あの時期は一番辛く、一時の間、介護士と交互に母の面倒を見た。そうしなければ壊れかけた母の心に、ゼンさんは押し潰されてしまいそうだったからだ。

「嫌だ! それ、嫌だ! 何も考えられなくなるのは、嫌だ!」

 そう叫ぶ声が聞こえた瞬間、ゼンさんはハッとして目を開けた。

 今、彼はなんと言ったんだ? 

 ゼンさんの中で、再び嫌な想像が膨れ上がった。冷や汗が握りしめたシーツに染み、動悸が速くなる。待て、待て、落ちつけ、と彼は自分に言い聞かせた。そんなこと、あっていいはずがない。海外小説じゃあるまいし。

 大丈夫、意地悪だからって、まさかそこまではしないだろう。職員だって人間だ。ストレスを抱えて、健気に業務をこなしている者だっている。睡眠薬と精神安定剤だって、飲めば体調が良くなると思っているのかもしれない。

 けれどゼンさんは、廊下がすっかり静まり返ったあとも、なかなか寝付けなかった。

          ◆◆◆

 愛之丘老人施設に来てから半年と一週間だ。年明けは市立病院、そんでもって今は老人ホームか……と、ゼンさんは朝の薬を飲みながら顔を顰めてそう思った。