「マンションで良かったわね。階段もないし、急な段差だってない」
「ああ、そうだね」

 女が私の頭を撫で、男が私の背中をさする。

 もう長くはない。私は本能でそれを悟っていた。恐らくは、もしかしたらこの春を越えられないだろう。だんだんと自分の身体が弱り、その灯し火が小さくなっていくのを日々感じていた。

 娘には、いつ会える?

 またしても浅い眠りに誘われていた私は、ふっと頭を上げて男に尋ねた。男は私を撫で続けていて、微笑み目を合わせたまま、しばらく何も答えないでいる。

「そういえば、優花は近くにマンションを買ったと言っていたわ。こっちへ戻ってきたら、一番に顔を見せに来るって」

 少し前まで、女同士のお喋りを電話で楽しんでいた女がそう言った。微笑みかけられた男が、嬉しそうに「そうか」と答えてから再び私へ目を向けてきた。

「良かったな、クロ。三年ぶりだから驚くかな? 優実ちゃんも、もう随分大きくなったそうだから、写真で見るよりおっきく感じるかもしれないな」

 そうか、それは楽しみだ。

 私は、自分に言い聞かせるように言って、疲れてしまった頭を下ろしてそっと目を閉じた。本当に、娘たちに会えるのが、心の底から楽しみだった。

 待っている一分一秒が、もどかしいほどだ。けれど、この身体ではそう感じてしまうのも仕方がなかった。私がどんなに望もうと、別れはすぐそこまで迫っているのだから。

「クロちゃん、クロ」

 目を閉じていたのは少しの間だったのに、またしてもうっかり浅い眠りに落ちていたらしい。頭を撫でながら、そう呼ぶ女の声が聞こえてふっと目を開けた。

「クロちゃん」

 女が、私の頭をゆっくりと撫でて、もう一度私の名を呼んだ。

 その声は少しだけかすれていた。不思議に思って見上げてみると、こちらを見下ろしている女の目には涙がたまっていた。