エルは、体は疲れているはずなのだが、不思議と眠気は覚えていなかった。

 風呂に入ったせいだろうか。体調は絶好調のようで、しばらく訓練から離れていた身体が、あの時の感覚を思い出しているような怖さを少しだけ覚えた。

 セイジとログが入れ替わり風呂に入っている間、エルは、クロエと一緒にテラスから町を眺めていた。先程とは違う、強過ぎない夏風が吹いていて、心地が良い。

 濡れたままだった髪も、いつの間にか乾いてしまった。念の為、クロエに関してはドライヤーで体毛を乾かしたのだが、ドライヤーを嫌がっていた彼女もまた、先の嫌な事など忘れて、活き活きとした眼差しで眼下の景色を眺めている。


 エルが風呂を上がってから、部屋は妙に静まり返っていた。エルが風呂から上がった際、テーブルにはパックの牛乳が置かれていて、けれどエルとクロエが水分補給する間も、誰も言葉を発しなかった。


 エルが風呂から上がった頃には、出入り口の扉がきちんと閉められていたせいか、室内の風の通りも穏やかになっている。時間が、とてもゆっくり流れているように思えた。

 近いうちに、何かを成し遂げなければならないのだろう。

 エルは、テラスから眼下に広がる景色を眺めながら、そんな焦燥感を胸の奥に感じていた。理由は分からないが、虫食いだらけの記憶がエルの心を突き動かしている。クロエに打ち明けられない悩みは、初めてだった。

 ログが浴室に向かってしばらくが経った後、ようやく口を開いたのは、スウェンだった。

「……この僕が、女の子を、男と間違えるなんて」

 スウェンは、ひどく落ち込んでいる様子だった。隣にいたセイジは、申し訳なさそうに肩身を狭めている。

「――あり得ない、あっちゃならない事だよ、これはッ」

 スウェンがそう言い、悔しそうに拳で膝を叩いた。