気付けば、年老いたクロエが、心配そうにエルを見つめていた。

 地面についたエルの手に、クロエがその身をすり寄せた。エルは吐き気を抑え込みながら、クロエの頭を撫で「大丈夫だよ」と声を掛けた。

 先程フラッシュバックした映像は、恐らくオジサンと出会った、一番古い頃の記憶だろうと推測出来た。エルは、オジサンとの出会いを覚えていないのだ。気付いた時には一緒に寝起きし、クロエとポタロウが側にいたのである。

 その時、不意に、一つの物音がエルの耳に飛び込んで来た。

 研ぎ澄まされた緊張感が、工場内に別の人間の気配を敏感に察知した。エルは、反射的に体勢を整えると、警戒の声を発した。

「誰だッ」

 すると、工場の奥から、恐る恐るこちらへ近づいて来ていた一人の少年が、驚いたように足を止めた。

「お、俺は、その、君に危害を加えるような人じゃないよ、本当だよ。だから、怖い顔しないでよ」

 少年は十六、七歳ぐらいで、皺だらけの白いシャツに黒いスラックスのズボン、上には紺色のスーツという格好をしていた。おしゃれなカフェか、バーの見習い店員のようにも見える。

 癖っ毛のくすんだ砂色の髪、身体の線は少し細い。頼りなさそうな臆病さが、震える足元や下がった目尻から見て取れて、顔はこれといった特徴がなく目鼻立ちも薄かった。

「そ、その、体調が良くないのかと思って、心配で……」

 少年は、半ば目尻に涙を浮かべてそう言った。まるで、蛇に睨まれた仔兎のようだ。

 彼は一歩前進したが、エルに警戒されたと遅れて実感したのか、鼻をぐすぐすやりながら胸の前で両手を組み「ほんとだよ、全然敵意はないんだよ」と涙声で必死に続けて来た。