けれど、長い年月を生きた今となっては、心残りがない訳でもない。

 例えば、オジサンの一回忌に顔を出してあげられない事や、看取れなくなってしまうクロエの遺骨を、誰かがオジサンのお墓に入れてもらう事はあるのだろうかという事。欲を言えば、本当は友達というものを持ってみたかった。スウェンやセイジ、ログと、もう少しだけ話してみたいという気持ちも芽生えてはいた。

 仕方がない。運命は、決められた道筋通りに進み続ける。

 多くを持たないと決めていた事は、間違っていなかったのだろう。それに、エルが全てを忘れてしまっても、きっと『彼』が覚えていてくれるだろう。出会いも、始まりも、終わりも、永遠の時の中で記録し続ける、暗黒の支配者が――

 過去の風景が、目の前から急速に遠ざかり始めた。エルは、己の身に受け入れた、異界に住まう者の名を口にした。

「……ナイトメア」

 呟くと、脳裏で応える声があった。

           ※※※

 目を開けると、変わらず荒れ果てた都市の真ん中に立っていた。辺りの様子を窺って見たが、場所に変化は見られず、今回は時間軸のズレも発生していないらしい。意識を失っていたのは、ほんの数秒の事だったようだ。

 どこからか聞こえてきた地響きが、地面を伝わって来た。

 戦闘時の緊張感を覚え、エルは気を引き締めた。ボストンバッグから顔を出していたクロエに袖を引かれ、ようやく彼女と目を合わせたエルは、「大丈夫だよ」とその頭を撫でてやった。

 漂う空気には、崩壊した街の匂いと、消炎や火薬の匂いが入り混じっていた。
自信はなかったが、エルは、片方の耳に手をあてて再度呟いてみた。

「ナイトメア」

 エルは、途端に気恥ずかしくなり言い直した。

「……やっぱりホテルマンで」

 すると、脳裏に響く声があった。

『ふふふ、お呼び頂き光栄です、我が主。ナイトメアとは、契約の際に交わし頂いた名前ですので、貴方様なら、いくらでもお呼び頂いて構わないのに』
「契約……?」