この亜国(あこく)で若い女がかどわかされる事件が相次ぐようになったのは、2,3ヶ月前からだった。
報告されているだけでも11人だ。
身元不明で届けを出されていない者を入れたらもっと人数が増えるかもしれない。

この国の国主(こくしゅ)は別段何も対策をしなかった。
しかし大きな商家の娘たちが忽然(こつぜん)といなくなったことで、訴えが大きくなり、国主(こくしゅ)はいよいよ重い腰を上げた。

武士たちは、新たな領土の手に入らない戦やもめごとに関わるのを嫌う。
骨を折って働いても、これといって手に入る物がないからだ。
こういう厄介ごとを任されるのはいつも決まって、我が(あるじ)共舘(ともだて)伊月(いつき)だ。

二週間前、那美(なみ)様が(あるじ)を訪ねて来て、みんなで一緒におはぎを食べた日、入れ替わりで()国主(こくしゅ)の使者がやってきて、早々にこの事件を解決するようにと言った。

―― (あるじ)を何だと思っている!

私、源次郎(げんじろう)憤慨(ふんがい)していたが、(あるじ)は「民のために誰かがやらねばならぬ。」とさっそく調査を開始した。

しかし調査は難航していた。
オババ様が那美(なみ)様をおとりにすると仰った時にはびっくりしたが、よく聞くと、那美(なみ)様はカムナリキで大きな岩を砕けるくらいには力があられるということだ。

本当はこのような問題の調査には(あるじ)の部下たちが行くところだが、那美(なみ)様が(かか)わられるということで、()えて(あるじ)(みずか)ら調査を遂行することにした。

それにしても(ほり)様と那美(なみ)様が7人の女性を引き連れて帰還した時には本当に驚いた。
まさかおとり捜査初日でこれほどの成果があるとは。
広間に皆をいざなって、ひと段落すると、(ほり)様が私に声をかけた。

那美(なみ)様はあのように気丈にふるまっておられるが、かなり危ない目に合われた。」

「そうなのですか?」

「ああ。殿(との)も、()れた女があのような目に合うのを見るのはかなり(つら)かったろう。」

―― ()れた女、と(ほり)様は断言されたが、那美(なみ)様に()れていると(あるじ)は自覚なさっているのか。

殿(との)がお帰りになられたら、お二人で休んで頂きたい。」

「分かりました。そのように致します。」

(あるじ)は無事帰還されるなり、さっそく那美(なみ)様を呼び出し、自分の部屋へ連れて行かれたようだった。

(ほり)様が(あるじ)の様子を見て、小声で話しかけてこられる。

「しかし殿(との)が恋の病を(わずら)ってからというもの、かなりこじらせておられる。挙動(きょどう)不審(ふしん)すぎる。」

「私もあのこじらせようには少し手を焼いています。」

私は不器用な(あるじ)那美(なみ)様に温かいお茶でも持って行こうと、廊下を歩いていると、那美(なみ)様の声が聞こえた。

「あっ。が、我慢できません。んんっ。」

そのあと、何か、ドン!と音がして、(あるじ)が声を荒げるのが聞こえた。

「全く、そなたは、なんて能天気なのだ!足の()り傷には自分で塗るように!」

声を荒げる(あるじ)が珍しく、立ち止まると、肩を怒らせながら(あるじ)が自室から出てきた。

「あ゛ーーーーーーーー!!!!」

と、野獣のようなうめき声を上げながら井戸の所に行き、水をかぶり始めた。

―― 一体何の修行が始まった?

(あるじ)那美(なみ)様を自室に連れ込んでおいて放置ですか?」

「うぉおおおおお!!!!」

(あるじ)は私の問いには答えずに水をかぶっている。

「差し詰め、那美(なみ)様の愛らしさに理性が飛びそうになり、たまらず飛び出されて来られたという所ですか?」

「ぐわぁぁぁぁぁぁ!!!」

「ご自身の熱を収めていらっしゃるのですか?」

源次郎(げんじろう)!!!」

「はい?」

「いちいち分析するな!那美(なみ)どののお相手をしておれ!」

私は、不器用すぎる自分の(あるじ)(した)けた目を向けた。

「取り残された那美(なみ)様のお気持ちをお考え下さい。」

「う...。」

私はこの場を立ち去った。


――――


―― しかし、どうやって謝ればいいのだ…
―― 那美(なみ)どのの妖艶(ようえん)な声を聞いてやましい気持ちが起こり動転したなどと、言えぬ!!
―― 気持ち悪がられ嫌われるに違いない!

伊月(いつき)がどうしていいか分からずただただ水をかぶっていると、パタパタと足音が聞こえた。

伊月(いつき)さん!」

「な、那美(なみ)どの?」

「大丈夫ですか?」

「は?」

那美(なみ)伊月(いつき)に駆け寄り、顔を近づけた。
動転している伊月(いつき)他所(よそ)に、「じっとしてて下さい!」と言って、那美(なみ)は小さな手で伊月(いつき)のおでこにピタっと触れる。
那美(なみ)の手に触れられた所から熱が広がっていくようだった。

「こんな所で冷たい水浴びてたらもっとひどくなりますよ!」

「ひ、ひどくとは…?」

那美(なみ)は手ぬぐいで、伊月(いつき)の顔と体を拭き始めた。
一生懸命に伊月(いつき)の大きな体を(かわ)かそうとする那美(なみ)がいじらしかった。

「な、何をしている?」

「体を拭いているんです!」

「そ、それは分かるが…」

―― こんなに体を触られるのはどうかと思うが、悪くはないな。

「髪もふきます!体を下げてくれませんか?届きませんから!」

訳が分からず伊月(いつき)が体を屈めるが、それでも上背の高い伊月(いつき)那美(なみ)は一生懸命に背伸びして髪を拭く。

―― どうやら私は世話を焼かれているらしい?

「もう、伊月(いつき)さん背が高すぎます!」

なぜか怒りながら言われたが、それも可愛い。

「す、すまん?」

「私のこと、心配してくれたのに、くすぐったくて笑っちゃったのは謝ります。すみませんでした。」

「あ、いや、それは私が・・・」

―― やましい気持ちになってしまっただけで、というのは言えない。

「でも、私だって、伊月(いつき)さんのことが心配なんですから!風邪が(ひど)くなる前に、これに着替えて下さい!」

「風邪?」

「はやく脱いで下さい!」

何だかよくわからないが、那美(なみ)が自分の事を全力で心配しているということだけは分かった。

―― しかし、脱いでいいのか?

一歩も引かなさそうな那美(なみ)の勢いに押され、(はかま)を脱ぎ始める。

「ちょ、待って下さい!」

那美(なみ)は、持っていた着替えの着物で自分の顔を隠して、そのまま後ろを向いた。

―― あ、やはり駄目だったか。

「早くこれに着替えて下さい!」

そして怒りつつも後ろ手で着物を突き出した。

―― 何なんだ、この愛らしい仕草(しぐさ)さは。

「かたじけない。」

「着替えましたか?」

「着替えた。」

おずおずと那美(なみ)が振り向き、伊月(いつき)の脱ぎ捨てた濡れた着物を拾うと、サッと顔色が変わる。

「もしかして、怪我をしてないってウソなんですか?」

―― ああ、血を見たのか。

伊月(いつき)那美(なみ)の手から濡れた着物を取って、近くの(おけ)に投げ入れた。

「これは返り血だ。私の血ではない。」

「本当ですか? 怪我がないか、ちゃんと見せて下さい!」

那美(なみ)伊月(いつき)の体をペタペタと触り始め、伊月(いつき)は戸惑いながらも何とか平静を装う。

―― 今日はやたらに那美(なみ)どのに触られる日だな。いや、全然悪くないが。

「ど、どこも痛い所はない。」

那美(なみ)は心底心配そうに、そして、悲しそうに言った。

伊月(いつき)さん…早く部屋に戻って体を温めて下さい。」

伊月(いつき)はこれまでこんなにも自分を心配したり、怪我を案じたりしてくれる存在がいなかったので、戸惑った。
二人で部屋に戻ると、火鉢が用意されていて、お茶の入った湯呑が二つ置かれていた。

―― やはり、源次郎(げんじろう)が何か(はか)ったか。

「すまなかった。許せ。そなたを危ない目に合わせてしまった自分がこの上なく不甲斐ない。」

こんな謝り方しかできない伊月(いつき)は自分を情けなく感じた。

「私が望んでやったことです。でも、伊月(いつき)さんはどうなんですか? 具合が悪いんじゃないですか?」

「ん? 具合は悪くないぞ。」

「強がりはダメです。無理しないで下さい。顔を上げて、もう一度、ちゃんと熱を測らせて。」

伊月(いつき)が顔を上げると、那美(なみ)は自分のおでこを伊月(いつき)のおでこに当ててきた。
那美(なみ)の花顔が至近距離に迫った。
思わず伊月(いつき)那美(なみ)の唇を見た。

―― いかん!

そのまま那美(なみ)を抱きしめて口を(ふさ)いでしまいたたくなる衝動と戦っている。

―― これは何かの修行か!? 心頭を滅却(めっきゃく)しなければ!

「んー、源次郎(げんじろう)さんが言ってたみたいに熱はなさそうなんだけどな。」

―― 熱? やはり源次郎(げんじろう)が何かを(はか)ったらしい。

「とにかく、横になって下さい! 」

「何故だ?」

「体を休めるためです!夜明けまで、少しでも仮眠を取って下さい。」

何故かはよくわからないが、那美(なみ)が一生懸命に伊月(いつき)の世話をしようとしてる事は伝わった。
伊月(いつき)丹前(たんぜん)をかぶせ、次に枕を探している。
この部屋には枕がないと告げると、

「じゃあ、ここに。」と言って、那美(なみ)は自分の膝を叩いた。

ここで伊月(いつき)の理性がまた飛びそうになり、部屋を飛び出したくなるが、「取り残された那美(なみ)様のお気持ちをお考え下さい」という源次郎(げんじろう)の言葉を思い出し、留まった。

「い、嫌なら、いいんです。源次郎(げんじろう)さんに枕を借りて来ます。」

「い、嫌ではない!」

立とうとした那美(なみ)の腕をとっさに(つか)んだ。
この機会を逃してはいけない気がした。

―― 嫌ではないが、ただ、心頭(しんとう)滅却(めっきゃく)しなければ!

那美(なみ)どのの(ひざ)を借りる。」

意を決して、その(ひざ)にころんと寝転がった。
理性が霧散するかと思ったが、意外にも心が安らいだ。

「やっぱり、体が冷えてますね。」

伊月(いつき)の冷えた肩を那美(なみ)の温かい手が(さす)るたびに、不思議と体から力が抜けていく。

―― 私を案じてくれる人がいるというのもいいものだな。

いつしか、伊月(いつき)の意識はまどろみの中にあった。