男と出会った時から、もう何度も食べているあの柔らかくて美味しい匂いが、朝ご飯を済ませたはずの私の食欲をそそった。昨夜、女が先に就寝する際、「明日の朝、頑張ってくれたご褒美に買ってくるからね」と告げていたのだが、約束を覚えてくれていたらしい。

「はい、クロちゃん。どうぞ」

 うむ、有り難く頂こう。

 私は、器に盛られた食べ物をガツガツと口にした。女はしゃがみこんで、そんな私を穏やかな瞳で見つめている。後ろでまとめられた栗色の髪が、風でゆるやかに揺れていた。

「娘の成長って、早いものねぇ。もう大学の話が出るんですもの」

 ああ、そうだな。

 私は口をもぐもぐしつつ、美味さを堪能しながら女を見上げてそう答えた。高校受験でバタバタしていたのが、ついこの間のことだったようなのに月日が過ぎるのは早いものだ。

「これから大学受験でしょ? さっき車の中で少し話したのよ。そうしたら、ここから通える短期大学に行って、小学校の先生になりたいんですって」

 あっという間にあの子も大人になる。それも可能だろう。

 答える私の後ろから、一組の足音が近づいて来た。

「おかえり。今の話は本当かい?」
「あら、起きたのね。そうなのよ、ここから通える短期大学で小学教師の免許と言うと、K短大かF女子短大あたりかしらねぇ?」

 そう言うと、女はふふっと上品に笑った。私が食べ終わったのを見て、「綺麗に洗いましょうね」と声を掛けながら皿を取って立ち上がる。そうやって彼女が私の皿を毎日綺麗にしてくれるおかげで、私はいつでも美味しく食事をすることが出来た。