赤子を抱えた女性が、佇むスウェンに気付いて、振り返った。

「あなたッ、そんな所で何をしているの!? 早く逃げなくては駄目よ!」
「逃げる? 一体何から――」
「何を呆けているのッ、テロ攻撃があったじゃない! この街も、戦場に巻き込まれてしまったのよ。軍は多くの民間人を守れないわ。テロリストは、誰かれ構わずに殺し回っているのだから!」

 女性の悲鳴が、スウェンには虚しいものに映った。

 そう、まるで、画面越しに映画を見せられているかのように実感が伝わって来ないでいる。街の惨状は本物だが、逃げ惑う人間もまた、マルクが口にしていた『亡霊』の一つなのだという事に、彼は遅れて気付かされた。

 少ない情報から正確な答えを導き出してしまう、スウェンの思考が、カチリと音を立てた。

「……そうか。マルク自身も分かっていないバグの『亡霊』は、一つじゃないという訳か」

 目の前で逃げ惑う民間人のエキストラと、先程声もなく絶名した白衣の女性は、有りようは異なるが、『仮想空間エリス』にマルクが招いていないはずのイレギュラーに変わりはない。

 今のところ、その原因は不明。

 そして、マルクが喚き散らしているバグの現象に、今のところ関わっている『夢人』の存在はない。

 スウェンがそう一区切りの推理を付けたところで、銃声が連続的に巻き起こった。女性が、呼吸をしていない赤子を抱えたまま必死の形相で走り出す。

 足元に流れ弾が撃ち込まれ、スウェンは近くの瓦礫に身を隠した。隠れる直前、一つの銃弾が右腕を掠めた。痛覚に焼けるような痛みが走り、思わず奥歯を噛みしめる。

 砲撃は本物だ。巻き込まれたとあっては、厄介な事になるだろう。

 仮想空間を進むごとにリアルになるとは推測していたが、まさか、現実世界と一寸の狂いもない五感だとは、とスウェンは苦々しく顔を歪めた。