自分では鍛えているつもりはなかったが、高校生になって一カ月もしないうちに、指二本でコンクリートを粉々に出来るまでになっていた。

 通学中に曲がり角から突っ込んできたトラックを腕一本で止めた彼が、「急ぐと危ないよ」と呆れたように告げた運転手は、しばらく中道のまん中で停車したまま放心状態だった。それを向かい側から見ていた原付バイクの中年女性が、ようやく気付いたように「今男の子が車に轢かれそうになった!?」と叫んだ声は、朝の住宅街に響き渡った。

 高校生になった雪弥は、本格的に蒼緋蔵家からの資金援助を断つため、バイトを始めていた。奨学金が降りているとはいえ、一軒家で一人暮らしするためには到底足りなかった。

 年齢的にも高額時給の仕事は出来ず、とりあえず夏休みに出来る限りのバイトを入れる事にした。原付免許を取って週七日、五つのバイト先を見つけ小刻みの日程で動き回ったが、不思議と疲れを感じなかった。

 自宅に戻るのは風呂の時ばかりで、彼はほとんど外で仮眠と食事をすませていた。出前のバイトをしていたさい出会ったそば屋の老店主と仲良くなり、三つのバイトを切って早朝から深夜までそこで働きだしたのは、夏休みに入って一週間目のことだ。

 小さなそば屋は、たった一人の従業員を失って半年目だった。老店主を手伝いたいと思った雪弥は、「仮眠と食事をつけてくれるんなら、安い給料でも構わない」と提案したのである。九月からは学校が始まるので、その時までに昼間働いてくれる従業員を探す事も課題だった。

 十五もない客席を持ったかなり老朽化した小さな店だったが、決まった時間になると、それ以上の客が流れ込んだ。忙しくない時間帯は配達もある。職人技で次々に料理を仕上げる店主に、雪弥は一人とは思えないほど円滑に仕事を進めた。

 注文を取って料理を運び、レジを打って空いた席から皿を下げながら、テーブルを綺麗にすると同時に店主の仕事を素早くサポートした。客足が引くと、くたくたになった彼を尻目に、配達分のそばをバイクに乗せて「いってきまぁす」と陽気にバイクを走らせた。

 原付の免許のみしか持っていなかったが、このとき雪弥が乗っていたのは、十数年前からそば配達に使われているギアバイクだった。彼はコツを店主に教わっただけで、まるでこれまでずっとそうしていたかのような慣れた手つきでバイクを操った。警察に見つかったらどうしよう、といった不安はちっとも感じていなかった。

 何故なら雪弥は、片手で配達先の住所をチェックしながらでも、飛び出してきた車を避けられた。道路に車が渋滞していようがお構いなしに突き進み、老店主の美味しいそばを早く届けようという思いから近道を使った。


 オンボロバイクが住宅街の間に流れている川を飛んだ、――という困った悪戯電話に、交番の警察官が悩まされていたのもこの頃である。

 土日祝祭日以外、午後三時までに、そば屋の売上金を銀行に預ける仕事も雪弥が担っていた。夏休みも中盤を迎えた頃には、すっかりそば屋のバイトに慣れた。