荷物を持って、渡された鍵とともに真反対の部屋へ向かう。

途中、ドアが僅かに開いている部屋があって、中からは外国語の賑やかな声が聞こえた。

友紀さんに聞いた話だけれど、この辺りは交通アクセスが不便なこともあり、立ち寄り客は多いけれど宿泊をする人は少ないのだという。

この辺りのホテルは観光客よりも長期滞在者や外国人によく利用されているのだとか。


突き当たりの部屋は隣の部屋とのドアの間隔を見ると、確かに他の部屋よりも広い。

ルームキーを翳すと解錠され、友紀さんといた部屋同様にドアノブに手をかけようとしたとき、なぜか勝手に内側へ開いていく。


「自動……!?」


ホテルのドアが自動で開くところなんて初めて見たから、つい小声で言ってしまったあとに、慌てて口を塞ぐ。

さっきの外国人客のいる部屋からは離れていることもあり、シンと静まり返る廊下にホッとして部屋に足を踏み入れる。


「わ、広い……」


襖に描かれた杉の木が一番に目に飛び込んで、じいっと見入っていると、窓際で身動きする影が見えた。


「葵衣……?」


先に来ているとは思わなかったけれど、鍵がひとつは限らないし、人がいることに驚きはしなかった。

窓枠に肘をついて外の景色を見下ろす葵衣は、わたしが入ってきた物音にも、かけた声にも気付いているはずなのに、こちらを向こうとしない。


「友紀さんが一人部屋になったから、嫌かもしれないけどわたしと同部屋で我慢して、ね」


橋の上では大声で名前を呼んだり手を振ったり出来たのに、いざ葵衣を目の前にすると吃ってしまう。

会うのは日菜が葵衣を家に呼んだ日以来で、メッセージのやり取りは今朝の『 マンションのエントランスにいる 』が五ヶ月ぶりのことだった。


「ん、ああ……わかった」


どこか上の空で返事をして、葵衣は窓の外を眺め続ける。

窓ガラスを見ていると葵衣と視線が合うのではないかと思ったけれど、下を向かれているとどうしたって交わらない。


いつから部屋にいたのか、葵衣のそばには手荷物の他に買い物の袋はひとつも置いていない。

観光もそこそこに、先にホテルへ来ていたのだろう。


突っ立ったまま葵衣の背中を見ていると、不意にこちらを振り向いて柔らかく笑う。


「楽しかった?」

「楽しかったよ。色々回って、疲れたけど」

「何も買わなかったんだな」


わたしも特に買い物はしなかったから、荷物は肩にかけたショルダーバッグと小ぶりなボストンバッグだけ。

友紀さんの荷物を持っていたり、一緒に選んだものもあるから、自分も買い物をした気でいたけれど、わたしは一度も財布を出していない。


「日菜と慶に土産は?」

「まだ買ってないよ。葵衣こそ、ここの売店で買う気でしょ」

「これ」


ひょい、と開いたカバンの中から指先でつまみ出したのは、ふたつの手のひらサイズの小袋。


「明日、駅の方まで行くからそこでも買うけど」


やっぱり、葵衣はしっかりしてる。

その袋の中身は多分、慶と日菜でお揃いにしろとでもいうような物なのだろう。


「葵衣が駅に行くならわたしはここで買おうかな」


入ってきたときに見かけたけれど、品揃えは良さげだし広かったから、ふたりの分を買うには十分だと思う。

万が一葵衣と被ってしまっても、袋が違えば同じところで買ったことにはならない。


「カレシには何かやらないのか」

「……旅行のこと、言ってないし」


たとえ家族で双子といえど、別の男の子と一緒に宿泊込みの旅行だなんて、気分のいいものじゃないかと思って、言わなかった。

わざわざ伝える必要がないと思った、というのが本音だけれど。


「そっか」


だから、そのホッとしたような顔、やめてほしい。

どんな意味があるのか、わたしに都合のいいように解釈してしまいそうになる。


「葵衣、夜ご飯どんなだと思う?」


荷物を放り出して、窓際のテーブルを挟んで葵衣と並ぶ。

隔てるものがあると安心してしまうことに、少しだけ寂しさを感じながら問いかけると、葵衣はううんと悩む素振りを見せる。


「川だし……やっぱ、鮎?」

「鮎の時期は過ぎてるよ。鍋じゃないかなあ」

「ていうか、和食限定?」

「それもわかんない」


洋食なら、なんだろう。

このホテル、内装は綺麗だしそこそこの料金だけれど、別に特別リッチなわけじゃないから、コース料理とかではなさそうだ。

テーブルに置いてある館内の案内を見ると、二階のワンフロアが丸々レストランや食事処になっている。


「メニューは載ってないんだ」

「日替わりだろ、こういうところって」

「よく知ってるよね、葵衣」

「いや、知らない。勘で言ってる」


よく考えたら、知らないに決まってる。

昔から、両親と遠出をするときはお母さんが朝から張り切ってお弁当を作って、夜には帰っていたから。

泊まりで旅行には行ったことがない。


「お父さん、一日しかない休みを家族に使ってくれてたんだね」


脈絡なさに気付いて、昔のこと、と付け加える。


「家族サービス精神に溢れてたんだよ。俺は家でごろごろしてたいけどなあ、嫁さんと」

「……こども、は?」


葵衣の口から出た『 嫁さん 』の一言に、ギクリと身体が強ばる。

些細な変化だけれど、葵衣に見つからないうちに質問で返した。


「考えたことねえよ、子どもとか」

「そっか……」

「花奏は? 理想の家族像的なのないの?」


理想も何も、わたしの未来は真っ暗だ。

行く宛もなく、地べたを這いながら進んでいく道。

そこに、出来ることなら誰も巻き込みたくはない。

行きずりに、橋田くんの手を引いてしまう可能性だけは、まだ少し残されているけれど。


「友紀さんがいて、葵衣がいてくれたら、それでいいよ」


そんな、続きもしない夢を描いてしまう。