ミトさんはアルツハイマーだった。三年前に相談があり、専門施設に預けるまでの間、自宅で看ることは出来ないとして家族が彼女をこの施設に預けた。先月に彼女が入れる専門施設がようやく見つかり、今週末にも移動する予定だったという。

「僕が知っていることを話すと、彼女は旦那さんが飛行機事故で亡くなっていてね……。彼女は子供が五人いて、孫はもっといて曾孫だっている。けれどここに連絡を取って尋ねてくる子はいない。あの古本を渡していたのは僕なんだ。――けれど、嘘つきだなんて思わないで欲しい。彼女の壊れかけた世界は、ここ数カ月、その架空の設定の中で保たれていたんだ」

 その若い男性医師は、ゼンさんとカワさんと並んで廊下に座り込み、そう話した。ミトさんの部屋は少し落ち着き始めていた。

 ゼンさんが「暇なのか」と意地の悪いことを尋ねると、白衣の彼は、数秒してから左エクボを覗かせた。どちらも空元気だった。

「暇じゃないよ、うん、暇じゃない……毎日、大忙しさ」
「ミトさんは、嘘つきなんかじゃないです。気持ちは、きっと本物だから」

 カワさんがそう言って、鼻をすすった。膝を抱えた彼は、見事に丸くなっていた。