『どうか、ご無理はなさらないで下さいね。一人で無理だと判断した場合は、私の名を呼んで下さい。すぐに駆けつけます』

 再び、地響きが足元に伝わって来た。エルは、頭の中からホテルマンの気配が消えた事を確認すると、素早く辺りに目を走らせた。

 都心の中央に聳え立つ塔が、建ち並ぶ高層ビル群の向こうに見えた。巨大な機械の塊が、まるで脈を打つような点灯を繰り返している。生温い風は、静まり返った沼地の匂いに似ていた。

 エルは、クロエに断りを入れてから塔へ向けて駆け出した。


 開けた公道には、瓦礫とひしゃげた車、横転したトラック等が散乱していた。ビルの割れた硝子の破片も多く転がっており、靴底で踏むと、更に細かく砕け散る音がした。

 どこまでもリアルな世界だ。

 コートの袖をまくり、エルは額に浮かぶ汗を拭った後、世界が周囲から崩壊してゆく様を一度だけ振り返った。

 遠くで、空と大地の全てが暗黒に飲みこまれていく様子が広がっていた。機械仕掛けの夢が、何もかも崩れ落ちていくのだと感じる。

 こちら側の世界に造られた仮想空間は、本物の『夢世界』を呑み込んで成り立っているらしいが、どんな美しい『夢』が造られていたのか、今では知りようもないのだろうと少しだけ残念に思った。

 エルは、マルクという人物を知らない。けれど全ての糸が繋がった今、気付いてしまった事はあった。彼が、どうして今回の事件を引き起こしてしまったのか。

 そう考えると、首謀者である彼をひどく責める事も出来ないでいる。

 きっと、想いが擦れ違ってしまったのだろう。エルも、マルクも、エリスも、『彼女』も――大切だからこそ、強い衝動が彼らを動かし、今回の結果を生んでしまったのだ。