ある日の午後、先に妻を亡くした俺が独り身なのを良い事に、爺さんは、勝手に色々と喋りまくった後、台風の気配が木々を騒がせる中、汚い仔犬を俺に押しつけて帰っていったのだ。

 回覧板を持って来たんじゃねぇのかよ。

 そう俺が愚痴っても、爺さんは聞き耳一つ貸しやしなかった。爺さんが「頼んだぞぉい」と喜々として帰っていく姿を見送る俺の腹に、犬がしょんべんを漏らした。

 つまり、状況は最悪だった。俺の味方なんてどこにもいやしねぇ。

 仔犬の襲来は、嵐がぶつかる直前の出来事だったから、外に放り出してやる訳にも行かず、俺は、仕方なく家に入れてやる事にした。

 仔犬は、阿呆面をした雑種犬だった。番犬には不向きな面持ちのその仔犬は、困る俺に向かって呑気に「にゃふん」と鳴いた。お前、犬だろうが、なんてへんてこな声で鳴くんだよ、と俺が頭を抱えながら指摘すると、仔犬は嬉しそうに尻尾を振って「にゃっふん」とドヤ顔をした。

 こいつは阿呆だ、ただの馬鹿犬である。

 俺はこれまで、動物を育てた事がなかった。何かに執着する事もなかったから、名前を付けるという作業も苦手だった。

 阿呆面をした仔犬の名前を考えるのも面倒に思い、俺は妙な声で鳴くその仔犬を、しばらくは「イヌ」と呼んだ。台風が去ったら爺さんを問い詰めて、きちんと話しを聞かせてもらう腹でいた。

 けれど、仕方がないだろう。嵐が去った頃には、ただの仔犬は、既に俺の家の犬になっていた。俺はたった二晩世話を焼いただけで、そいつに情が移っちまったのだ。この阿呆な犬の、笑えるところは気に入っていた。

 仔犬に、日本風の呼びやすい名前を付けようと思い立ったのは、奴を「イヌ」と呼ぶのに少々問題が発生したせいだ。散歩をするようになってから、呼び戻す際に、毎度ややこしい事態になる事に気付いた。