小さな公園の前で、思い出したように「あっ」といってみた。「なに」と短くいう紙原へ「今日、キムチ漬けないと」と返す。

「キムチ?」という松前に「姉貴の好物なんだ」と答える。姉は俺の漬けたキムチが好きなのだ。市販のものよりも好みに合うのだそうで、定期的に作らされる。

 「自家製とか韓国人かよ」と笑う松前に「顔も韓国人みたいでしょ。オーディション受けてこようかな」といってみると「やめとけ、お前音痴だろ」と紙原が入ってきた。「ああ忘れてた」というと松前が小さく噴き出した。

 「ていうか、舞島って姉さんのために彼女作らないの?」と松前にいわれ「おっ、惜しい」といってみる。

 とにかく俺スーパー行かないと、といって自転車を反対方向に向けて飛び乗った。重たいペダルを思い切り踏み込む。合羽を叩く雨粒が目の前を落ちていく。

 とーちゃんがいた。松前がサイン本を買った書店だ。間違えるはずがない。とーちゃんがいた。小学校卒業後、地元を離れるのが惜しかった一番の理由。紙原にテレビゲームという負け戦を挑めなくなるのも寂しかったけれど、それ以上にとーちゃんに会えなくなるのが悲しかった。

 中学校の三年間、一日たりとも忘れたことはない。ずっと思っていた。ずっと会いたかった。去年、綺麗な絵画のような快晴の下行われた入学式が終わって「舞ちゃん」と呼んでくれたのがどれだけ嬉しかったか。

嬉しさで目が潤んだのは初めてだった。桜の香る風にはらりはらり揺れるとーちゃんの髪の毛の先が、やけにゆっくり動いているように見えた。

 「おっきくなったね」といったとーちゃんだって、ずいぶん大人びていた。「よく気づいたね」と答えると「うわ声低っ」と笑った。咄嗟に喉に手を当てたけれど、機械でもないのだから声は変わらなかった。

 「そりゃわかるよ」と彼女は笑った。「だって舞ちゃん、背が伸びただけだもん」と。

 俺は「声も変わったよ」といったけれど、とーちゃんは「声を聞いて気づいたんじゃないもん」と、いたずらに唇を尖らせた。

 「とーちゃんも背が伸びただけだね」というと、「ちょっとは大人っぽくなったはずだよ」と小さな子供のように拗ねたふりをした。

 敬人が藤村先生に呼ばれた日の稲臣の言葉は落雷のようだった。『人でなしだよ』。そんなはずはない。とーちゃんがいじめなどするはずがない。トキタという苗字の別の人だと思った。

けれどもその苗字はこの辺りでは珍しく、その希望は儚いものだった。紙原の『またあいつか』という言葉も悲しかった。またというほど、とーちゃんが敬人の件に関わっているのかと。