既に身支度を済ませていた友紀さんと、昨日と同じ階のビュッフェで朝食を摂る。
朝はあまり食欲がないから、こういう形式の朝食で良かった。
いつもの主食は専ら白米だけれど、焼き立てパンに惹かれて小振りものをふたつ皿に乗せる。
スクランブルエッグとベーコン、グリーンリーフがたっぷりのシーザーサラダとオニオンスープ。
よくある洋風朝食を真似てみた。
友紀さんは昨夜もここに来ていたけれど、夕食と朝食ではやはりメニューがまるきり違うらしく、朝からよく食べるなあ、と関心してしまうほど、様々な料理を抱えてわたしの横に座った。
「サバに鮭って……」
「美味しそうでしょ? ブリもあったんだけどねえ、さすがに入らないかなって」
ご飯は控え目だけれど、出し巻き卵と漬け物を三種、具沢山の味噌汁まで揃えていて、ボリューム満点。
地方のチャンネルなのか、他県民には全くピンと来ない各地の穴場スポット特集が放送されるテレビ画面を眺めながら、黙々と食べ進める。
「葵衣に気を遣わせちゃったかなあ」
ぽつり、と友紀さんが零すから、箸を止めて横を見る。
友紀さんは視線を落として、少しシュンとしている様子。
「楽しみにしてたから、そりゃあ早く帰ることになったのは不服かもしれないけど、気遣うとかそんなのはないんじゃないかな」
それに、誕生日のある次の週末にも休みを取っていると言っていたから、もしかしたらこうなることは薄々わかってのかもしれない。
「それだけじゃなくてね……」
歯切れ悪く言って、再び箸を動かし始めるから、多分話す気はないのだろう。
曖昧に流すと友紀さんが決めたのなら、わたしも深くは聞かない。
朝食を食べ終え、ルームキーをフロントに返すとき、葵衣の持っていたキーは友紀さんが握っていた。
「葵衣、出て行く前に寄って行ったの?」
「え? うん。先に帰るからよろしくって。一泊出来るかわからないって言ってたから、とりあえず朝までは居られてよかったんだけど、やっぱりなあ……無理矢理連れて来ちゃったようなものだから、葵衣も疲れたんじゃないかな」
「……ちょっと待って。一泊出来るかわからないって、どういうこと?」
「あれ、聞いてなかったの? 本当は今日の朝から仕事だったところを昼からか夕方にしてもらったって。ここの予約をした後に言われて、日を改めるか葵衣は残るか聞いたんだけど、途中で帰ってもいいなら行くって言ったのよ。花奏にも伝えてるって聞いてたんだけど、知らない?」
「そんなの、知らない……」
違和感の正体がわかったところで、もやもやが増しただけ。
葵衣の口からわたしに伝えていると言ったのなら、友紀さんの勘違いだとか、解釈違いではないのだろう。
知っていて、わたしにだけ言わずにいた。
友紀さんと顔を合わせて話をしたら気付いてしまうことくらい、葵衣なら予想出来たはずだ。
いつも、葵衣の言動の根っこが見えなくて、それを探ろうと手繰り寄せてもダミーを引くばかり。
だからもう、考えることはやめた。
理由がなければ納得が出来ないと憤るほど、わたしも子どもじゃない。
騙されたようなものだけれど、葵衣はわたしを貶めたくて黙っていたわけじゃないと思うから。
どうせ、いつもの遠回りをし過ぎた優しさだ。
「葵衣にもお土産買って帰らなくちゃね」
「友紀さん、もう荷物いっぱいでしょ。葵衣も欲しいものは自分で買ってるよ」
「それもそうねえ」
ホテルを出ると、部屋で窓を開けたときよりも幾分か優しい風が吹いていた。
そういえば、部屋の窓は川に面していたから、風が強いのも冷たいのも当たり前だった。
車で昨日とは反対の道をずっと進むと、駅前の通りに出る。
近くのパーキングに車を停めて、駅構内やその周辺を見て回る。
早速あれこれと物色を始める友紀さんとは離れて、日菜と慶へのお土産を見繕っていく。
橋田くんに何か買おうかとも思ったけれど、形の残らないものを敢えて買うのは躊躇われる。
かといって、昨日のジュエリーショップで見かけた類いのものを改めて探す気にもなれない。
やはり、旅行のことは伏せておこう。
昨夜を思い出して、平気な顔をしていられる自信もない。
地域限定の文字が書かれているものをいくつか購入し、ちょうど近くを通った友紀さんに外に出ていることを伝えた。
車を降りて羽織った葵衣のコートに、友紀さんは何も言わなかった。
じっと見つめて、何度か瞬きをしていたけれど。
陽の当たる外のベンチに座って、駅の方を眺める。
ノスタルジックな雰囲気の構内の向こう側、ホームに滑り込んできた電車は、地元ではまず見ることのない色とレトロな造りをしている。
たとえばあの電車に乗り込んで葵衣を追いかけたって、結局は姿すら見えないのだろう。
同じ速さで追いかけたって、いつまでも追いつけやしないのに、追い越していく手段を見つけられずにいる。
手を引いているつもりで、本当はいつも葵衣の影を掴んでいたんだ。
形のあるものを残したくないのは、橋田くんに限った話ではなく、葵衣にも言えること。
繋ぎ止めるということは、縛るということと同義だから、与えたくないし与えられたくない。
相手がそれを望んでいたとしても。
雲ひとつない空を見上げる。
広い空を見ていると、自分の存在がひどくちっぽけなものに思えると同時に、とても希薄なものであることに気付いてしまう。
いっそ、溶けて消えてしまえるのなら、誰の目に映らずにいられるのなら、わたしは葵衣を攫ってしまうだろう。
人の目がなくては生きていけないけれど、人の目があるからこそ生きにくさを感じてしまう。
空に手を伸ばすけれど、冷たい空気を掴むことさえ出来ない。
昨夜、葵衣の身体から奪ったはずの体温はもう、消えてしまっていた。