜の国を出ないからな。」
この旅でも戦う場面が結構あったのに、伊月さんにしてみれば物見遊山のレベルなんだな。
遠征ではずっと野宿だし、ずっとずっと危険な目に合うんだよな。
そろそろ宇の国境に差し掛かるという頃、バサバサと、大きな羽音が聞こえた。
「あ、八咫烏さんが...と、あれ?」
伊月さんが馬をとめると、護衛隊の皆も歩みを止める。
「しゅ、酒呑童子?」
八咫烏さんと一緒に現れたのは、すっかり様変わりした酒呑童子らしき鬼だった。
伊月さんが刀の鞘に手をかけるのを、八咫烏さんが制する。
「別れを言いに来ただけだ。」
「那美…。」
「しゅ、酒呑童子? 見違えましたね!」
酒呑童子は髪をさっぱり切り、眉を整え、恐ろしく伸びていた鈎爪も綺麗に切りそろえている。
虎柄の腰巻の代わりに質のいい着流し姿で、襟元をすこし緩めて筋肉をチラ見せしている。
そして、金棒の代わりに腰に刀をさしている。
今まで裸足だったけど、今日は足袋も草履もはいていて、フォーマルな場所に行っても十分通用しそうだ。
肌も心なしかツヤツヤになったような気がする。
―― もしや八咫烏さんのコーディネート?
「お前の言ったとおりだった。この姿にしてから、人々があまり恐れなくなった。」
「それは良かったです。」
「女をさらうのもやめた。そのかわり、八咫烏が女の口説き方を教えてくれると言った。」
「ふふふ。頑張って下さいね。」
「那美、タカオ山まで気を付けて行け。」
「ありがとうございます。酒呑童子も幸せになってね。」
酒呑童子はまるで別人みたいに、素直にコクリとうなずいた。
「気が変わったら、俺の所に嫁に来い。いつでも、いい暮らしをさせてやる。」
「気持ちだけ、ありがたく受け取ります。」
「じゃあ、気をつけてな。」
「酒呑童子もね。」
「そろそろ、行くぞ。」
八咫烏さんが、また、酒呑童子を連れて飛び立とうとする。
その瞬間、酒呑童子が伊月さんをまっすぐに見て言った。
「お前だけは気に入らない。お前の申し込んだ決闘を、いつか、必ず受けてやるから、その日まで腕を磨いておけ。」
「望むところだ。」
「余計なことを言わずに、ほら、さっさと行くぞ。」
八咫烏さんは、さっと飛び立った。
酒呑童子が私に手を振ったので、私も手を振った。
酒呑童子は姿が見えなくなるまで、ずっとずっと手を振っていた。
何枚重ねるんですか?っていうほどに、女官たちは着物を私の体に重ねに重ねまくった。
「お美しいですよ。」
女官たちはどこか嬉しそうだ。
―― う、動きにくい!
私はゆっくりと伊月さんたちの待っている迎賓宮の門まで歩く。
一応オババ様から帝拝謁の作法は習ったけど、それでも心配だなぁ。
「お待たせいたしました。」
外に出ると、正装をした伊月さんが見えた。
―― 何それ、ヤバい。カッコいい。
伊月さんは直垂に侍烏帽子姿で、初めて見る装束だった。
何を着ててもかっこいいとか、どういうこと?
ゆっくりしか動けない私の手を取って、伊月さんは輿までエスコートしてくれた。
「那美どのは何を着ても可愛いな...」
輿に乗る瞬間、とても小さな声で伊月さんがボソっとつぶやいた。
私も伊月さんにかっこいいって言いたかったのに、もう、隊を率いて、出発の号令をかけている。
―― ずるいなぁ。
―――
護衛隊と一緒に宮殿に着くと、東三条さんとトヨさんが出迎えてくれて、すぐに帝にも拝謁できた。
帝は30代後半くらいに見える、上品さを具現化したような人だ。
「汝が異界から来た巫女、那美か?」
「はい。帝に拝謁でき、光栄です。」
「日ノ本から来たと聞いた。さらにタカオ山でオババ様の巫女として働いておるとも聞いた。」
「その通りです。」
「始皇帝の来られた世から来て、始皇帝の愛されたオババ様の元におるとは何とも縁を感じるな。」
タマチ帝国の始皇帝はオババ様の恋仲だったイケメンの元武将、重治さんだ。
「さて、これよりしばらく、そなたのいた日ノ本について色々と聞きたい。人払いをせよ。」
帝の言葉に従い、部屋には私だけ残された。
帝は、始皇帝がここに来て以来、日本がどういう風に変わったのか聞いた。
始皇帝がこの尽世に来たのが500年前くらいだから、私は戦国時代から江戸時代までの日本の歴史を大まかに説明した。
「戦がなくなったとは驚きだ。戦がなくなると国はどのようになるのか。」
帝と私は、丸一日をこういう話しをするのに費やして、日暮れが近くなってから人を呼び戻した。
そして、帝は庭先に控えていた伊月さんを呼んだ。
「迎賓宮に酒呑童子が出たと聞いた。迎賓宮の武官の長、大内の働きはいかに。」
「強力な妖術を使う酒呑童子の侵入を防ぐことは誰にとっても難しいことで御座います。多少の改善の余地があったとしても、大内様の非では御座いません。さらには大内様は私のような下々の武士にも意見を求め、迎賓宮の警護の改善に勤めておられます。大変ご立派にお勤めをされております。」
伊月さんは迎賓宮の武官長を庇ったようだった。
帝は頷いて、大内に咎め無しと言った。
「那美、よき時間を過ごした。礼を言う。また明日も同じ時刻に参内せよ。」
帝が去っていった。
―― つ、疲れたぁ。
私は重い着物を脱ぎ捨てて、大の字に寝転びたい衝動にかられた。
でもそうはいかなかった。
夜は夜で、迎賓宮でもてなしの宴を受けた。
宴が終わり、皆が湯あみを済ませたころ、八咫烏さんがフラっと戻って来たらしく、隣の部屋で伊月さんたちと何やらワイワイ話していたようだった。
私も会話に加わりたいけど、私の周りには女官がたくさんいて、いつも伊月さんたちとのグループからは少し距離を離されている。
宮廷のしきたりで、割と厳重に男女の区域が分けられている。
―――
次の日、私はまた同じように沢山の着物を重ね着して、参内した。
帝は私が都にいる間にできるだけ沢山の事を聞きたかったらしく、また丸一日かけての問答会だった。
とはいえ、これが都最後の日、明日は朝から出発するから、我慢だ。
と、思った瞬間、帝から、
「もう一日滞在を延長しろ。」
と言われてしまった。
「また明日も同じ時刻に参内せよ。」
―― き、きついよぉぉぉ。
そして夜はいつも宴だった。
みんな優しくて、美味しいものも食べさせてくれるけど、なかなか疲れがとれず、少しホームシックになっていた。
そして何より、深刻な伊月さん不足に陥っていた。
すぐ近くにいるのに、常に誰かが回りにいて、伊月さんとゆっくり話せていない。
伊月さんが格好良すぎて、胸キュンが止まらないのに、かっこいいですって伝えられなくて苦しい。
―― そうだ!
私は、都滞在の初日に鬼に邪魔されて書けなかった伊月さんへの文を書くことにした。
『伊月さんへ、
都では毎日美味しいものが食べれて、着飾って、とっても雅な生活ができるけど、あまり自由がない事が苦しいです。
特に、自由に伊月さんに話しかけたり、触れたりできないのが一番辛いです。
伊月さんの直垂と侍烏帽子の正装がとっても格好よくって、毎日ドキドキしているのに、それを伝えられないのも辛いです。
那美』
そして次の日、この文を、輿までエスコートしてくれる伊月さんにこっそり渡した。
また宮廷での丸一日かけての問答会がはじまった。
帝は私に定期的に文を寄こし、タカオ山周辺の情報を提供するように言い含めた。
そして、この日の謁見の最後に、私に位階と役職をくれる、という。
「皆の者、よく聞け。」
帝は皆の前で宣言した。
「那美を従四位上に叙し、参与に任ずる。」
参与は相談役といった感じの役職だ。
私は、『従四位上に叙する』と、でかでかと書かれた紙を受け取った。
―― 良かった。終わった。
これ以上滞在を延長するように言われなくて、少しほっとする。
帝はとてもいい人だけど、さすがに毎日これでは疲れる。
贈位の礼が終わって迎賓宮にもどり、最後の宴が催された。
―― いよいよ明日は出発か。
また都には参内のためにではなく、観光に来たいなと思った。
今回の旅行はお仕事のために来たから、少ししか観光できなかったけど、見どころはまだまだ沢山ありそうだよね。
東三条さんに連れて行ってもらった商店街で買った観光案内の本を見た。
写真がなくて全部文字だけの説明だけど、行ってみたい所が満載だ。
―― いつかお仕事じゃなくて、完全に休暇で旅行とかしてみたいな
そんなことを考えながら、私は眠りについた。
―――
いよいよ都を出発する朝、朝餉を終えて、出発の準備を始めた私のもとに、女官がやってきて、文をくれた。
―― あ、夕凪ちゃんとオババ様とお仙さんからのお返事だ!
堅苦しい都の雰囲気から解放される喜びと、お返事が来たことで、一気に気分があがった。
―― 道中、ゆっくり読もう。
私も旅装に着替えて、護衛隊の元に行く。
「皆さん、おはようございます。また帰りの道中も宜しくお願いします。」
私が挨拶すると、皆も挨拶してくれて、平八郎さんが私の荷物を馬に乗せてくれる。
そこに武官長の大内さんが来て、伊月さんに深々と頭を下げた。
「帝へお口添え頂いたと聞きました。酒呑童子が入ったというのに、何のお咎めもありませんでした。何とお礼を言っていいか。」
―― ふふふ。ここでも仲間を増やしてるな。
東三条さんも、トヨさんも見送りに来てくれた。
私達は迎賓宮の官人たちにお礼を言って出発した。
私は皆が見えなくなるまで手を振った。
都の最南の朱雀門を出ればもう都の外だ。
門を出る前に伊月さんが
「那美どの、いつか自分で馬に乗りたいと言っていたな。」
と、聞いた。
コクリと頷くと、私が教えてやるといって、平八郎さんに馬をもってくるように言いつけた。
平八郎さんが隊の後ろで引かれながら歩いていた馬を黒毛の横に並べた。
栗色の毛並みが綺麗な少し小ぶりの馬だ。
「馬の名前は栗毛という。」
―― やっぱりネーミングセンスがそのまま...。
―― 〇〇栗毛みたいにもうちょい特徴を付けてもいいのに。
伊月さんが基本的な馬への乗り降りの仕方を教えてくれた。
指導に従ってゆっくり馬に乗ると、私の姿勢を正し、手綱の持ち方、基本的な扱い方を教えてくれる。
そして、栗毛の馬銜にもう一本紐を付けて、伊月さんはその紐を持ったまま、自分は黒毛に乗った。
「何かあれば私が引いてやるので安心しろ。」
「ありがとうございます。」
そして、その瞬間、伊月さんが、「那美どの、受け取れ」と言ってさっと文をくれた。
―― 返事を書いてくれたんだ!
嬉しくなって伊月さんを見ると、「あとで読め」と短く言った。
黒毛に乗った伊月さんと栗毛に乗った私が並んで歩き出すと隊の皆もそれに続いた。
また伊月さんの近くにいれる。
私は隣で颯爽と黒毛を操る伊月さんを見ながらうっとりする。
「そろそろタカオ山が恋しくなったか?」
「はい。オババ様や夕凪ちゃんに会いたいです。でも、この旅が終わるのも少し寂しいですね。」
「そうだな。護衛隊の者たちも楽しんでいたようだ。」
「そうなら良かったです。伊月さんは楽しかったですか?」
「ああ、楽しかった。このように物見遊山で旅したのは初めてだ。いつもは戦でしか亜の国を出ないからな。」
この旅でも戦う場面が結構あったのに、伊月さんにしてみれば物見遊山のレベルなんだな。
遠征ではずっと野宿だし、ずっとずっと危険な目に合うんだよな。
そろそろ宇の国境に差し掛かるという頃、バサバサと、大きな羽音が聞こえた。
「あ、八咫烏さんが...と、あれ?」
伊月さんが馬をとめると、護衛隊の皆も歩みを止める。
「しゅ、酒呑童子?」
八咫烏さんと一緒に現れたのは、すっかり様変わりした酒呑童子らしき鬼だった。
伊月さんが刀の鞘に手をかけるのを、八咫烏さんが制する。
「別れを言いに来ただけだ。」
「那美…。」
「しゅ、酒呑童子? 見違えましたね!」
酒呑童子は髪をさっぱり切り、眉を整え、恐ろしく伸びていた鈎爪も綺麗に切りそろえている。
虎柄の腰巻の代わりに質のいい着流し姿で、襟元をすこし緩めて筋肉をチラ見せしている。
そして、金棒の代わりに腰に刀をさしている。
今まで裸足だったけど、今日は足袋も草履もはいていて、フォーマルな場所に行っても十分通用しそうだ。
肌も心なしかツヤツヤになったような気がする。
―― もしや八咫烏さんのコーディネート?
「お前の言ったとおりだった。この姿にしてから、人々があまり恐れなくなった。」
「それは良かったです。」
「女をさらうのもやめた。そのかわり、八咫烏が女の口説き方を教えてくれると言った。」
「ふふふ。頑張って下さいね。」
「那美、タカオ山まで気を付けて行け。」
「ありがとうございます。酒呑童子も幸せになってね。」
酒呑童子はまるで別人みたいに、素直にコクリとうなずいた。
「気が変わったら、俺の所に嫁に来い。いつでも、いい暮らしをさせてやる。」
「気持ちだけ、ありがたく受け取ります。」
「じゃあ、気をつけてな。」
「酒呑童子もね。」
「そろそろ、行くぞ。」
八咫烏さんが、また、酒呑童子を連れて飛び立とうとする。
その瞬間、酒呑童子が伊月さんをまっすぐに見て言った。
「お前だけは気に入らない。お前の申し込んだ決闘を、いつか、必ず受けてやるから、その日まで腕を磨いておけ。」
「望むところだ。」
「余計なことを言わずに、ほら、さっさと行くぞ。」
八咫烏さんは、さっと飛び立った。
酒呑童子が私に手を振ったので、私も手を振った。
酒呑童子は姿が見えなくなるまで、ずっとずっと手を振っていた。