あのとき交わした約束は、いつも霧がかかったようにぼやけている。
小指を絡めたような気がするし、抱きしめ合ったような気もするけれど、確信には至らない。
汚れた指先を湿らせたティッシュで拭い、それを新しいティッシュで包んでポケットに入れる。
ゴミ箱の中を見て、勝手に部屋に入ったことがバレてしまうといけないから。
写真立ては寸分違わない位置に裏向きで戻しておく。
間接照明の明かりを最小にして、葵衣のベッドに倒れ込む。
肺いっぱいに息を吸うと、当然葵衣の匂いがした。
葵衣の匂いしか、しなかった。
葵衣の匂いはいつも、わたしをドキドキさせる。
香水ではきっと再現できない、葵衣のもつ香り。
同じ柔軟剤を使って同じ家で生活をしていても、わたしの香りは葵衣の匂いには近付けない。
つめたいシーツに頬を寄せていると、ぬくもりはないけれど葵衣に抱き締められているような感覚に陥る。
慶はこの気持ちを恋だと言ってくれた。
ずっと、葵衣が好きだった。
ずっと、葵衣に恋をしていた。
伝えることさえできなくて、伝わってはいけないことだけがわかっている、そんな輪郭も曖昧なものを、恋だと呼んでいいのなら、何度でも叫びたい。
「好きだよ、葵衣」
初めて口にした言葉は情けないくらいに震えていた。
虚空に零しただけで、声が震えて涙が溢れてしまうのなら、葵衣を目の前にしたとき、わたしはわたしでいられるのだろうか。
そんな日が訪れることなどないと知っていて、それでも、こんな情けない姿を見せるわけにはいかないな、と心の内で苦笑する。
次から次へと、涙が溢れて止まらない。
悲しいのだとしたら、それは葵衣を好きになってしまったこと。
悔しいのだとしたら、それは葵衣と兄弟であるということ。
苦しいのだとしたら、それは葵衣を好きであり続ける覚悟が足りないということ。
「っ……あお、い」
いかないで。
日菜のところには、いかないで。
わたしのそばにいて。