簡単に食事を済ませると、主人はテレビを消して、一人と一匹は外出の準備を始めた。

 老猫クロエは自らの毛繕いを始め、主人は白色のシャツの襟元を整え、下に着た黒いカジュアルズボンのベルトをしっかりと締めて、黒いロングコートを着用した。最後に、コートの内ポケットに、通帳と身分証が入っている事を確認し次の行動に移る。

 毛繕いを行うクロエを横目に、主人は、必要なものを橙色の丈夫なボストンバックに詰め始めた。財布、印鑑、お下がりの茶色い手帳、写真の入ったロケットペンダントが一つ。先日購入した非常食が少しと、水の入ったペットポトル、年季の入った地図が一つ……

 宿泊施設等を転々としている彼らの荷持は、とても少ない。けれど、ボストンバックにまだ充分な収納余裕があるのには、訳があった。

 主人は、ボストンバックを肩から通し提げると、左腰にあたるバックの位置を再度確認した。一度だけ、床にバックをつけるように膝を折り、鞄の口を広げてクロエに声を掛ける。

「おいで、クロエ」

 クロエは応えるように「ニャー」と鳴くと、広げられたバックの口から、するりと中に入り込んだ。

 すっかり老いたクロエは、長時間歩く体力がない為、バッグに身体を預けての移動がほとんどだった。顔だけをバッグの口から出して、一人と一匹は、数カ月前から自由気ままな旅を続けている。

 しかし、これから数分間だけは、クロエには完全に、バッグの中に身を潜めてもらう必要があった。実をいうとペット同伴で泊まれる施設は少なく、この場所も人間一人と偽って泊まった部屋なのだ。

「少し息苦しいかもしれないけど、ちょっとの我慢だよ。チェックアウトするまでの辛抱だからね」

 主人は、そう言って不敵に笑った。

 猫も楽しそうに「ニャーン」と答えた。