けれど悲しくはない、寂しくはない。
 私は十分に満たされ、愛を受けた。

 素晴らしい家族に、素晴らしい娘。そして、その娘の子供にも会えた。

 ただ最期を迎える前に、一目、娘たちに会いたい。

 その時、不意に息苦しさを感じて、私は男の膝に爪を立てた。動悸が強くなり、全身の毛が走り抜けた悪寒に逆立った。見開いた視界がぶれて、ガクンと身体から力が抜ける。


「クロ!」


 男が叫ぶ声がした。聴覚は、まだハッキリしている。大丈夫だ。そう思いながら私は立ち上がろうとした。しかし、何故かどこにも力が入らない。

 細い呼吸を繰り返し、ようやく顔だけで二人を見上げた。視界は僅かに霞んでいたが、こうして考えられる以上、意識はまだハッキリしているようだと分かった。

 まだ、駄目だ。

 私は、抗うように手を伸ばして、男のズボンを掴んで身を起こした。女の向こう側にある使い古しのクッションが目に留まり、これまでの年月分の思い出が一気に脳裏を駆けていって、手放せない想いを前足の先で掴むように、歩みを進めた。

 娘が帰って来るまで、私は、まだどこへも行けないのだ。

 ココで、私は、娘を待っていなければ。