僕が掃除する脇で、半分眠りから覚めたカップルがいちゃつき始めた。以前、僕に仕事を教えてくれた先輩が、廃墟と化した旧市街地には二つの人間がいるんだと言ったことを、僕はなんとなく思い出した。


――ここには、耐えることを拒絶して放棄する奴と、耐えて我慢して生きていく奴がいる。だけど、お前はどうなんだろうなあ……


 あの時、先輩はどこか気にかけるような声で、そう言っていた。

 希望も夢もなくなった時代が悪いのだと言っていた人もいた。いつの間にか喜怒哀楽を胸の奥底にしまい込み過ぎて、己が持っているはずの欲だとか意思だとかも、すっかり忘れてしまうのだそうだ。そうして、次第に思考も鈍くなっていく。

 僕らの職場の最年長だったヨシダさんも、必死で働いていた昔の時代があったのが羨ましいと愚痴っていたことを、僕は手を動かしながら思い出していた。彼は自殺する前、見捨てられたこの町で生きる僕らは、まるで生きた亡霊であると言った。


――お前らは怒りを覚えないのか、ワシは、ワシは奴らの奴隷じゃないんだぞ! ワシらは人間だ。あの机でふんぞり返っている上司と同じ『人間』なんだ!


 僕は、速やかに流し台とトイレの掃除も終えた。その時、若いカップルの男の方が、自分の太腿に乗せている女に向かってこう言った。

「なあ、世界が劇的に変わるってマジ? 楽しくなるって聞いたんだけど」
「えすえふチックだよね~。面白いものが、ゴロゴロ見られるって皆言ってたよ。ゆーふぉーとか、マジウケるんですけど」
「この辺もさ、すげぇ都会に生まれ変わるとかなんとか、そういや誰かが言ってなかったっけ?」
「それ、もうアニメか映画じゃん。チョー笑える」