何も言い返せないまま、一方的に通話を切断された。


朝、傘立てに日菜の傘はあったか。

わたしの方が早く来ていたから、それもわからない。

もし、持って来ていなかったのなら、今頃葵衣の紺色の傘の下でふたり、肩を並べているのだろうか。


「やだ……っ」


頬がカッと熱くなり、どこにも繋がっていない携帯に向かって縋るように叫ぶ。
幼馴染みではなく、恋人として、日菜と葵衣が肩や腕の触れ合う距離にいる。


触らないで。

日菜に触れないで、葵衣。

葵衣に触れないで、日菜。


裸足のまま部屋を出て、慶に電話をかける。

焦りに急かされながら開けた靴箱のスニーカーに指を引っ掛けると、床に叩きつけられるように落ちた。


『 お? 花奏ー、珍しいな。お前から電話っていつぶり…… 』

「日菜のところに行かなきゃいけないの」

『 は? なに? お前ら仲直りしたの? 』

「してないけど! 葵衣が、一緒にいるって」

『 ……なんだそれ 』


こんなことを慶に伝えても、気分を悪くさせるし辛い思いをさせるだけだ。

好きな子が幼馴染みといえど男と二人きりで一緒にいると聞かされて、慶の声に怒気が混ざる。


『 俺が行くから、花奏は家にいろ 』

「わたしも行く」

『 来んな。お前がいるとわけわかんねえことになるだろ 』


ひどい言葉だけれど、慶がそういう言い方をする理由は理解してる。

わたしは葵衣を前にすると感情的になり過ぎるから。

そのくせ、肝心なことは言えずに黙ってしまうから。


慶が行くのなら、わたしは行かない方がいいことくらい、わかってる。


『 後でちゃんと説明するように葵衣に言っとくから、待っとけるよな? 』


不信感もあるのだろう。

幼い子に言い聞かせるように、語尾で声のトーンを変えてゆっくりと念を押される。


干渉するな、と一言で一蹴される予感がして、待ってるから葵衣には何も言わないで、と慶に頼んだ。

慶も慌てているのか、ドンッとかガンッと何かをぶつける音がして、玄関の開閉音が聞こえるまで続いていた会話のない通話を、わたしから切っておく。


落ちたスニーカーの向きを足で変えて、踵を潰しながら雑に履く。

玄関を出て耳を澄ますけれど、雨音だけが大きくて上の階の音は聞こえない。

通路を駆けてエレベーターホールの前に立ち、七階から降りてくるエレベーターを一度見送る。

それから更に数分待って、下へのボタンを押す。


一階に着いてエレベーターのドアが開いたとき、目の前に人がいたことに既視感を覚える。

そこにいたのは葵衣ではなく、仁王立ちをして腕を組む慶なのだけれど。


「あと三分待って来なかったら置いて行ってた」

「なにそれ。来るなって言ったくせに。待ってたの?」

「花奏なら追いかけてくると思ったから」


内心は複雑なのか、苦い顔をする慶に並び、肩の辺りを強く叩いて先を行く。

いってえ、と後ろで慶がぼやくのを聞きながらマンションを出ようとしたところで、傘を持っていないことに気付いた。

というか、家に傘がなかったのだけれど。


「慶、一緒に入れて」

「俺とお前はいいのかよ」

「いいよ。だって幼馴染みだもん」


傍から見たら違う捉え方をされてしまうのかもしれないけれど、そうでないことはわたしと慶が知っていればいい。