―― 悪寒がする。
「那美どの? どうかしたか?」
鰻を堪能しおわり、食後のお茶を飲んでいたころ、私は不思議な感覚に襲われていた。
「このお店に変な雰囲気の人が座っている気配がするんです。」
伊月さんが少しだけ個室の障子を開けると、「ここから見えるか?」と聞いた。
私は恐る恐る隙間を覗き込む。
―― あ、あの人だ。
私ははっきりと感じた。黒い気が渦巻いている。
「あそこに座ってて、今、注文した人です。」
伊月さんも障子の隙間からその男の人を確認する。
店内なのに笠をかぶったまま取らずに注文している。
「あの者は…」
伊月さんは私に席に戻るように促して、個室の障子を閉める。
「大丈夫だ。心配はない。きっと妖術使いか何かだ。」
私は知らないうちに震えてしまっていたらしい。
伊月さんの大きな手がトントンと背中を叩いてくれて、私は落ち着きを取り戻した。
「すみません。取り乱してしまって。こんな感覚、初めてで。」
「邪悪な気の流れを感知できるのも、多分そなたのカムナリキのなせる技であろう。」
「これが、カムナリキの?」
「ああ。きっと経験を積めばその感覚にも慣れていくだろう。とにかく悪い感じのするものには近づかぬことだ。」
「…はい。」
今までオババ様の屋敷内にいたから分からなかったけど、オババ様の土地は相当に安全地帯だったんだな。
「勘定を済ませて来る。」
「あの、私、自分で払います!」
オババ様からもらったお小遣いの入った財布を取り出そうとする。
でもそんな私を無視して、伊月さんはサッサと個室を出て行った。
―――
伊月は勘定を払いながら、那美が不思議な雰囲気の男と言った者を遠目に観察した。
その男の二本差しの鞘には不思議な彫り物がある。
―― やはりな。軒猿のあつめた情報と一致する。
「店主、厠はどこだ?」
「離れのあの小屋に。」
「ちょっと厠を借りるぞ。」
「へい。」
伊月は厠に行くふりをして店を出て、角を曲がり細い路地に入る。
薄暗いところに、ある男がいるのを見つける。
「清十郎。」
「は。」
「先日魔獣を操っていた者と思われる男がいる。特徴は覚えてるな? 今はそこの鰻屋にいる。追え。」
「御意。」
清十郎と呼ばれた小柄な男はサッとその場を立ち去った。
―――
個室の障子が開いて、伊月さんが顔をのぞかせた。
「あ、伊月さん!私もお勘定を・・・」
「そんなことは良い。さぁ、行こう。オババ様から頼まれた買い物をせねば。」
サッサと踵を返して歩き出した伊月さんの背中を慌てて追う。
「ま、待って下さい。」
―― あ。
あの笠の男の人の席に近づくにつれて、嫌な感じの気が濃く感じられる。
―― どうしよう、また体が震えだしちゃった。
こんなにも脆弱な自分が嫌になる。
治安が悪いこの世界では私のような世間知らずの女では色々と危険もありそうだ。
治安が良かった現代日本ですら殺されそうになった。
オババ様の優しさで守ってもらっているから日頃は感じなかったけど、自分がこんなにも弱い存在だなんて。
自立するなんていつの話だろう。
一人で街を歩くことすらもままならないのに。
―― ん?
ふと、伊月さんが歩みを止め、私の横に立った。
そして、その瞬間、伊月さんが私の体に手を回し、肩を抱いた。
―― え? え?
「何も案ずることはない。」
伊月さんがいつもの低音ボイスで私の耳元でささやく。
不意に心臓がドキドキし始め、頭の中が真っ白になり、恐怖が飛んで行った。
自然に早歩きになり、そのまま一緒に歩いて店を出た。
店から少し離れたところで、伊月さんはパッと私から手を離した。
「すまぬ。あまりに怯えていたようだったので、あの場から早く去らねばと思ったのだ。」
「い、いえ。あ、ありがとうございます。」
―― ドキドキしてる場合じゃなくて!
―― 私、伊月さんに気を使わせてしまったんだ。
「あのっ。」
「ん?」
「私、こんな弱い自分に嫌気がさしてたんです。この世のこと何も知らなくて、皆に助けられないと生きていけないし、自立するって言ったのにどうしたら良いのかわからないし、お金も何も持ってなくて…。」
「那美どののような状況に陥れば、誰もが不安に思うはずだ。」
「そうやって、伊月さんやオババ様たちが優しくしてくれるから、私、すごく甘えてるなって...。ご飯もすぐ遠慮せずに食べちゃうし。」
「ハハハ!」
―― ん? 今、声を上げて笑った? 初めてだ。
「甘えていて良いではないか。」
「え?」
「誰しも何かしらの辛い思いをした事がある。そして辛いことは甘えられる人がいるから乗り越えられる。その経験を乗り越えた時に他の人に優しさを返せばよい。今のオババ様がそなたにしているように。」
「伊月さん…。」
「那美どのは、まだここへ来て7日も経たぬではないか。きっといつか自立の道は見えてくるさ。」
伊月さんがそう言ってくれると、本当に頑張れる気がした。
命を助けてもらっただけじゃなく、心も救われてる。
「伊月さんには、何てお礼を言っていいかわかりません。」
「礼などされる覚えがないな。」
伊月さんは、こんなひ弱な私にも勇気をくれる強くてかっこいい人だ。
一歩前を歩く伊月さんの大きな背中が眩しく見えて思わず目を細めた。
―――
鰻屋を出た私は那美どのをいざなって、街へと繰り出した。
オババ様に頼まれたものがたくさんあるので幾つかの店に立ち寄った。
その度に那美どのは、目をキラキラ輝かせて、童子のようにはしゃいでいる。
―― 何というか…調子が狂うな。
今日は一日中、調子が狂いっ放しだった。
差し入れを持って行けば、思いもかけず涙を見せられ、那美どののしおらしい一面が見えたかと思えば、うなぎ屋の前では盛大に腹の虫を鳴らすし。
―― そもそも、何事にも警戒心がなく、何を考えておるかがそのまま顔に出ておる。
那美どののコロコロ変わる表情には驚かされる。
美味しい美味しいと、飯をシマリスのように頬張っていたかと思えば、獣魔使いの放つ気に当てられ震えだすし。
―― まったく、目が離せぬ..…。
小間物屋から反物屋へと、オババ様の指定の店に寄る途中で、那美どのが気になるような店があったらそこにも寄った。
「この町には可愛いものがたくさんありますね。」
「この城下の職人は手先が器用なことで有名だ。特に貝や漆を使った物が特産だ。ほら、そこにも立ち寄ったらどうだ。」
那美どのの目線の先にあった店に促してみる。
その店先にはいかにも女人の好きそうな可愛らしい髪飾りが並べられている。
那美どのは店先に並べられた髪飾りを手に取っている。
「わぁ。なんかこの石、すごくキラキラしていますね。」
―― こういう色が好きなのか。
頬を桃色に染め嬉々としている那美どのを見ていると落ち着かない気分になってくる。
―― 那美どのは可愛いな。
と、思ってしまった。
―― わ、私は何を考えている!
「あ、すみません。退屈でしょう? 次のお店へ行きましょうか?」
「いや構わぬ。店の中を見て回ったらどうだ?」
店の中を覗くと、所狭しと彩り鮮やかな、装飾品と反物が並んでいる。
「でも、ここ、伊月さんが興味がありそうなお店ではないですよね?」
「私はそなたに城下を見せるために来たのだから構わぬ。」
「でも...」
「私はここで次に買わなければいけない頼まれ物を確認しているので、ゆっくり見て回るといい。」
私はそう言うとさっさと店の軒下に陣取って、懐からオババ様が渡した紙を取り出し、読み始めた。
那美どのは私が引く気がないと悟ったらしく、「では、遠慮なく見させてもらってもいいですか」と言い、礼を言うと、店の中へと入っていった。
―― はぁ、どうすればいいのだ。
正直、買い物もあまりしたことなければ、ましてや女と街をブラついたことなど一度もない。
二つの慣れないことを同時にやってのけるのはなかなかに大変だった。
オババ様が買ってきて欲しい物を書くと言って書き連ねた長い紙には、実は買うものだけではないことが色々と書いてある。
例えば、
『一つ.女は買い物が好きなのだ。何も買わずとも色々見て回るだけで楽しいのだからオヌシは邪魔をせず十分に見させてあげること。』
『一つ.女は歩くのが遅い。歩幅を小さくし、ゆっくり歩いてやれ。』
『一つ. 那美は強いカムナリキの持ち主ゆえ、悪気に当てられやすいかもしれぬ。そのような時は肩をさすり、落ち着かせること。』
さっき悪気に当てられて怯える那美どのを見て動揺してしまい、「肩をさする」のではなく、思いきり「肩を抱いて」しまった。
―― しくじった。
後悔の念とともに、あの時の那美どのの反応を思い出す。
一瞬、肩をビクッと震わせ、固まっていた。
きっと嫌だったに違いない。
オババ様の忠告はまだ続く。
『一つ.女は甘味が好きだ。歩き回って疲れたら甘味処に寄って休憩しろ。』
『一つ.荷物は全部オヌシが持つこと。』
―― なんなんだこれは。
紙をガシガシと丸め、また懐に入れる。
―― まるで女を喜ばせるための指南書のようなものではないか!
憤慨しつつも、この後は甘味処に行こうと決めた。
今日は、なぜだか、霞んだ春の空も眩しく見えた。
―――
―― 城下をブラブラするのすごく楽しかったな。
私は商人街のはずれにある茶屋で、柏餅を頬張りながら今日一日を振り返った。
隣では、伊月さんが、相変わらず綺麗な所作でお茶を飲んでいる。
伊月さんは、きっと女性と出歩くことが多いのだろう。
私に合わせて歩みを遅くしてくれたり、疲れた頃にこうやって甘味処に連れて行って休憩させてくれたり。
文句も言わずに私の見たいものは全部見せてくれて、荷物も全部持ってくれて、完璧なエスコートだったな。
―― 女性慣れしてるっていうか...。
私はお団子を頬張り始めた伊月さんの横顔を思わずじっと見る。
ぱっと見は大きいし、強面だけど、よく見るとイケメンなんだよね。
―― やっぱ女の人はほっとかないよねぇ
と、なぜか残念にな気持ちになる。
「な、那美どの、そのように見られては少し食べづらい。」
「あ、すみません。つい見ちゃって。」
「この団子が欲しいのか?」
「あ、いえ、そういうわけでは…」
「ほら、分けてやる。」
伊月さんは有無を言わさずお団子一本を私のお皿においてくれた。
やっぱり、伊月さんって私のこと食いしん坊だと思ってるよね。
「ありがとうございます。」
でも実際に食いしん坊だから素直にもらっちゃう。
「いただきます。うわぁ。もちもちだ。美味しいー。」
現代日本のスイーツに比べたら亜国の甘味は随分と甘さ控えめだ。
でも、優しいほんのりとした自然の甘みが心を癒す感じがする。
「那美どのは何でも美味そうに食うな。」
そう言うと、伊月さんはまたふっと笑った。
―― うん、笑うとなおさらイケメンだ。
「オババ様にも、夕凪ちゃんにも、伊月さんにも食いしん坊だって思われてますね、私。」
「食うことは生きることだ。」
「あ、それ、オババ様も言ってました。」
「そうか。オババ様の口癖が移ったのかもしれぬ。」
「あの、前から気になってたんですが、伊月さんとオババ様ってどういう関係なんですか?」
―― この二人の接点がサッパリわからない。
「私とオババ様か? まあ、私はあの人に幼き頃、育てられたようなものだ。」
「え? そうなんですか。意外です。」
伊月さんはもともと伊の国の出身なのだそうだ。
オババ様の占めるタカオ山も伊の国と亜の国の国境にある。
「元服まで5年ほどあの屋敷に住んでいて、飯炊から、武術の稽古まで、それは鍛えられた。」
「うふふ。それは何か想像できます。」
―― 幼い頃の伊月さんってどんな感じだったのかな。
―― オババ様の水晶で見せてもらったりできないかな。
その時、何処からともなくゴーン、ゴーン、と鐘の音が聞こえた。
「この音は何ですか?」
「暮鐘だ。この鐘が鳴ったら日の入りが近い印だ。そろそろ帰ろうか。」
「はい。あのう、伊月さん、今日は本当に楽しかったです。城下町のいろんなところを見られて、勉強にもなりました。次は一人でも来れそうです。」
「そうか、それは良かったな。」
じゃあ行くぞ、と伊月さんが歩き出して、私もそれに続いた。
―― このまま日が暮れなければいいのに。
何故かこの一日が終わるのが口惜しい。
まだ日が沈んでいないのに、うっすらと月が二つ見える。
「月が綺麗。」
思わずつぶやくと、伊月さんが、歩みを止め、月を見上げた。
「ああ、綺麗だな。」
綺麗だけど、どこか切なかった。
「那美どの? どうかしたか?」
鰻を堪能しおわり、食後のお茶を飲んでいたころ、私は不思議な感覚に襲われていた。
「このお店に変な雰囲気の人が座っている気配がするんです。」
伊月さんが少しだけ個室の障子を開けると、「ここから見えるか?」と聞いた。
私は恐る恐る隙間を覗き込む。
―― あ、あの人だ。
私ははっきりと感じた。黒い気が渦巻いている。
「あそこに座ってて、今、注文した人です。」
伊月さんも障子の隙間からその男の人を確認する。
店内なのに笠をかぶったまま取らずに注文している。
「あの者は…」
伊月さんは私に席に戻るように促して、個室の障子を閉める。
「大丈夫だ。心配はない。きっと妖術使いか何かだ。」
私は知らないうちに震えてしまっていたらしい。
伊月さんの大きな手がトントンと背中を叩いてくれて、私は落ち着きを取り戻した。
「すみません。取り乱してしまって。こんな感覚、初めてで。」
「邪悪な気の流れを感知できるのも、多分そなたのカムナリキのなせる技であろう。」
「これが、カムナリキの?」
「ああ。きっと経験を積めばその感覚にも慣れていくだろう。とにかく悪い感じのするものには近づかぬことだ。」
「…はい。」
今までオババ様の屋敷内にいたから分からなかったけど、オババ様の土地は相当に安全地帯だったんだな。
「勘定を済ませて来る。」
「あの、私、自分で払います!」
オババ様からもらったお小遣いの入った財布を取り出そうとする。
でもそんな私を無視して、伊月さんはサッサと個室を出て行った。
―――
伊月は勘定を払いながら、那美が不思議な雰囲気の男と言った者を遠目に観察した。
その男の二本差しの鞘には不思議な彫り物がある。
―― やはりな。軒猿のあつめた情報と一致する。
「店主、厠はどこだ?」
「離れのあの小屋に。」
「ちょっと厠を借りるぞ。」
「へい。」
伊月は厠に行くふりをして店を出て、角を曲がり細い路地に入る。
薄暗いところに、ある男がいるのを見つける。
「清十郎。」
「は。」
「先日魔獣を操っていた者と思われる男がいる。特徴は覚えてるな? 今はそこの鰻屋にいる。追え。」
「御意。」
清十郎と呼ばれた小柄な男はサッとその場を立ち去った。
―――
個室の障子が開いて、伊月さんが顔をのぞかせた。
「あ、伊月さん!私もお勘定を・・・」
「そんなことは良い。さぁ、行こう。オババ様から頼まれた買い物をせねば。」
サッサと踵を返して歩き出した伊月さんの背中を慌てて追う。
「ま、待って下さい。」
―― あ。
あの笠の男の人の席に近づくにつれて、嫌な感じの気が濃く感じられる。
―― どうしよう、また体が震えだしちゃった。
こんなにも脆弱な自分が嫌になる。
治安が悪いこの世界では私のような世間知らずの女では色々と危険もありそうだ。
治安が良かった現代日本ですら殺されそうになった。
オババ様の優しさで守ってもらっているから日頃は感じなかったけど、自分がこんなにも弱い存在だなんて。
自立するなんていつの話だろう。
一人で街を歩くことすらもままならないのに。
―― ん?
ふと、伊月さんが歩みを止め、私の横に立った。
そして、その瞬間、伊月さんが私の体に手を回し、肩を抱いた。
―― え? え?
「何も案ずることはない。」
伊月さんがいつもの低音ボイスで私の耳元でささやく。
不意に心臓がドキドキし始め、頭の中が真っ白になり、恐怖が飛んで行った。
自然に早歩きになり、そのまま一緒に歩いて店を出た。
店から少し離れたところで、伊月さんはパッと私から手を離した。
「すまぬ。あまりに怯えていたようだったので、あの場から早く去らねばと思ったのだ。」
「い、いえ。あ、ありがとうございます。」
―― ドキドキしてる場合じゃなくて!
―― 私、伊月さんに気を使わせてしまったんだ。
「あのっ。」
「ん?」
「私、こんな弱い自分に嫌気がさしてたんです。この世のこと何も知らなくて、皆に助けられないと生きていけないし、自立するって言ったのにどうしたら良いのかわからないし、お金も何も持ってなくて…。」
「那美どののような状況に陥れば、誰もが不安に思うはずだ。」
「そうやって、伊月さんやオババ様たちが優しくしてくれるから、私、すごく甘えてるなって...。ご飯もすぐ遠慮せずに食べちゃうし。」
「ハハハ!」
―― ん? 今、声を上げて笑った? 初めてだ。
「甘えていて良いではないか。」
「え?」
「誰しも何かしらの辛い思いをした事がある。そして辛いことは甘えられる人がいるから乗り越えられる。その経験を乗り越えた時に他の人に優しさを返せばよい。今のオババ様がそなたにしているように。」
「伊月さん…。」
「那美どのは、まだここへ来て7日も経たぬではないか。きっといつか自立の道は見えてくるさ。」
伊月さんがそう言ってくれると、本当に頑張れる気がした。
命を助けてもらっただけじゃなく、心も救われてる。
「伊月さんには、何てお礼を言っていいかわかりません。」
「礼などされる覚えがないな。」
伊月さんは、こんなひ弱な私にも勇気をくれる強くてかっこいい人だ。
一歩前を歩く伊月さんの大きな背中が眩しく見えて思わず目を細めた。
―――
鰻屋を出た私は那美どのをいざなって、街へと繰り出した。
オババ様に頼まれたものがたくさんあるので幾つかの店に立ち寄った。
その度に那美どのは、目をキラキラ輝かせて、童子のようにはしゃいでいる。
―― 何というか…調子が狂うな。
今日は一日中、調子が狂いっ放しだった。
差し入れを持って行けば、思いもかけず涙を見せられ、那美どののしおらしい一面が見えたかと思えば、うなぎ屋の前では盛大に腹の虫を鳴らすし。
―― そもそも、何事にも警戒心がなく、何を考えておるかがそのまま顔に出ておる。
那美どののコロコロ変わる表情には驚かされる。
美味しい美味しいと、飯をシマリスのように頬張っていたかと思えば、獣魔使いの放つ気に当てられ震えだすし。
―― まったく、目が離せぬ..…。
小間物屋から反物屋へと、オババ様の指定の店に寄る途中で、那美どのが気になるような店があったらそこにも寄った。
「この町には可愛いものがたくさんありますね。」
「この城下の職人は手先が器用なことで有名だ。特に貝や漆を使った物が特産だ。ほら、そこにも立ち寄ったらどうだ。」
那美どのの目線の先にあった店に促してみる。
その店先にはいかにも女人の好きそうな可愛らしい髪飾りが並べられている。
那美どのは店先に並べられた髪飾りを手に取っている。
「わぁ。なんかこの石、すごくキラキラしていますね。」
―― こういう色が好きなのか。
頬を桃色に染め嬉々としている那美どのを見ていると落ち着かない気分になってくる。
―― 那美どのは可愛いな。
と、思ってしまった。
―― わ、私は何を考えている!
「あ、すみません。退屈でしょう? 次のお店へ行きましょうか?」
「いや構わぬ。店の中を見て回ったらどうだ?」
店の中を覗くと、所狭しと彩り鮮やかな、装飾品と反物が並んでいる。
「でも、ここ、伊月さんが興味がありそうなお店ではないですよね?」
「私はそなたに城下を見せるために来たのだから構わぬ。」
「でも...」
「私はここで次に買わなければいけない頼まれ物を確認しているので、ゆっくり見て回るといい。」
私はそう言うとさっさと店の軒下に陣取って、懐からオババ様が渡した紙を取り出し、読み始めた。
那美どのは私が引く気がないと悟ったらしく、「では、遠慮なく見させてもらってもいいですか」と言い、礼を言うと、店の中へと入っていった。
―― はぁ、どうすればいいのだ。
正直、買い物もあまりしたことなければ、ましてや女と街をブラついたことなど一度もない。
二つの慣れないことを同時にやってのけるのはなかなかに大変だった。
オババ様が買ってきて欲しい物を書くと言って書き連ねた長い紙には、実は買うものだけではないことが色々と書いてある。
例えば、
『一つ.女は買い物が好きなのだ。何も買わずとも色々見て回るだけで楽しいのだからオヌシは邪魔をせず十分に見させてあげること。』
『一つ.女は歩くのが遅い。歩幅を小さくし、ゆっくり歩いてやれ。』
『一つ. 那美は強いカムナリキの持ち主ゆえ、悪気に当てられやすいかもしれぬ。そのような時は肩をさすり、落ち着かせること。』
さっき悪気に当てられて怯える那美どのを見て動揺してしまい、「肩をさする」のではなく、思いきり「肩を抱いて」しまった。
―― しくじった。
後悔の念とともに、あの時の那美どのの反応を思い出す。
一瞬、肩をビクッと震わせ、固まっていた。
きっと嫌だったに違いない。
オババ様の忠告はまだ続く。
『一つ.女は甘味が好きだ。歩き回って疲れたら甘味処に寄って休憩しろ。』
『一つ.荷物は全部オヌシが持つこと。』
―― なんなんだこれは。
紙をガシガシと丸め、また懐に入れる。
―― まるで女を喜ばせるための指南書のようなものではないか!
憤慨しつつも、この後は甘味処に行こうと決めた。
今日は、なぜだか、霞んだ春の空も眩しく見えた。
―――
―― 城下をブラブラするのすごく楽しかったな。
私は商人街のはずれにある茶屋で、柏餅を頬張りながら今日一日を振り返った。
隣では、伊月さんが、相変わらず綺麗な所作でお茶を飲んでいる。
伊月さんは、きっと女性と出歩くことが多いのだろう。
私に合わせて歩みを遅くしてくれたり、疲れた頃にこうやって甘味処に連れて行って休憩させてくれたり。
文句も言わずに私の見たいものは全部見せてくれて、荷物も全部持ってくれて、完璧なエスコートだったな。
―― 女性慣れしてるっていうか...。
私はお団子を頬張り始めた伊月さんの横顔を思わずじっと見る。
ぱっと見は大きいし、強面だけど、よく見るとイケメンなんだよね。
―― やっぱ女の人はほっとかないよねぇ
と、なぜか残念にな気持ちになる。
「な、那美どの、そのように見られては少し食べづらい。」
「あ、すみません。つい見ちゃって。」
「この団子が欲しいのか?」
「あ、いえ、そういうわけでは…」
「ほら、分けてやる。」
伊月さんは有無を言わさずお団子一本を私のお皿においてくれた。
やっぱり、伊月さんって私のこと食いしん坊だと思ってるよね。
「ありがとうございます。」
でも実際に食いしん坊だから素直にもらっちゃう。
「いただきます。うわぁ。もちもちだ。美味しいー。」
現代日本のスイーツに比べたら亜国の甘味は随分と甘さ控えめだ。
でも、優しいほんのりとした自然の甘みが心を癒す感じがする。
「那美どのは何でも美味そうに食うな。」
そう言うと、伊月さんはまたふっと笑った。
―― うん、笑うとなおさらイケメンだ。
「オババ様にも、夕凪ちゃんにも、伊月さんにも食いしん坊だって思われてますね、私。」
「食うことは生きることだ。」
「あ、それ、オババ様も言ってました。」
「そうか。オババ様の口癖が移ったのかもしれぬ。」
「あの、前から気になってたんですが、伊月さんとオババ様ってどういう関係なんですか?」
―― この二人の接点がサッパリわからない。
「私とオババ様か? まあ、私はあの人に幼き頃、育てられたようなものだ。」
「え? そうなんですか。意外です。」
伊月さんはもともと伊の国の出身なのだそうだ。
オババ様の占めるタカオ山も伊の国と亜の国の国境にある。
「元服まで5年ほどあの屋敷に住んでいて、飯炊から、武術の稽古まで、それは鍛えられた。」
「うふふ。それは何か想像できます。」
―― 幼い頃の伊月さんってどんな感じだったのかな。
―― オババ様の水晶で見せてもらったりできないかな。
その時、何処からともなくゴーン、ゴーン、と鐘の音が聞こえた。
「この音は何ですか?」
「暮鐘だ。この鐘が鳴ったら日の入りが近い印だ。そろそろ帰ろうか。」
「はい。あのう、伊月さん、今日は本当に楽しかったです。城下町のいろんなところを見られて、勉強にもなりました。次は一人でも来れそうです。」
「そうか、それは良かったな。」
じゃあ行くぞ、と伊月さんが歩き出して、私もそれに続いた。
―― このまま日が暮れなければいいのに。
何故かこの一日が終わるのが口惜しい。
まだ日が沈んでいないのに、うっすらと月が二つ見える。
「月が綺麗。」
思わずつぶやくと、伊月さんが、歩みを止め、月を見上げた。
「ああ、綺麗だな。」
綺麗だけど、どこか切なかった。