ツエマチくんは、ウインクを残して一度社内へと消えた。僕が雑巾を干し始めて間もないうちに、早々と出てきた。

「ふう、おっかねえ上司! 先輩のところに行く前に、あやうく説教を延々と聞かされるところでした」
「何かやったの?」

 手元を見つめながら尋ねた僕に、彼は「いんや」と首を横に振って見せた。

「いつものアレっすよ、人間が出来る出来ないの年頃から意識を持って頑張れば、俺みたいなアホでも、素晴らしい人間になれる、とかいう胡散臭いやつ。ほんと、我らが上司は、嫌なお喋りを極めてますなあ」

 ツエマチくんは、世界の法則が解けたわけでもないのに、そんな顔をして「ふむふむ」と自身の言葉に納得したのように頷いて見せた。けれどすぐ、ふと彼から無邪気さが消える。

「ま、別にいいんですけどね」

 一つの空白が、沈黙となって僕らの間を流れていった。

 雑巾を干し終わった僕は、ツエマチくんに目を向けた。彼の無感情な瞳が、何かを切り捨てるかのように、ゆっくりと宙を横切ってゆく。

「ああ、それにしても、暑いっすねえ」

 年頃の、好奇心が宿った目で、ツエマチくんがこっちを見てそう言った。

 空を見てくださいよ、と指を向けられた僕は、ビルの影から彼と一緒に空を見上げた。薄いヴェールの霧につつまれたような青だ。現実味もはっきりとしないような、曖昧な距離感を覚える空が、そこには広がっている。

「知っていると思いますけど、三日間の夜、ってやつが始まるらしいんスよ。世界が変わるんだとか、なんとか……。でも、なんだかテレビの向こうは、俺達とは違う世界みたいですよね。俺、バカだからうまく言えないんスけど、なんだろ、テレビ画面の向こうに新しいドラマか映画を見ている感じで」

 と、ツエマチ君が僕へ目を戻した。