榎林の指示を受けた佐々木原は、茉莉海市に入る前明美に連絡を取った。はじめに彼は、「そちらは順調に進んでいるか」とさりげなく話題を切り出した。

 李に引き渡す学生が服用している薬を覚せい剤だと疑わない明美は、「取引きに支障をきたすような中毒者がいるのなら一人引き取りたいが」と尋ねた佐々木原に、ならばと一人の生徒を提案した。

 明美は覚せい剤を使用している中でも、使用日数が長い「鴨津原健」を佐々木原に語った。鴨津原は、火曜日辺りからどうも調子が悪く、友人に会いたいという気持ちすらないのだと、自身が精神不安定であることを明美に相談していた。

 話を聞くと、どうやらその大学生は、水曜日にはじっと授業を聞くことも出来ず、今朝には喧嘩を起こして学校を飛び出したのだという。


 そしてその直後、彼が騒ぎを起こしたという通報があったのだ。


 榎林たちにとっては、なんとも良いタイミングであった。ついでにこちらで引き取ると明美には都合良く伝えて、けれどその件に関しては、尾賀の方から話が出るまで黙っているようにとも指示した。

 一般人と警察に暴力をふるって逃走していた鴨津原を、佐々木原の部下が乗った二台の車で追わせた。町外れで見つけたものの、身体能力がある程度向上しているのか、距離はなかなか縮まらなかった。

 二台のバンで取引の近くまで追いかけてようやく、そのうちの一台が走る彼に追いついた。車で道を塞ぎ、確保するため佐々木原の部下が車から飛び出したが、冷静を失った鴨津原に投げ飛ばされたのだ。

 それは、車体に損傷を与えるほどの威力だった。両サイドを刈り上げた金髪の柿下(かきした)は、同じような過ちを繰り返すものかと、先程の失態を振り返って銃を片手に階段を睨みつける。

「鴨津腹健、そこにいるんだろう? 素直に降りてくれば手荒なことはしない、降りて来い!」

 そう早口に告げる柿下の額には、ピクピクと青筋が立っていた。骨ばった細い身体にフィットする彼の黄色いシャツの背中には、数か所に傷が入り血が滲んでいる。

 しばらくすると、一組の足音が階段から響いた。

 薬で精神状態が不安定とはいえ、相手はたかが大学生である。「ようやく来たか」と顔を上げた榎林は、その矢先、他の面々と同じように顔を顰めた。

「誰だお前は!」

 瞬間、柿下が苛立ったように銃を構え、忌々しい鴨津原健とは違うその顔を睨みつけた。

 それは、白鴎学園高等部の真新しい制服を着た十七歳前後に見える少年で、佐々木原がサングラスを押し上げながら「可哀そうだが、見られちまったからには処分しなくちゃね」と呟いたのを、榎林だけが聞いていた。

             ※※※

 二階に鴨津原に待っているよう告げた雪弥は、階段の中腹で足を止め、敵の数を改めて視認でも把握しながら「榎林さんはどなたですか?」と一同を眺めた。

 すると、スーツの男たちの中で背丈が低い、薄くなった頭部をした年配の男が、驚いたように顔を強張らせて「どこで私の名を聞いた」とうろたえたようにまくしたててきた。