初まりの記憶は、とても曖昧だ。

 仲睦まじい父と母がいて、小さいけれど幸福な家庭があった事は覚えている。それらは切り取られたアルバムのように、バラバラに霞んだ僅かな風景だけを記憶の中に残している程度だ。

 初めてこの世に生まれ出たような激しい痛みの記憶は、四つの頃のものだ。

 冷たい手術台で受た全身の痛みは、死への苦痛としておぼろげに記憶に刻み込まれている。次にやって来たのは、空っぽになった胸をに何かが入りこんで来る違和感。……そして、最後にやって来たのは、頭に心臓があるような激しい頭痛だった。


 走馬燈のような記憶の残骸たちを、エルは夢の中で追った。時間軸も不明瞭な、不揃いなシーンが暗闇の中から次々に現れては、色褪せて消えていく。


 また風景が変わり、懐かしい匂いがエルの鼻を突き抜けた。

 縁側があり、そこにはオジサンが座っていた。片目と肩腕を不器用に包帯で巻かれただけの幼い自分もいる。まだ幼い少女だった頃のエルは、切り揃えられた自身の短い髪に触れ、無表情のまま縁側から見渡せる世界を眺めていた。

 縁側に座った二人の間には、切られた西瓜が乗った平皿が置かれていた。傍には華奢な若い黒猫が丸くなっていて、オジサンの足元には、だらしない寝顔を浮かべた雑種犬が仰向けになっていた。

「ちぇッ、お前とじゃ話しが弾まんではないか」
「もとより、そんなサービスを行わせる気は一切ない。あの男も言っていたでしょう、絶対安静だと」

 女の子の口から紡がれるのは、その年頃には不似合いな言葉だった。

 オジサンが、ジロリと女の子を見降ろした。

「俺は、お前が嫌いだ」
「はぁ、知っています」

 分かり切っている事を何故口にするのだと、女の子の眉根に出来た皺が語った。最近習った『目上の者への言葉使い』も、少しずつだが様になり始めている。