大抵いつも冷静沈着な私だが、この頃、感情の揺さぶりを制御出来なくて困っていた。
「太元法師、いらっしゃるか?」
私は忙しい合間を縫って亜国城近くにある禅寺を訪れた。
「伊月か。」
「座禅を組みたく罷り越しました。」
「うむ。入れ。」
何か悩みや迷いがあると、私はここに来て座禅を組む。
私は目をつぶり、自分の抱えている問題を整理する。
まず、おとり捜査の時、那美どのが拐かされるのを見て心がこの上なく掻き乱された。
普段、部下に危ない任務を任せることは多々ある。
だが部下の力量を吟味し、出来ると確信があるものに任務を任せるのだ。
那美どのも十分に力があり、論理的に考えて出来ると判断したから最終的にあの捜査に協力してもらったのだ。
それなのにいざ任務が始まってからの自分の取り乱しようは有りえなかった。
堀も私を見て幻滅したかもしれない。
将の器でないと思ったかもしれない。
その後、犯人の捕縛に成功して屋敷に戻った夜も大いに失態をさらした。
多少の怪我をする部下を見るのは日常茶飯事だ。
だけど那美どのが擦り傷をこしらえただけで取り乱し、さらには、那美どのに薬を塗っている時にやましい気持ちを抱いてしまい、それを制圧するのに苦労した。
どうしようもなく気持ちが高ぶったかと思えば、那美どのに心配され、世話をやかれ始めると、この上なく気持ちが緩んで、幸せな気分になった。
特に那美どのの膝を借りると緊張感が保てずに、不覚にも寝てしまった。
皆が慌ただしく炊き出しをしたり、女達の身元を調べたり忙しくしている中、私だけ安らぎの中にいて警戒心のかけらもなく眠りに落ちた。
武士としてありえぬ失態だ。
そして極めつけは八咫烏だ。
八咫烏は幼き頃から一緒に育ってきた。
よく喧嘩もするが、あれほどにやつに対して腹を立てたことはなかった。
八咫烏が那美どのの唇に触れるかという程に顔を近づけた時、自分の怒り狂う感情に戸惑った。
八咫烏が女を口説く所など、嫌と言うほど見てきているのに、何故かあの時だけは許せぬと思った。
―― 一体私はどうしてしまったのだ。
「伊月、いつになく長考しておるようだな。」
「太元法師、私は自分がわかりません。」
「話してみろ。」
私は太元法師に今までの事を話した。
「それで、お前はその問題に対してどう解決しようとしておるのだ?」
「那美どのとの接触を減らした方がいいのではないかと思います。」
「果たしてそれは解決かな?それともただの回避かな?」
「か、回避です。」
私は首をうなだれた。
私にはまだこの問題を解決する覚悟ができていないのだ。
「では、その那美という女を回避するとする。お前と会わなくなった女はいずれ他の男から、特に八咫烏から言い寄られるだろう。」
「そ、それは・・・。」
「そうなったら、その女は他の男と、もしくは八咫烏と結ばれるやもしれぬな。」
「なっ...。」
「それでもお前は平静を保てるのか。」
「それは…。」
「女を避けるくらいで平静を保てるようになると考えるのは浅はかすぎる。」
「確かに。」
「伊月、お前は、武将である前に、一人の男だ。」
「それはどういう…。」
「一人の男として、女の一人くらい幸せにできる器量を持っておらねばならん。」
「しかし、戦において、私の弱みになりそうで・・・」
「そう思うのは経験がないからだぞ。女は男を強くする。天がこの世に陰と陽を作ったように、男だけでも女だけでもこの世は成り立たん。」
「はい…。」
「そして、伊月。自分の気持ちを認めるのを恐れるな。自分の気持ちに素直になれば、そこまでこじらせず...いや、悩まずとも済むものを・・・」
「こじらせ…?」
「とにかく、自分の気持ちを否定せず、なぜ自分の気持ちが制御できないのか、曇りのなき眼で見極めよ。」
「はい。」
私は座禅を組みなおし、自分の気持ちを見つめなおした。
どうしようなく那美どのに惹かれているのは自分でも気づいていた。
那美どののことになるとどうしようも心が乱れるその理由は…やはり、そうか。
私はようやく気が付いた、というより、認めた。認めざるを得なかった。
―― これが人を好きだという感情なのか。これが独占欲というものなのか。
「伊月、何か気づきがあったようだな。」
太元法師が私の変化に気づき、声をかけた。
「はい・・・。太元法師、私はどうやら、那美どのを好いておるようです。 ただ...。」
「ただ、何だ?」
「あの人が私の近くにいて危ない目に合うのは耐えられません。」
「お前の近くにいようがいまいが、危ない目に合う時は合うものだ。 お前が強くなって守れば良いではないか。」
「ですが、那美どのは私といても幸せになれるとは…」
「では、八咫烏がお前に聞いたことを、私もそなたに問う。 お前はその那美という女に本気なのか?」
「え?」
「お前がその女を本気で好いておるのなら、その女が幸せになるかどうか、ではなく、何が何でも幸せにするのだ。 全力をかけてその女が幸せになるようなことをすると覚悟を持つだけだ。」
私は目が覚める思いだった。
そうだ。私に足りなかったのはそういう覚悟だ。
こんな浅はかな私を見捨てずに、元服後も何かと教えを授けてくださる太元法師に頭を下げて寺を後にした。