ベビーカーを押す同じ階の女性に先を譲り、戻ってくるエレベーターを待つ。
ゆっくりでいいと言われたのだから急ぐ必要はないのだけれど、今日はやけに時間がかかる。
一度上の階まで上ったエレベーターが降下し、ドアが開く。
今度は老夫婦が一組乗っていて、わたしひとりが入れる程度のスペースはあったから、ぺこりと頭を下げて乗り込む。
マンションのエントランスに着いて一番にエレベーターを降りる。
「葵衣……?」
後の人のために早く道を譲らなければいけないことはわかっていたけれど、入口付近に立っている葵衣から目が離せず、動くことができなかった。
葵衣の胸に身体を預ける、よく知った幼馴染みの姿を見て見ぬフリなんてできない。
立ち尽くすわたしを避けて外に出ようとする夫婦の気配に気付いた葵衣と視線が搗ち合う。
日菜は葵衣のシャツを握り締め、泣いているようにも見えた。
「花奏」
動揺とか、そういったものを普段は滅多に表情に出さない葵衣がひどく取り乱している。
わたしには躊躇いもなく回していた手は、日菜に触れることも出来ずに行き場を無くしていた。
「あたしといてよ、葵衣」
日菜が絞り出した震える小さな声は、それが本心ではなく虚勢と嘘であることをわかりやすく縁取る。
さっきまでわたしといたはずの日菜に突然呼び出されて、抱き着かれて、葵衣が一番状況を理解しきれていないだろう。