住み慣れた部落の外に出た事がなかったから、地区や市が変わるだけでも異世界に来たような錯覚を覚える。戻る家もなければ、帰らなければならない場所もない、自由気ままな一人と一匹の旅だった。

 猫であるクロエの主人は、中村エルといった。

 エルは、通気性の良い黒のロングコートをはためかせながら、堂々とした足取りで街を闊歩する。華奢で小綺麗にした少年風のエルと、ボストンバックから顔を出す黒猫の組み合わせに気付いた通行人が、思わず好奇の目で振り返るが、一人と一匹は気にしない。

 簡易宿泊説から出て数十分、エルは、人通りの多い市街へと足を進めた。

 国際通りは他県からの人間や外人、県内の人間で溢れていた。沖縄には米軍基地があり、県内で働き、住んでいるアメリカ人の数も多い。エルは目的もなく、人でごった返す町中を散策した。

 緑がほとんど目にとまらない道路や路地、ぎっしりと敷き詰められたような建物の様子を見て回る。そこには生活臭があり、店通りには、様々な食べ物や香水の匂いもあったが、風が吹き抜けた一瞬だけ、どこからか海の匂いがするのは、波の上方面から流れてくる潮の香りのせいだろう。

 古い街並みの間に真新しいビルが建ち、新しい街並みに入りこむ、古い住宅やアパートも目立った。道路や建物は増築中の物もあり、けたたましい音を立てて工事が続いていた。

 那覇は特に、住んでいる人や働く人など、とにかく人の出入りが多い場所だった。そこらに停めてある自転車やバイク、行き交い突っ込んでくる車の数には、思わず目が回りそうになる。

 秋も半ばを過ぎ、沖縄も少し肌寒くなっていた。他県の人間にとっては、まだ平気な寒さなのだろう。

 曇り空の下、薄い半袖シャツ一枚で歩く旅行者たちは、寒がる沖縄県民を、半ば不思議そうに目で追ったりした。ずっと沖縄で暮らしているエルにとって、今の時期に半袖一枚でいる人間の方が、寒そうに思えて仕方がない。