慶は日菜の家に行くと言ったけれど、わたしがいつも日菜と帰るときの分かれ道で立ち止まると、渋々その場で待機してくれた。
爪先で水溜まりを叩く慶が焦れているのはわかるけれど、もしここを通り過ぎた後なら葵衣だけが戻ってくるだろうし、まだ学校付近にいるのなら見据える先からふたりで歩いて来るはずだ。
万が一にも、葵衣が日菜の家に上がっている姿は想像したくないし、言えば慶がすっ飛んでいくのはわかっているから、目の前のずっと先だけを一点に見つめる。
この雨の中、葵衣の傘が大きいとはいえ街の方に出たりはしないはず。
バスに乗って、街中に着きさえすれば傘を閉じて行動出来る範囲は広いけれど、そこまで考え出すとわたしも大人しくしていられなくなるから。
早く、早く、と願いながら、瞬きもせずに雨粒に白く霞む先に目を凝らし続けた。
どれほど、そうしていただろう。
大きくなった水溜まりが足元を浸し、スニーカーに滲んだ水が足裏の温度を奪っていく。
風呂上がりで暑いからと半袖のTシャツにふくらはぎまでのジャージを穿いていて、上着も羽織らずに出てきてしまったせいで、露出している部分の肌には鳥肌が立っている。
一度寒さを自覚すると、立て続けに悪寒とくしゃみが出始め、両腕で自分の身体を抱く。
「帰るか?」
「冗談でしょ、何言ってんの」
「や、だって来ねえじゃん」
「来るよ、ほら」
見えもしない影に向かって指を向けると、馬鹿正直に前のめりになる慶に、ごめん冗談、と言うとかなり本気にしていたのか鋭い眼光で睨まれた。
「あのさ、俺の認識が正しければ花奏と日菜は今喧嘩してるんだよな」
「喧嘩というのかは知らないけど」
「そういうのはいらない。葵衣の声聞いたわけでもないのに、日菜のこと信じるんだなって思ったんだよ」
慶の言う通り、電話越しに聞いた足音が葵衣のものだという確証はない。
それなのに、すぐさま慶に電話をして、今ここで待ち続けているのは、日菜のことを信じているから。
その理由が、今は嫉妬からのものだということに、悲しいような寂しいような複雑さがあるけれど。
「もし、嘘だったなら……」
言いかけて、続く言葉がすっぱりと途切れてしまっていることに気付いて口を噤む。
当人だとしても、日菜を責めるのはお門違いだ。
日菜がどんな気持ちであの電話をかけてきたのかなんて、考えもしなかった。
「日菜……どこにいるの」
慶に電話をした後、ポケットに突っ込んでいた携帯を滑る手で掴み、日菜の名前を見つけるとすぐに着信に繋げた。
スピーカーに切り替えて慶との間に携帯を持つけれど、一向に通話へと切り替わらない。
「葵衣にもかけるか」
わたしが不安気にしているのがわかったのか、寒さも相俟って震える肩を躊躇いがちに摩り、慶も自分の携帯を取り出す。
同じくスピーカーにして並べたふたつの携帯は、どちらも繋がらない。
しばらくして、応答無しの表示と共に着信音が途切れた。
ふたり揃って故意に無視をするわけがない。
慶は何度もかけ直すけれど、わたしは携帯をポケットに仕舞って、また道の先に目をやる。
こちらに向かって走ってくる車のライトがハイビームになっていて、目が眩む。
落とした視界がチカチカと瞬いて、もう一度顔を上げたとき、遠くにふたつ並ぶ傘が見えた。
「っ……慶、いた」
繋がらない着信を繰り返していた慶がわたしの声を拾って同じ方へ視線を向ける。
「葵衣!日菜!」
隣にいてびくりと反応してしまうほど、叫ぶようにふたりを呼んだ慶がわたしの手首を引いて走り出す。
重い足が縺れそうになるたび、慶に力強く引かれた。