しばらく物想いに耽りながら、エルは一人で歩いた。

 何百と続く、左右から伸びる扉をぼんやりと眺めていると、扉に物質としての気配や存在感がほとんどない事に気付いた。

 改めて五感を研ぎ澄ませてみると、扉から僅かに漂ってくる気配は、陽炎のように掴み処がないものだった。暗闇に一枚の映像が投影されているだけのような、そんな薄っぺらさを覚える。

 しかし、エルは不意に、濃厚な気配を覚える扉を見付けた。強い存在感が、自然と視線を引き寄せた。

 それは、ドア枠に少し装飾がなされただけの質素な扉だった。こちらから絵柄までは確認出来なかったが、そこにクロエがいるのだと予感した。我知らず歩みは速くなったが、駆け出てすぐ、ふとエルは足を止めてしまった。


 何も装飾がされていない、一つの扉が目に止まった。


 その扉は、この空間で唯一何も柄が入っておらず、ペンキを塗りたくったような強烈な青色をしていた。扉の大きさも、大人一人分が通れるほどの幅しかなく、高さもエルぐらいの身長程しかない。

 エルは何故だが、その扉がひどく気になった。どこかで、それを見た事があるような気がした。

 恐る恐る近づいて、扉に触れてみた。ほんの僅かに触れただけで、扉は勝手に内側へと開いてしまった。

 扉の向こうには、一点の光りもない闇が広がっていた。

 そこには、何も存在していなかった。一歩足を踏み入れた途端、重力が消え失せて身体が浮かび上がっていた。

 エルの身体は、ゆっくりと部屋の中に引き込まれ始めた。戻れなくなってしまっては大変だと振り返るが、既に出口からは二メートルも距離が開いてしまっており、手を伸ばしても届きそうになかった。

 その時、強い悪寒がエルの耳朶に触れた。


「ああ、ようやく来てくれたのね、あなた」


 凛とした、少女の声が空間に木霊した時、エルは何者かに背中から抱きしめられていた。