「ねえ、葵衣……?」
触れそうで触れられない距離を保っていた。
何の躊躇いもなく、葵衣と触れ合っているわけではない。
心臓は絶え間なく早鐘を打っているし、指先が震えようとしているのは寒さのせいだけではなく、緊張感はわたしが発している他に葵衣からも漂っている。
「前に、妹ってことを忘れてわたしに触れられるかを聞いたよね」
あれからもう半年が経つ。
気が遠くなるほど長いようで、思い返すととても短い。
「わたしから触れたら、葵衣からは離すことはないって、あのとき言ってたけど」
一言一句、違わずに覚えている。
『 妹に触れたいなんて思わない 』そう言っていたことも。
「今も同じこと、言える?」
半年が経ったから、ではなくて。
今、わたしとふたりきりのこの瞬間にだ。
「言えるし、出来る」
間髪入れずに断言してしまうから、とても複雑な気持ちになる。
腕を広げて葵衣を迎えようとしたところで、飛び込んで来てくれないでしょう。
わたしが飛び込もうとしたって、腕を広げて迎えてはくれないでしょう。
わたしでない誰かでも収まることの出来るその腕の中に、わたしが収まるだけの話だ。
「聞いてもいい?」
「さっきから聞いてばっかだろ」
それもそうだ。
脈絡のない、どこにも辿り着けない問いばかり。
「わたしと双子で良かったことと、良くなかったこと、どっちが多い?」
これには葵衣も考え込むと思ったのに、止めていた息を吐き出すよりも早く声が背中越しに飛んでくる。
「どっちもない。だけど、花奏さえいなきゃよかったと思うことは、ある」
言葉の暴力というものは、言葉の卑劣さや下衆さに准ずるものではないらしい。
後頭部を殴られたような衝撃、とまではいかないけれど、がしりと掴まれて顔を水面に浸されたような、ゆっくりと呼吸を奪う優しい痛みが駆け抜ける。
「それでも」
薄く唇を開いて、瞬きも出来ずにいるわたしから声が離れていく。
そこでようやく、葵衣がずっと俯いていたことに気付いた。
今は窓越しの夜空を見上げているのだろう。
「もし、この世界が消えてなくなってしまうとき」
突然のたとえ話に、その映像を想像する間もなく、葵衣が続く言葉を紡ぐ。
「最後にこの手に残るものがひとつだけあるのなら、それは花奏がいいと思ったんだ」
世界から何かが消えてしまうのではなく。
世界が消えてしまうとき、自分自身も消えてしまうとき、大切な人さえも消えてしまうとき。
最後にその手に残るものになりたい。
くっ、と喉の奥が音を立てる。
込み上げたそれが涙のなりそこないなのか、想いの残滓なのかは、下してしまったのでわからない。
だけれどそれが、漏れ出してしまわなくて良かった。
「わ、たしも……」
世界が消えてなくなってしまうとき、最後にこの手に残るもの。
膝を抱いて、両方の肘を包んでいた手を眼前に翳す。
こんな手では葵衣を庇うことは出来ない。
一回り大きい程度の葵衣の手でも、わたしを庇うことは出来ない。
理由も、言い訳も、建前も、全部全部取り払って。
最後のときにただ、この手に残るのは。
「っ……葵衣がいい」
誰よりも好きで、何よりも大切な人。
笑ってはいない、きっと泣く。
葵衣だけは助かりますようにと願って、消えてしまうのだとしても、願いの行く末を永遠に知ることがなかったとしても。
わたしは、葵衣を望む。