2010年秋某日――

 誰かに呼ばれたような気がして、ハッと目を覚ました。

 薄暗い室内の静けさに耳を済ませ、馴染みのないキレイな室内の閑散とした匂いを嗅いだ。誰かに呼ばれるなんて在りはしない事を思い出し、すぐに己の気のせいである事を悟った。

 首をやや傾けて、目覚まし時計を確認した。今日も、アラームより早く起きてしまっていた。

 時刻は、早朝の五時二十分。すっかり身に染みついた起床時刻だった。しばらく待って見たが、次の眠りが来る様子はない。

 珍しく自分が夢というものを見ていたような気もするが、どうやら思い違いであったようだ。

 幼少期以降は、夢を見た経験がなかった。睡眠とは、一定の時間、意識を手放す事で身体の疲労を取り除く方法だと――ある人にそう教わった。脳のオン・オフを手早く可能にする事によって、脳内の情報処理能力を向上させ、反射的・瞬間的に、いつでも非常事態に対応できる身体を作り上げられる、とても大切な事なのだ、と。

 上体を起こした時、足元で丸くなっていた猫が顔を上げた。それは老いた黒猫で、身体は最盛期の若い猫と比べると少し細身だが、エメラルドグリーンの大きな瞳は美しく気品があり、漆黒の毛並みも白髪が所々見え隠れする程度で、老いを感じさせない品が漂っている。

 起床した老猫の主人もまた、華奢な身体をしていた。

 耳が隠れる程度の癖のない短髪と、どこか幼さを覚える瞳は色素が薄く茶色かかり、肌は白く滑らかで、首は頼りなく細い。あどけなさと愛嬌を感じる小さな顔は中世的だが、意識して唇をきゅっと引き結び、強い眼差しをすると、その表情は同じ年代の人間に比べると、少し大人びても見える。

 主人の細い指が、足元の猫を優しく撫でた。猫もくぐもるような声で喉を鳴らし、愛情に応えるように、自らの頭を主人の手にすり寄せた。

「おはよう、クロエ」

 主人の問い掛けに、老猫のクロエは「ニャー」とご機嫌な声で鳴いた。