湿った空気と重々しい灰色の壁の間で、質素なブルー交じりのスーツをつけた青年がぼんやりと顔を上げ、肩にかかった埃を払うような仕草をした。
年はかなり若い。男性にしては少し華奢な体格で、とげとげしさを感じない整った顔立ちをしていた。癖のない髪は薄暗い中透けるような柔らかさで、湿気を含んだ生温かい風に揺れている。
一見すると平凡な青年にも見えるが、彼の足元にはオーダー一着五十万もするジョン・ロブの黒革靴が覗き、細い左腕にはスイスのブランドである、二百万では到底買えないクストスの自動巻き腕時計がつけられていた。彼が身に付けているスーツも、たった一着で新車バイクが買えるお値段である。
そんな青年の足元には、柄の悪い男たちが四人、苦痛に歪んだ表情をして転がっていた。暗闇に隠れるように七人の男たちが青年の周りを取り囲み、鉄パイプやナイフを持ったまま身体を強張らせている。
彼らの顔は、薄暗がりでもはっきりするほど赤かった。青年を睨みつける瞳にあった畏怖は、しばらくすると強い怒りへと塗り変わった。
「てめぇ、どこの組のもんだ!」
怒号するように、胸元から金色のネックレスを覗かせた男が叫んだ。赤いシャツを腕元までめくり上げた彼の手には、所々凹みが見える鉄パイプが握られている。
青年は、足元に転がる男の腕を足先でどかし、ごく自然にその顔を彼らへと向けた。月明かりに浮かんだ碧眼に全く悪意は感じなかったが、それを向けられた男たちは震え上がった。いつものように追い払おうと動き出した仲間たちが、一瞬にして叩き伏せられたのを見たからである。
青年は男たちと目を合わせると、悪意という言葉すら伺えないその顔に、少し困ったような笑みを浮かべた。
「君たちにはなんの恨みもないんだけど、今警察のほうが玉突き事故で忙しいみたいで……代わりに僕が頼まれて…………うん、僕も仕事でね」
少し高い澄んだアルトの声を聞いて、どこの組の人間だと声を掛けた男が、恐ろしいモノと対峙するように息を呑んだ。身に迫る恐怖を追い払うように雄叫びを上げ、手にしていた鉄パイプを振り上げて青年に襲いかかった。
その時、青年の懐で携帯電話の着信音が鳴った。一般的な着信コール音と、青年が避けた鉄パイプが地面に当たる甲高い音が、静寂に反響するように広がる。
「はい、もしもし」
鉄パイプを再び振り上げようとした男の顔面を、軽い動作で蹴り上げながら、青年は携帯電話を耳に当てた。彼の柔らかい髪がふわりと宙を舞い、靴底が硬い地面へそっと戻る。
青年より一回り大きな男の身体は、細い足から繰り出された蹴りとは思えないほどの強い衝撃を受け、顔の骨を軋ませて吹き飛んでいた。
鉄パイプを持った男の身体が、大きな音を立てて壁に埋もれるのを合図に、残っていた六人の男たちが弾かれるように動き出した。それぞれ恐怖を噛み潰すように怒号し、武器を持って青年に襲いかかる。
『雪弥、私だが』
しわがれているような低い声色だが、耳に心地よいテノールの声だった。それを耳にしながら、青年は一番に飛びかかってきた男の手から素早い動きでナイフを払った。その直後に、後ろから突っ込んできた肩幅の広い男の、真っ直ぐに突き出された日本刀をひょいと避けて、「やぁ、父さん。久しぶり」とゆったりとした口調で答える。
年はかなり若い。男性にしては少し華奢な体格で、とげとげしさを感じない整った顔立ちをしていた。癖のない髪は薄暗い中透けるような柔らかさで、湿気を含んだ生温かい風に揺れている。
一見すると平凡な青年にも見えるが、彼の足元にはオーダー一着五十万もするジョン・ロブの黒革靴が覗き、細い左腕にはスイスのブランドである、二百万では到底買えないクストスの自動巻き腕時計がつけられていた。彼が身に付けているスーツも、たった一着で新車バイクが買えるお値段である。
そんな青年の足元には、柄の悪い男たちが四人、苦痛に歪んだ表情をして転がっていた。暗闇に隠れるように七人の男たちが青年の周りを取り囲み、鉄パイプやナイフを持ったまま身体を強張らせている。
彼らの顔は、薄暗がりでもはっきりするほど赤かった。青年を睨みつける瞳にあった畏怖は、しばらくすると強い怒りへと塗り変わった。
「てめぇ、どこの組のもんだ!」
怒号するように、胸元から金色のネックレスを覗かせた男が叫んだ。赤いシャツを腕元までめくり上げた彼の手には、所々凹みが見える鉄パイプが握られている。
青年は、足元に転がる男の腕を足先でどかし、ごく自然にその顔を彼らへと向けた。月明かりに浮かんだ碧眼に全く悪意は感じなかったが、それを向けられた男たちは震え上がった。いつものように追い払おうと動き出した仲間たちが、一瞬にして叩き伏せられたのを見たからである。
青年は男たちと目を合わせると、悪意という言葉すら伺えないその顔に、少し困ったような笑みを浮かべた。
「君たちにはなんの恨みもないんだけど、今警察のほうが玉突き事故で忙しいみたいで……代わりに僕が頼まれて…………うん、僕も仕事でね」
少し高い澄んだアルトの声を聞いて、どこの組の人間だと声を掛けた男が、恐ろしいモノと対峙するように息を呑んだ。身に迫る恐怖を追い払うように雄叫びを上げ、手にしていた鉄パイプを振り上げて青年に襲いかかった。
その時、青年の懐で携帯電話の着信音が鳴った。一般的な着信コール音と、青年が避けた鉄パイプが地面に当たる甲高い音が、静寂に反響するように広がる。
「はい、もしもし」
鉄パイプを再び振り上げようとした男の顔面を、軽い動作で蹴り上げながら、青年は携帯電話を耳に当てた。彼の柔らかい髪がふわりと宙を舞い、靴底が硬い地面へそっと戻る。
青年より一回り大きな男の身体は、細い足から繰り出された蹴りとは思えないほどの強い衝撃を受け、顔の骨を軋ませて吹き飛んでいた。
鉄パイプを持った男の身体が、大きな音を立てて壁に埋もれるのを合図に、残っていた六人の男たちが弾かれるように動き出した。それぞれ恐怖を噛み潰すように怒号し、武器を持って青年に襲いかかる。
『雪弥、私だが』
しわがれているような低い声色だが、耳に心地よいテノールの声だった。それを耳にしながら、青年は一番に飛びかかってきた男の手から素早い動きでナイフを払った。その直後に、後ろから突っ込んできた肩幅の広い男の、真っ直ぐに突き出された日本刀をひょいと避けて、「やぁ、父さん。久しぶり」とゆったりとした口調で答える。