彼が生まれる前に父が戦争の犠牲者となり、母の親族が空襲で行方が分からなくなった。だからゼンさんは、母とたった二人で激動の時代を生き抜いたのだ。

「読書なんて、本当に初めてさ」

 ミトさんにそれを勧められた時、ゼンさんは率直な想いを口にした。目が疲れるし、字がびっしり詰まっているのを見るだけで、眩暈を起こしそうになった。けれど今では、文面を読み進めながら物語が見えるとばかりに目を輝かせている。

 彼は「暇潰しにはいいかもな」とぶっきらぼうに言いつつも、ミトさんに「『猫のホームズ』のシリーズを調達する予定はないかね?」と先月にも尋ねていた。

「それにしても、僕はミトさんが心配だな、彼女は大丈夫だろうか……外出許可を取ろうとして、一人で頑張ったりしたのかな?」
「知恵熱でも出したかねぇ」

 ゼンさんが最後の薬を飲み終わったあと、自身の体重でベッドを大きく沈ませているカワさんが、そう切り出した。

 椅子に腰かけたゼンさんは、足を組んで難しい顔で顎下をさすった。